世界劇場 1 プッチーニ『トスカ』/ヴェルディ『リゴレット』

 

 

プッチーニ:オペラBOXセット[DVD,3Discs]

プッチーニ:オペラBOXセット[DVD,3Discs]

  • 出版社/メーカー: OPUS ARTE
  • 発売日: 2015/09/23
  • メディア: DVD
 

 

 

Verdi Edition: 12 Great Operas [DVD] [Import]

Verdi Edition: 12 Great Operas [DVD] [Import]

  • 出版社/メーカー: Opus Arte
  • 発売日: 2013/04/29
  • メディア: DVD
 

 

プッチーニ『トスカ』

演出:ジョナサン・ケント

指揮者:アントニオ・パッパーノ

トスカ:アンジェラ・ゲオルギュー

カヴァラドッシ:ヨナス・カウフマン

スカルピア:ブリン・ターフェル

コヴェント・ガーデン王立歌劇場

 

ヴェルディリゴレット

演出:デヴィッド・マクビカール

指揮者:エドワード・ダウネス

リゴレット:パオロ・ガヴァネッリ

ジルダ:クリスティーネ・シェーファー

マントヴァ公爵:マルチェロ・アルベレズ

コヴェント・ガーデン王立歌劇場

 

 中年になって、思わぬところから伏兵があらわれて、心臓を鷲づかみされた感がある。オペラに魅了されたのである。

 

 CDではそれなりに聞いていた。マリア・カラスのBOXセットを買い、朝から晩まで聞いていたこともある。クラシックについては、好きな曲、あるいは演奏家のものを一枚一枚買いそろえていくことよりも、BOXセットを買って、片っ端から聞いていくという聴き方を好んでいる。現在は音楽のサブスクリプションのサービスに加入していて、そこではクラシックを除外して、ジャズと現代音楽だけにほぼ絞っているのだが、聞きたいものをリストに加えていったら早速3000枚を超えてしまった。したがって、グールドやホロヴィッツのCDは幾度もくりかえし聞いたが、それ以外は、一度聞いてそれでおしまいになることが多かった。

 

 指揮者のBOXセットを買うと、だいたいオペラも含まれており、全体からの割合でいえば少ないが、だいたいオペラもあって聞き流していた。あらすじを読んで聞くこともあったが、だいたいのところオペラといえばドイツ語かイタリア語であり、筋だけわかってもどこまで進んだかもわからないままに終わることが多く、ほとんど物語のことなど気にすることなく、時々突出する声、たとえばモーツァルトドン・ジョバンニ』でのシュワルツコップにどきっとするくらいのものだった。

 つまり、いまとなっては不思議なことだが、オペラを純音楽的なのだと考えていたのである。そして、オペラが総合芸術であるかはともかく、舞台芸術であることにいまさら気がついた。たとえば、落語などの場合、演者の姿が余計だとしか思わない私は、純粋な語りとして聞いてきたが、そこからの類推によって、オペラを音楽的なものとのみ考えてきたのかもしれない。あるいは、歌曲の延長としか考えていなかったこともある。

 

 『トスカ』についていえば、映画で見たことがあると思い込んでいたが、よくよく考えてみれば、ダニエル・シュミットの『トスカの接吻』(1984年)と『ヘカテ』(1982年)とを混同しており、『トスカの接吻』の方は、養老員に集まるかつてのプリマ・ドンナたちの姿をとらえたドキュメンタリー映画だった。もちろん、『トスカ』も『リゴレット』のどちらもマリア・カラスのCDをきいたおぼえはあるが、特に内容を確かめようともしなかったので、数十時間のカラスの声の記憶のなかに完全に埋もれてしまっていた。

 

 それがいまになってプッチーニヴェルディをDVDで見る気になったのは、そもそもはワグナーやアルバン・ベルグのオペラを内容から理解する必要があったために、それではモーツァルトも当然のことながら、見ておいた方がいいし、それだけだとドイツに傾きすぎるので、プッチーニヴェルディのイタリア勢も見ておこうというごく単純な動機だったのである。

 

