短歌22首

 昔つくった短歌(というか狂歌)に最近つくったものを加えたものです。
 
この口はどうしてそんなに大きいの首までつかれる赤ずきんの湯
 
暗黒の深夜の蔭の闇だまり鏡に映るアリスの左手
 
あずまやに千鳥格子の掛け布団むくむく動くアリスの宮夫妻
 
姫りんご身ぐるみ剥いで差しだすは西方浄土のアフリカのイヴ
 
瓜売りが瓜売り歩く瓜市場瓜子姫には多すぎる種
 
深川砂村隠亡堀戸板返しのうらおもてお岩の顔が目減りする夜
 
旅ゆけば駿河の路は春がすみ男を上げるお蝶の茶柱
 
ぬばたまの首長姫の黒髪に行燈油を惜しみつつつけ
 
名月や千日前で啖呵売語るに落ちたシェヘラザード
 
白い空雪のなかでの姫はじめいばらの門にふと立ちどまる
 
この恨みまさかはらさでおくものか瀧夜叉姫には奉加帳のあて
 
竹婦人すきま風吹く首かしげ若竹のトリ芝浜の夢
 
黄昏の紫煙に煙るダンス場ナオミが踊る人間の床
 
陥穽の振り子の下の早がわり着たり脱いだり忙しないマハ
 
真昼間にくちなわ色の綱を引く朝顔婦人と夕顔婦人
 
親王のおわさぬ御代で吐く玉は朱色に染まる海岸に満ち
 
紅の死が褪せるまで劇化するまちこ巻きしたナミを引き連れ
 
シラクサアルキメデスの荒磯を回り道する彼岸過ぎまで
 
横須賀でヨーコがヴェスパにまたがって三面鏡で髪をうず巻きにして
 
水棲の累卵満ちる沢野辺に寄せては返す夜々の思念を
 
薄倖の女だてらの片小袖諸肌脱ぐと蛸の彫りもの
 
石ひとつ月の光をはかりかね弁天さまの腹で水練

安藤鶴夫と談志

安藤鶴夫の『落語の魅力』『わたしの寄席』を読む。立川談志川戸貞吉から目の敵のように書かれていたので、なんとなく敬遠していた。もっとも、『落梧鑑賞』はそれよりずっと前に読んでいたが、CDはおろか、テープさえ使えないような状況で、こうした労作の持つ意味が十分わかっていなかった。実を言うと、ボードレールリラダンの翻訳で知られる齋藤磯雄と大学時代からの親しい友人だと知って、これは又聞きの評価だけで判断してすますだけの人物のはずがないと思ったのだ。

 

『わたしの寄席』では、小ゑんといっていた頃の談志がまっとうに評価されている。

 

 四月の第二回に“蜘蛛かご”をやった柳家小ゑんには舌を巻いた。小さんの弟子である。小さんという学校もいいが、素質がよくって素晴らしい才能がある。本人に歳を聞いたら「いつも二十三といってんですがね」という、ほんとうは二十だそうだ。ほんとの歳をいうと馬鹿にされるから嘘をつくという。十六で小さんに弟子入りをした日に、小三治という名をくれといった。小さんの前名の、真打の名である。小さんもこれにはちょっとどぎもを抜かれたそうだが、そんなふてぶてしいところがある。

 

落語を江戸の風を感じさせることにある、といった晩年の談志ならば、意見がかみ合わないこともないと思うのだが。

非連続的な音楽

 部屋中のものをひっくり返す事情があって、しばらく目にしてなかった本もあったが、よく聞いていたCDがでてきた方が嬉しかった。というのも、よく聞いていたものが大事なので、専用のケースに入れていたところが、そのケース自体が引越したときに奥まったところに置かれてしまったために、引っ張り出す機会がなかったのだ。デレク・ベイリーセシル・テイラージェリ・アレン、ジェイムス・ニュートン、アンドリュー・ヒルなどといったフリー、あるいはポスト・フリート呼ばれるアヴァンギャルドなジャズがでてきた。

 

 そもそもジャンルでいうとジャズがもっとも好き、というか最も長い時間聴いていられる音楽なのだが、ビック・バンドやビ・バップもたまに聞くといいが、しばらく聴いているとどこかじれったくなってきて、混沌としたフリーにたどりついてほっとする始末なのだが、あえて理屈をつけてみると、フリー、あるいはいつでもフリーへと転化するポスト・フリーでは、テーマこそみられることもあるが、他の音楽では大体においてみられる終わりに向けての勾配がほとんどない。つまりはどこで終わってもいい音楽であり、形容矛盾とも思われるような非連続的な音楽なのである。AACM(Association for the Advancement of Creative Musicians) 出身であるトランペッター、レオ・スミスは次のようにいっている(印象に残ったので書き抜いていたのだが、どこから引用したのかわからなくなってしまった)。