 『トスカ』は画家のカヴァラドッシが教会でマグダラのマリアの像を描いている場面から始まり、そのモデルがいつも教会に通ってくる侯爵夫人であることがわかり、嫉妬深いトスカとの三角関係になると思いきや、結局侯爵夫人は一度も舞台に姿を現すことはない。侯爵夫人の兄であり、画家の古い友人である政治犯として獄中にいたアンジェロッティが脱獄犯として逃げ込んでくる。カヴァラドッシとトスカとが協力してアンジェロッティを別荘の井戸のなかに隠すが、二人が逃亡を助けたことをかぎつけたスカルピアによって恋人のカヴァラドッシを拷問されたトスカは我慢できなくなり、隠れ場所を告げてしまう。スカルピアはおまえが俺に肉体を差し出すならば、カヴァラドッシの命だけは助けてやろうと約束する。そして、腹心の部下に命令を伝え、トスカに迫ってくる。しかし、トスカは最後のところで我慢ならなくなり、スカルピアを刺し殺してしまう。形だけの処刑だと思い込んでいるトスカは処刑場に急ぎ、二人で逃げる未来の希望を楽しげに語るのだが、当然のことながら、処刑は実際に行われ、悲嘆にくれ城壁から身を投じるトスカの姿で幕が下りる。

 

 スカルピア役のブリン・ターフェルが素晴らしく、悪漢として申し分がない。だが、やはりいちばん驚いたのは、トスカ役のアンジェラ・ゲオルギューは正直あまりタイプではないし、恋人が拷問されるとすぐに自白してしまうし、スカルピアの言葉を真正直に受け入れてしまうところが、普通のドラマならばかばかしく思えるはずが、圧倒的な声の力業でねじ伏せられるはじめての経験をしたことにあった。

 

 『リゴレット』は宮廷道化の悲哀を描いたもので、退廃した宮廷で道化をつとめるリゴレットは自分の娘ジゼルだけはこの退廃、君主の毒牙にかからないようにしようと、人目を隠すように閉じ込めて育てていた。しかし、自分が宮廷で行った道化ぶりが呪いを引き起こし、娘は君主にもてあそばれ、最後には剣に刺されて死ぬことになる。

 

 退廃した宮廷の場面で、王立歌劇場でありながら、全裸の男女があらわれるのも文化的な水準の高さを見せつけられた思いだし、ターラッタータタラー、と書いてもわからないと思うが、誰でも知っているメロディーが『リゴレット』のものだったということもはじめてわかった。ジルダ役のクリスティーネ・シェーファーは前半は長髪であらわれるが、後半では短髪になり、その姿が実にキュートで魅力的だった。

 

 実のところ、私にはジゼルがなぜ死なねばならないのかもよくわからなかったのだが、生身の役者と生身の観客、人工的なものであることがはっきりしている舞台装置、そして、歌舞伎座国立劇場などよりも、むしろ本多劇場ザ・スズナリを想起させながらも、ものすごく豪華で立派でありながら適度に狭いコヴェント・ガーデン王立歌劇場を埋め尽くす声がそんな疑念を易々と飲み込んでいく。

 

 

 

シネマの手触り 1 タル・ベーラ『サタンタンゴ』(1994年)

 

Sátántangó [Import anglais]

Sátántangó [Import anglais]

  • メディア: DVD
 

 

 

ハンガリー革命 1956

ハンガリー革命 1956

 

 

原作:クラスナホルカイ・ラースロー

脚本:クラスナホルカイ・ラースロー、タル・ベーラ

撮影:ガボール・メドヴィーグ

音楽:ヴィーグ・ミーハイ

出演:ヴィーグ・ミーハイ、ホルヴァート・プチ、デルジ・ヤノーシュ

 

 7時間18分モノクロで全編約150カットで撮られている。タル・ベーラは『倫敦から来た男』(2007年)を公開時に見ただけである。

 

 7時間を越え、しかもモノクロである本作は、サスペンスにあふれ、長回しも少しも気にならなかった。しかし、その面白さを伝えようとすると、存外難しい。

 

 この映画は12のパートに別れていて、まず、小さな村のなかで、出所がはっきりしない金を巡って、その金を持って村を出ることが相談される。一方、死んだはずの人間が戻ってきたことが村に伝わっていく。その死んだとされる二人だと思われる男が軍の将校に召喚され、なんらかの罪について叱責される。村の医師は酒を飲みながら村人たちの生活を見張り、それを記録している。酒がなくなり、家を出た彼は途中で倒れてしまう。そこに通りかかったトラックに乗せられ、どこかに連れ去られる。少女が猫をおそらくは殺鼠剤のようなもので殺し、死体を抱えながら、飲み屋で大騒ぎを演じている大人たちを窓越しに見ている。

 

 次のパートでは逆に、先の死んだはずの人間を見たと主張する男を押さえ込むように、音楽に満ちた喧噪が高まっていき、その窓越しには少女の姿が見える。つまり、時系列に沿って物語が進んでいるわけではないことが明らかになる。

 

 だが、問題をいっそう複雑にしているのは、時系列の混乱よりも、ハンガリーという国がもつ政治状況の難しさにある。ごく表面的な知識でその歴史をたどってみると、まず第一次世界大戦後のベルサイユ条約で、ハンガリートランシルヴァニアスロバキアクロアチアの各領土を失った。1920~44年までの25年間ミクローシュ・ホルティ提督の独裁下にあった。

 

 第二次世界大戦において、ヒトラーハンガリー第一次世界大戦で失った領土を返還することを約束し、そのためドイツにとって重要な枢軸国になっていた。1944年以降ドイツ軍とソ連軍が衝突する主戦場となった。やがてソ連軍が勝利し、それをファシズムからの解放だと信じた人々は絶望することになる。

 

 1945年にソ連軍は略奪と暴虐を尽くし、強姦された女性は十五万人に達すると推測されている。そして戦後、ヤルタ会談ポツダム協定において、ハンガリーの産業はすべてソ連に取り上げられ、ソ連に支配されることになる。いわゆる冷戦状況のなかにおかれるわけである。

 

 そのうえ、ハンガリーにおいてより状況を複雑にしているのは、ソ連の圧政と貧困に対して民衆が蜂起したハンガリー革命が1956年に起きたことにある。市民は多くの政府関係施設や区域を占拠し、ソ連軍の大量の銃器と戦車に対し、火炎瓶と限られた銃で一時は勝利を収めたが、後続するソ連軍の投入によってやがて鎮圧された。それ以降、第二次世界大戦直後のソ連軍の暴虐と、このハンガリー革命は1990年ソ連の崩壊によって、冷戦時代が終了するまで話題にすることさえタブーとされた。

 

 それゆえ、たとえば、タル・ベールが同国人として敬意を示している監督ミクローシュ・ヤンチョーでもそうであるが、日本では公開されていないが、1964年の『帰郷』などは、第二次世界大戦後、故郷であるハンガリーに帰ろうとする兵士が、ソ連兵に見つかって捕虜となり、共同生活をしているうちに奇妙な親近感が生まれてくる、ある意味わかりやすい映画なのだが、日本では『密告の砦』(1965年)という題で公開された映画となると、十九世紀、オーストリア支配下でゲリラ活動を行う者たちを描いたもので、荒野のなか横一列に配置された、なんの装飾もないむき出しの拘置所、麻袋のようなもので頭をすっぽりと覆われ、散歩のつもりなのか、数珠つなぎにぐるぐると円を描いて歩かされている異様な光景が、果たして事実そのようなものであったのか、アレゴリーや批判的なものとして描かれているのか、あるいはより個人的な幻想の領域に属するものなのか判断がつかないのである。

 

 もちろん、単なる事実とは異なるリアリティは十分すぎるほどあり、それゆえ魅力的な映画なのだが、なんとなく落ち着かないことも確かなのは、ハンガリー人なら言外の意味として当然のように読み解かれていることを見逃しているかもしれないからである。

 

 それはちょうど、外国人が東日本大震災原発事故、それ以降の福島の状態のことはあるいはニュースなどで知っているにしても、それが劇映画のなかに入り込んでいるとき、リアリティの水準がわからないだろうことに通じるかもしれない。

 

 そもそも『サタンタンゴ』は特に明確に時代が限定されているわけではない。ソ連の圧制下にあった冷戦のときのことかもしれないし、あるいは主人公の男が武器を調達する場面があることから見れば、ハンガリー革命前夜のことかもしれない。あるいは、ヴィクター・セベスチャンの『ハンガリー革命1956』によれば、第二次世界大戦の和平調停後にソ連に戦争賠償として根こそぎ金銭や産業がむしり取られたとき、「十三世紀にモンゴル人から襲撃された時、十六世紀にオスマン帝国に占領された時、そして、ソ連から解放された時と、われわれは大悲劇を三度経験した」とハンガリーではよく言われたそうだが、映画の終盤である男が教会の鐘を鳴らしながら、「トルコ人が来るぞ」となんども叫んでいることを文字通りにとり、史劇を現代風のコスチュームで演出しているのだととれないこともない。

 