 

 私の作品は多面-即興である――最初の音は展開していくものであるとともに既にしてクライマックスである。私は点から点に移動することはない。なぜなら各点は既に出発することのうちに含まれているからだ。

 

 

 

 ベルグソンは純粋持続の好例として音楽をあげたが、非連続な点としての音楽がここにはある。もちろん、非連続な点だけでいいというなら素人のでたらめと何の変わりもなく、創造的な瞬間の連続というほとんど無謀とも思えることが要求されており、そうはいってもフリー・ジャズの多くが退屈なものにとどまっているのは、いかにこの要求が無謀であるかの傍証でもあるだろうが、それだけにそうした無謀さを成功させる人物には頭が下がる。

 

 

 

 ぼんやりと伊東四朗羽田美智子が主演の『おかしな刑事』をみていたら、落語の『王子の狐』が話を引っぱる大きな要素となっていて、狐信仰や民俗へと拡がっていくのだが、おかしいなあ、何回聴いても筋のよくわからない、落語家が内職をする話で、民俗学的なこととは関係がないはずだがなあ、と思って確認すると、案の定、私は『今戸の狐』と勘違いしていた。

アンブレイカブル

 フロアーの床にはいつまでたっても慣れないもので、もっともすでに十年以上フロアーの部屋に暮らしているのだが、ひとによっては汚いというものもあるかもしれない乱雑な、その実どんぶり勘定ほどには計算をし尽くした細々したものが配置されて、言い方を変えれば足の踏み場がなくなっていたので、なにか割れるものを踏みつけて危ないということはあっても、床で滑ることはほとんどなかった。

 

 ところが先日、見渡すかぎりのフロアーのなかで、しかも細いパイプの脚が四本ついただけの簡易椅子に、そのまま座れば問題はなかったのだろうが、無意識に悟りを求めているわけでもないだろうが、片方の脚を折りたたんで、半跏思惟像の形を取って、隙があれば天上天下唯我独尊とでも言い放ってやろうと思っている私は、いつものように堅く狭い椅子の上に折りたたんだ脚をのせて座ろうとした瞬間、摩擦係数の計算をするまでもなく、傾いた椅子にかかる荷重は垂直に床の上で安定するよりは傾きをさらに傾かせるべく働いて、唯我独尊というよりは転んでも一人。

 

 とはいえ、敬虔な心情が自己放下としてあらわれたのか、重力のなかにも神仏は宿り、転んだとはいうもののその過程は内村航平の演技の如く、床に寝そべった姿も転がったというよりは着地姿に似ていた。

 

 こんなことを思いだしたのも、数日前、人工的な切り通しが、逆方向から行くとだらだらと登り坂になっているのがはっきりとするが、下りのときには、快適さのみが勝って、下りが続く加速度を考慮に入れないことよりも快適さの方が勝って、後から振り返ると敬虔さよりも快楽が勝った結果が覿面にあらわれ、縁石にぶつかると、それこそ何十年かぶりに自転車でひっくり返った。にもかかわらず、敬虔さより快楽が勝っていたにもかかわらず、擦り傷ひとつなく、「魂が揺れるんです」となにかの映画のキャッチコピーにあったように思うが、「脳が揺れるんです」とは感じたものの、脳しんとうにも及ばず、これが快楽の結果だとすれば、神仏の加護などいうも愚かなこと、映画としてはさして面白くはなかったものの、ついでにいえばどんどん評判を落とし、残酷なものだと思いながらも、実際に作品を見ると、まあ、しょうがないかな、と思わないでもないナイト・シャマランの『アンブレイカブル』を思い返し、どんな高さから落ち、なににぶつかろうが、生き残るだろうと、つい、邪な思いに誘われる。

フレッド・アステアとジンジャー・ロジャース

フレッド・アステアの映画といえば、なによりジンジャー・ロジャースとのコンビが一番好きなのだが、不思議なことにジンジャー・ロジャースの顔が、思いだそうとすると、いつもぼやけて曖昧な靄のなかに包まれてしまうのだった。

 

ところが、ジェーン・フューアーの本を読んでいて、その謎がある部分解決されたように感じた。というのも、彼女によると、アステア=ロジャースの映画は、アステアとダンスとの同一化を結晶化するように働いているからだ。

 

この同一化には二つのしるしがあり、ひとつは、アステアの身体が意識によるコントロールを離れて、意志によることなく踊りはじめることにある。『トップ・ハット』にあるように、気がつくとアステアは踊っている。