 結末についても絶妙であって、村に戻ってきた男が村人たちをトラックに乗せ、村に比較すればずっとモダンではあるが人っ子ひとりいない街で職業と金を与えて村人たちを置き去りにする、官僚の二人がタイプをたたきながらすべて彼らが計画した台本であるかのように出来事を記していく、いつの間にか村に帰った医師が、窓を材木でふさぎ、闇のなかで以前と同じように村人の行動をぶつぶつとつぶやく、といういわば三重の括弧づけがなされており、新しい生活の場が与えられたとも、すべてが官僚の計画だったとも、あるいは医師の幻想か夢であったとも考えられる多義性のなかに終わっている。そのことはこの映画にすべてを眺望するような俯瞰するショットがひとつもないことも関係している。これだけ長い映画において、小さなものであろう村さえ一望のもとに収まることがない。すべてが断片的であり、それゆえにサスペンスをはらんでいる。

 

 それにもまして、逸してならないのは、この映画がひたすら歩くことに終始することである。歩いているシーンが大好きな私はそれだけで胸にぐっとくる。ブニュエルの『ブルジョアジーの密かな愉しみ』、ルイ・マルの『鬼火』、北野武の『その男、凶暴につき』などが好きな人はきっとこの映画も好きに違いない。しかもこれもまた私が好きな荒野をひたすら歩くのである。蛭子能収のマンガが好きな人はきっとこの映画も好きに違いない。しかもこれもまた私が好きな雨と泥のなかをひたすら歩くのである。東京のアスファルトだらけの道を呪詛している永井荷風の小説や随筆が好きな人はきっとこの映画も好きに違いない。

哲学機械 4 プラトン『国家』

 

国家〈上〉 (岩波文庫)

国家〈上〉 (岩波文庫)

 

 

 

国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)

国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)

 

 

 

 

 衣食住を満足させることだけで国家は形成されない。衣服、食物、住居を作りだすにはそれぞれ独自の道具がいり、もちろん、道具を製作するにも道具がいるので、必要とされる職種は、生存に不可欠なものの数十倍に増加する。

 

 さらには、絶海の孤島でない限り、他の国との交渉が存在することを考えねばならない。友好的な外国も、敵対的な外国もあることを思えば、外交の役割を果す者や兵士も必要となろう。そしてなによりも、必要最低限な愛国心と国家への忠誠が要求される。それゆえ、国家においてもっとも重要なもののひとつに教育があげられることになる。こうした議論の過程で、プラトンにおいて有名な、詩人や劇作家に対する非難があらわれる。欲望の限りをつくす神々を描きだす叙述は、神々に対する崇敬と「健全な」道徳とを同時に損うことになろう。

 

 たとえば、ヘシオドスが語るところによれば、ウラノス(天)はガイア(地)とのあいだに生まれた子供たちを、生まれるとすぐにガイアの腹のなかに隠すが、末っ子であるクロノスが父親の性器を切り取って王位を奪う。また、クロノスも自らの王位を守るために生まれた子をすべて飲み込むが、ゼウスを身ごもった王妃レアはガイアの助けを借りて逃れ、生まれたゼウスがクロノスを倒して王位につく。こうした物語は、たとえ本当であったとしても、思慮の浅い若者に教えるべきではない。自分の行為を正当化するために、神々を使いかねないからだ。

 

 詩人に対する批判は最終章である第十巻でも繰り返される。詩人は画家と同じく、物事の表層的な部分、を真似て描写するものに過ぎないからである。表層的な部分とは絶えず生成変化する現象であり、真似によってはその奥にある真実、イデアを描き取ることはできないのである。また詩は、感情を誤った方向に揺すぶりもする。

 

このようにしてまたわれわれは、いまや、一国が善く治められるべきならば、その国へ彼を受け入れないことの正当な理由をもつことになるだろう。ほかでもない、彼は魂の低劣な部分を呼び覚まして育て、これを強力にすることによって理知的部分を滅ぼしてしまうからだ。それはちょうどひとつの国家において、たちの悪い連中を権力者にして国をゆだね、よりすぐれた人々を滅ぼしてしまうようなもの。それと同じく、真似を事とする作家(詩人)もまた、人間ひとりひとりの魂のなかに悪しき国制を作り上げるのだと、われわれは言うべきだろう、魂の愚かな部分、どちらかがより大きいか小さいかを識別できずに、同じものを大と思いときには小と思うような部分の機嫌をとり、自分は真理からはるかに離れて、影絵のような見かけの映像を作り出すことによってね

 

 

 国の守護者・統治者となるものの教育科目としてあげられるのは、主として文芸と音楽、そして身体的な教育である。そして国家がもつべき四つの徳、知恵、勇気、節制・正義は統治者、軍人、市民という国家を構成する「個人の魂のなかにも、同じ種族のものが同じ数だけある」ので、教育によってその精錬が目指される。

 

 身体的教育についてド・クインシーは面白い指摘をしている。オリンピックの発祥の地として古代ギリシャは有名だが、運動選手としての教育と、兵士として役だつ教育とは異なるということである。

 

 「剣闘士の学校は、よく知られ変わらないのは、公的な祭りや試合の前に体力を最大限に準備するためのものだということである。現代の、そして古代の訓練体系では、この準備段階の教練はきちんと計算できるものであったことが知られている。『ファン』が我々のなかにもいる拳闘家は、厳しい罰則規定のある法的な契約関係に入り、試合の時日が決まると、その六週間前からトレーニングに入る。試合までの日、食事、練習、睡眠、すべてを規則的に管理し、筋肉と体調を最上の状態に整える。さて、確かに一般的に見れば、プラトンの兵士の目的も同じであるが、重要な相違点がある。つまり、彼らの戦いは一日や二日ですむものではなく何日もかかるし、決められた日どころか、いつ始まりいつ終わるのか、どれだけ続くかもわからない。この相違一つですべてが変わる。古代と現代のトレーニングは二つの顕著な事実について一致している。一、異常な訓練によってついた体力は長続きせず、一様に貧弱といえる状態にまで落ち込んでしまう。シジフォスの岩のように、抵抗するものを苦痛に満ちた異常な努力で頂上にまで押し上げると、それが転がり落ちるときの大音声の激しさもすごいものになる。激しい状態は突然の反動を生まざるを得ない。二、異常な緊張からくる痙攣は危険を伴わずにいないことがわかっている。卒中や動脈瘤破裂といった突然の死は、自然の器官を危険なまでに酷使することから起きがちなのである。これもまたギリシャの経験したことだった。力をつけ、安全を確保するには時間をかけなければならない。そんなわけで、プラトンは身体的訓練の大きな法則として、食事、練習、節制、力をつけるための体操などを運動選手の学校から兵士のために借りることをやめたのである。」

 

 プラトンによれば、統治者としてふさわしいのは真実を知るもの、つまりは哲学者である。

 

心底から学ぶことを好む者は、真実在に向かって熱心に努力するように生まれついているものであって、一般にあると思われている雑多な個々の事物の上にとどまって、ぐずぐずしているようなことはないのだ。そのような人は、真実在に触れることがその本来の機能であるような魂の部分――真実在と同族関係にある部分――によって、〈まさに何々であるところのもの〉と呼ばれるべき、それぞれのものの本性にしっかりと触れるまでは、ひたすらに進み、勢いを鈍らせず、恋情をやめることがない。彼は魂のその部分によって、真の実在に接し、交わり、知性と真実とを生んだうえで、知識を得て、まことの生活を生き、はぐくまれて行く。そのようにしてはじめて、彼の産みの苦しみはやみ、それまではやむことはないのだ

 

 

 真実在とは生成消滅しないようなもの、原型、イデアであり、プラトン哲学の根幹をなすものである。しかし、翻って考えるなら、ソクラテス流の対話術、曖昧でぬらりくらりとした答弁のあり方こそ生成消滅の最たるものではないだろうか。

 

 あなたがいま言われるようなことを耳にするたびにいつも、聞く者たちのほうは何となくこういう感じを受けるのです。つまり、こう考えるのです――自分たちは問答をとりかわすことに不馴れであるために、ひとつひとつ質問されるたびに、議論の力によって少しずつわきへ逸らされて行って、議論の終りになると、その〈少しずつ〉が寄り集まって大きな失敗となり、最初の立場と正反対のことを言っているのに気づかされる。そして、ちょうど碁のあまり上手くない者が碁の名人の手にかかると、最後には閉じこめられて、動きがとれなくなるのと同じように、自分たちもまた、碁は碁でもちょっと違った、石のかわりに言葉を使うこの碁によって、最後には閉じこめられて、口を封じられてしまう。しかし、だからといって、真実そのものはけっしてそのとおりのものではないのだ、と。

 