 

この無意識のダンスが、踊りと生きることを同一化するとすれば、第二にあるのは、アステアにとって、ダンスと救済とが分かちがたく絡みあっていることだ。作詞家こそ異なれ、天、つまりheavenの要素がアステアのダンス映画には突出している。Cheek to Cheekでは冒頭から、ダンスと天上への旅が同じであることが歌われるし、アステアが天使的な役割をすることも多い。

 

こうした指摘をされると、ダンスとともに生きるのではなく、ダンスこそが生きることであり、しかも天使的存在が相手ともなれば、ジンジャーといえども、その存在感を顔にまで充実させることができなかったに違いない。

八幡城太郎と俳誌「青芝」の人びと

 というわけで町田市民文学館に出かけた。会場は二階の一画、大きさは小学校の教室よりも狭いくらいで、見るだけなら数分で済んでしまう。展示は五つのブロックに別れている。

 

 1.八幡城太郎の俳句活動――「青芝」創刊以前 2.二つの原稿――島尾敏雄「噴水」と桂信子「月光抄」 3.「青芝」創刊と「青芝友の会」の人びと 4.版画家川上澄生と「青芝」 5.多摩の文学空間と「青芝」の活動。

 

 おそらく、自慢は2の二つの原稿なのだろう。島尾敏雄の原稿には「八幡城太郎氏に課題されて」と言葉が添えられている。島尾は城太郎と句会を行ったこともあるらしく、そのときの句に「榾火けぶり娘そっと眼をこする」があるという。「月光抄」の方は、桂信子が大坂空襲の折送った句稿を八幡城太郎が綴じ合わせてかわいらしい袖珍本に仕立ててあるものだ。

 

 八幡城太郎は、明治四十五年に相模原市青柳寺に生まれ、三十を過ぎた頃、寺を継いでいた兄の急逝を受けて、僧籍に入った。昭和二十八年に「青芝」を創刊し、昭和六十年に歿するまで三十年以上その刊行に携わってきた。当然のごとく、この展示会の中心は「青芝」というこの雑誌なのだが、いかなる深遠な理由によるものか、主催者は雑誌の中身をチラリとも見せてくれない。深窓のお嬢さんでさえ窓から顔くらい見せてくれるものなのだが。それゆえ、水野さんが挙げているようなそうそうたるメンバーが、どのような形でこの雑誌に参加しているのか、散文でなのか俳句でなのか、つまり「青芝」なる雑誌は単なる俳誌なのかそれとも「鬣」の先輩なのか肝心なところが一向にわからない。

 

 更に言えば、わたしは八幡城太郎という俳人の存在を知らなかった。無知を誹られるかもしれないが、展示会に来るのはわたしと同じようなレベルの人たちが多いに違いない。であれば、八幡城太郎がどんな句を書く人なのかくらいは最低限知りたくもなろう。しかし、これもまた、いかなる深遠な理由によるものか、城太郎の句は幾枚かの色紙や自筆を別として全然紹介されていないのである。せめて代表となる数十句くらいは主催者の責任で選んでおくくらいのことをしてくれれば後生が悪くないはずだ。

 

 文学館の一階は図書室になっており、城太郎の句集も置いてあったので何句かあげておく。

 

ほの明きしろきてのひら冬の雨

ふらここに抱きあげし子を天にやる

春めくや世々の手ずれの経机

おでん屋に醜聞たちし師走かな

煮凝や昼闌けてくる郵便夫

短日の橋のゆききを見下しぬ

わが酒徒らあをきさかなを食ひ荒す

春めくや石なげうてば石応ふ

白面にて無口無聊の花くもり

酉の市肩がさびしくなりにけり

 

 町田には古くから柿島屋という馬肉専門の店がある。十年くらい前に店舗が新しくなり、場所も移ったが、もとの店は駅前で確か九時頃から開店し、朝からお酒が飲めた。といって、デカダンな感じはなく、みな当然のような顔をして飲んでいたものだ。土曜の午後、ぽかぽかした陽気のなかを歩きまわり、やや疲労を覚えたときのお酒は格別なもので、ビールそして梅割りを、刺身、肉皿、馬肉メンチなどをつまみにして飲んでいると、展覧会を見てやや頑なになった心が緩やかにほどかれていくようだった。新しいメニューに珍味と称された「たてがみ」があり、さっそく頼んでみると、脂身を凍らせて薄く切ったもので、口に入れるとその熱でみるみる溶けていくのだが、要するに珍味で、

「たてがみ」もひらがなにすると締まらないものだな、と思った。