 このように対話者であるアデイマントスに言わせているプラトンがそうしたことに無自覚だったわけがない。プラトンが描いたソクラテスと実際のソクラテスの応対のあり方や思想にどれほどの懸隔があるか、私にはわからない。たしかニーチェはどこかで、ソクラテスの殺害者としてプラトンを批判していた。しかし、体系的な思想などまったく目指しておらず、それについてはこんな話があってね、と逸脱に逸脱を重ねるソクラテスの姿も想像できなくはない。それはソフィストに見まがうものではあるが、キルケゴールが言うように、言論のもっともらしさが霧散し、真理が「人格性」に収束するようなソクラテスである。

 

永遠なる思想が詭弁においては諸思想の無限性のうちに解消するのと同じように、諸思想のこの群がりは、それに対応するソフィスト達の群がりにおいて具体化される。換言すれば、ソフィストを一者と考えることはなんの必然性もないが、これに反してイロニーの人はいつでも一者である。なぜならば、ソフィストは種類、同類、等々の概念に属するが、<イロニーの人>のほうは<人格性>という規定に入るからである。ソフィストはいつでも倦むことなく活動しており、いつでも自分の眼の前に横たわっている何物かに手をのばす。これに対してイロニーの人はどのいちいちの契機においてもそれを自分自身のうちに還元する。しかし、この還元と、それによって起こされる逆流とが、まさに人格性の規定なのである。したがってその詭弁は、イロニーのなかでの一つの役に立つ要素であって、そのイロニーの人がその詭弁によって自分自身を自由にしようと、あるいは他の人から何かを奪い取ろうと、彼はやはりその両方の契機を意識しているのである--すなわち彼は享受しているのである。しかるに、享受こそは、たとえそのイロニーの人の享受がすべてのもののうち最も抽象的なもの、もっとも無内容なもの、単なる輪郭、また絶対的内容すなわち浄福を所有する享受の最も弱い暗示であろうとも、まさに人格性の規定なのである。したがって、ソフィストが勤勉な実業家のように走りまわるのに、イロニーの人は傲然と、自分自身のうちに閉じこもりつつ--楽しみながら、歩くのである。

 

 

 

哲学機械 3 プラトン『国家』

 

国家〈上〉 (岩波文庫)

国家〈上〉 (岩波文庫)

 

 

 第二巻も正義についての論議が続く。しかし、短気なトラシュマコスはいなくなり、グラウコンとアデイマントスの兄弟が聞き手を引き受ける。彼らが望むのは、正義そのものが正しいことを納得のいくように説明してもらうことにある。つまり、ソクラテス流の曲折したアイロニーではなく、もっと直接的な証明が欲せられる。

 

 というのも、トラシュマコスの議論はなし崩しのうちに切り上げられてしまったからである。世界は羊飼いと料理人と航海士だけで成り立っているわけではない。羊、食べる者、船客などへの不正が即座に結果としてあらわれ、しかもそれが自分の不利益にもなるという立場にあるものはむしろ少ない。

 

 グラウコンが一般的に正義の起源と考えられていることとして説明するのは次のようなことである。人間は成長の過程で(それは種族としても個人としてでもあるが)、人に不正を加えることも自分が不正を受けることも経験する。ただ、どちらかといえば、人に不正を加えることによって得られる利益よりも、自分が不正を受けることによる苦しみの方が大きい。だから、「一方を避け他方を得るだけの力のない連中は、不正を加えることも受けることもないように互いに契約を結んでおくのが、得策であると考えるようになる。このことからして、人々は法律を制定し、お互いの間の契約を結ぶということを始めた。そして法の命ずる事柄を『合法的』であり『正しいこと』であると呼ぶようになった。」

 

 正義とは絶対的な基準なのではなく、不正を働きながら罰も受けず利だけを受けるという人間にとって最善のことと、不正を受けながら仕返しもできず我慢するしかないという最悪なこととの「中間的な妥協」でしかない。正義を積極的に善として尊重しているのは、不正をするだけの能力がない者だけだ。

 

 グラウコンは「ギュゲスの指輪」をたとえにだす。ギュゲスはリュディア王に羊飼いとして仕えていた。あるとき、大雨が降り、地震が起き、羊に草を食べさせていたあたりにぽっかりと穴が開いた。降りてみると青銅の馬があった。なかは空洞で、人間の姿はしているが人間より大きいものの死体があり、黄金の指輪をはめていた。それを手に入れ、羊飼いたちの集まりにでていたときのこと、指輪の玉受けの方を手の内側に回すと自分の姿が他人の目に見えなくなってしまうことに気づいた。透明人間になる能力を得た彼は、王の妃と通じ、果てには彼女と共謀して王を殺し、自ら王となった。要は、強大な能力さえもっていれば、誰でも正義という規矩などたやすく踏み越えてしまうだろう。

 

 現に、ごく常識的に世の中を見れば、正義であろうと不正であろうと強者が利益を得ていることは確かである。それを妨げているのは、神の力ではない。ユダヤキリスト教以前には神のうちに絶対的な正義など存在しなかった。ホメロスやヘシオドスを読めばわかるように、神々のあいだには諍いあり、殺しあいがあり、姦通があり、いわゆる不正と思われているものが充ち満ちている。ゼウスが最上の神だといわれているが、それは最上の人間が王と呼ばれるのとさして径庭はなく、ゼウスもまた不正なふるまいにはことかかないのだ。

 

 ギリシャにおいても死後の世界は信じられていたが、神々に欲望があることも当然のこととされていた。様々な祭儀があるという意味で信仰心は厚かったが、それらの祭儀は神々を喜ばせるためになされた。だから、いわゆる不正な行為をどれだけ行おうと、それが地獄での苦しみに直結しているわけではなく、十分な貢ぎ物をして神々を喜ばせていれば、死後の世界でも厚遇されるかもしれないのである。

 

 それゆえ、強者が不正なふるまいによって無理矢理に利益をむさぼろうとはしないのは、世間の評判を気にしてのことでしかない。いかに強者であろうと、世論が形成され、絶対的な多数となると、それを相手に勝つことはできないからである。強者が不正なふるまいをしないのは、世論という自分より強いものをつくりださないためでしかない。

 

 しかし、あらゆることにおいて能力に長けた者がいたとしたらどうか。いわゆる不正と思われていることを実行するだけの勇気と力があり、もしそれが発覚しても世論を納得させる弁論の能力もあり、有力な仲間や財力を有している者がいたとしたら。そんな人物がいたとしたら、「中間的な妥協」でしかない正義に心を惑わされることはないだろう。それが正義であろうが不正であろうが、好きなことを好きなふうにするに違いない。そしてそれが幸福であることも確かだろう。

 

 その対極にある者として、たとえば、ユダヤキリスト教的な神のいない世界におけるアブラハムやヨブを考えてみればいい。彼らは、あるいは息子を生け贄にしようとし、あるいは精神的肉体的苦痛を受け続けるが、それは絶対的な神への信仰を支えにしてのことであり、もし神が存在しないのならば、あるいは、存在するとしても、ギリシャの神々のように気まぐれであったとしたら、アブラハムは息子を生け贄にすることなど考えないだろうし、ヨブはただ深い絶望のうちに沈んでいくだけである。絶対的に無力な人間という観念は、そして絶対的な正義もまた、絶対的な神というものが存在してはじめて成り立つ考えであり、すべてが相対的であるなら、優れた能力をもつ者がそれに対応する利を得るのも当然のこととなる。

 

 正義それ自体の根拠を示すことができないのなら、アデイマントスは言う、「あなたが讃えているのは、〈正しいこと〉そのものではなくて、その評判であり、あなたがとがめるのは、不正な人間であることではなくて、不正な人間だと思われることなのだ。それでは結局、不正な人間でありながらその正体を気づかれぬようにせよ、とすすめていることにほかならない」ことになる。

 

 ソクラテスは、こうした批判に対して、「〈正義〉の味方となって、ぼくにできるだけのことをする」として、自分の議論を繰り広げる。

 

 ぼくたちが手がけている探求は並大ていのものではなく、よほど鋭い眼力の人でなければ手に負えない問題であると、ぼくには思える。で、ぼくたちにはそれほど力量がないのだから、こういうやり方でそれを探求してはどうかと思うのだ。つまり、あまり眼のよく利かない人たちが、小さな文字を遠くから読むように命じられたとする。そのとき誰かが、その同じ文字がどこか別のところにも、もっと大きくもっと大きな場所に書かれているのに気づいたとしたらどうだろう。思うにきっと、これはもっけの幸いとみなされることだろうね――まず大きいほうを読んでから、そのうえで小さいほうのが、それと同じものかどうかをしらべてみることができるのだから。

 

 大きな文字がなにかというと、著作の題名にもなっている国家である。一個人にも正義はあるが、国家にもまた正義があるだろうね、とソクラテスは問い、「ええ、たしかに」とアデイマントスは答える。「ところで、国家は一個人より大きいものではないかね?」というソクラテスの再びの問いかけに、「大きいです」と彼は答える。「するとたぶん、より大きなもののなかにある〈正義〉のほうが、いっそう大きくて学びやすいということになろう。だから、もしよければ、まずはじめに、国家においては〈正義〉はどのようなものであるかを、探求することにしよう。そしてその後でひとりひとりの人間においても、同じことをしらべることにしよう。大きいほうのと相似た性格を、より小さなものの姿のうちに探し求めながらね」

 

 ここでソクラテスは、最小限の人数からなる国家を構想する。最低限必要となるのは衣食住である(着るものと住居とは南国ではより緊急性が減じるだろうが)。また服や靴をつくるための材料のことを考えれば、牛飼いや羊飼いがいる。完全に自給自足の国を建設することはほとんど不可能である。そこで商人や船乗りが必要となってくる。市場ができれば、小売り商人、金を扱う者がいる。

幸田露伴を展開する 12

 

芭蕉紀行文集―付嵯峨日記 (岩波文庫 黄 206-1)

芭蕉紀行文集―付嵯峨日記 (岩波文庫 黄 206-1)

 

 

 また、『野ざらし紀行』の貞享五年冬の句、

  市人にいでこれ売らん雪の笠

 この句は、『野ざらし紀行』では「市人よ此笠うらふ雪の傘」となっており、支考の『笈日記』で上句のように直されている。『笈日記』によると、この句には抱月が脇を付けて

  市人にいでこれ売らん雪の笠 芭蕉

  酒の戸たゝ鞭の枯梅     抱月

となっており、門弟のあいだでも、次をどう続けたらいいか、決着がつけないでいたが、そのときそばにいた杜国が自分も考えてみまたしたと、

  朝風にさき立つ母衣を引つりて 杜国

と続け、感心された。杜国は尾張俳人のなかでは年少だと思われるが、『冬の日』の頃には二十三、四にはなっていただろう。『春の日』の歌仙に杜国が加わっていないこと、その後芭蕉がわざわざ保美まで杜国を訪ねたことを考えると、ちょうど『春の日』の時期に、罪状がいまだ決まらず、自由に他人と会うことができなかったのだと考えられる。

 

 貞享二年から貞享四年のあいだに、杜国の句も、俳席に参加したことも記録に残っていない。そもそも杜国が死を免じられて、所払いになったわけだが、仙台藩において、金華山の傍らの某島が流刑の地として定まっているように、保美が流謫の地であったかどうかははっきりしない。

 

 保美は、三河の最南端で、海を隔てて尾張、伊勢に近いが、東海道よりはずっと引き込んだところにあり、わかりにくいところにある。あるいは、杜国は名古屋に住んで商売をしていたが、その俳号を考えると、謡曲の『杜若』にもある在原業平三河八橋で杜若(かきつばた)の五文字を各句の上に置いて詠んだ歌、

  唐衣きつつなれにしつまあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ

の杜若から採ったのではないかとも想像される。また『冬の日』に「岡﨑や矢矧の橋の長きかな」などは実景をよく知っているからでた句なのではないかと露伴は推察している。

 

 『笈の小文』で再び江戸を立った芭蕉は、名古屋の星崎にとどまり、

  星崎の闇を見よとや啼く千鳥

  京まではまだ半空や雪の雲

の二句をつくり、それぞれの句を発句として、同地の俳人たちと歌仙を巻いている。おそらく、このときに参加者のなかから、杜国が保美に隠棲している現状を知ったものと思われる。『笈の小文』ではこの二句の後に、「みかはの国保美と云ふ処に、杜国が忍びて在けるを訪んと、先越人に消息して、鳴海より跡ざまに二十五里尋ね帰りて、其夜よし田に泊る。」とあるように、もし杜国の居所を知っていたなら、わざわざたどってきた道を戻ったりせず、吉田からすぐに脇道に入り、直行したことだろう。

 

 保美に隠棲してた杜国に対して、芭蕉は『曠野』のなかで「しばし隠れ居ける人申しつかはす」という前書きで

  先づ祝へ梅を心の冬ごもり

という句をおくっている。辺境の地にもかかわらず、身のまわりの世話を惣七という人物がしていた。芭蕉は惣七に対しても「惣七に示す」として文章を寄せている。

旧里を去つてしばらく田野に身をさすらふ人あり 家僕何がし 水木の為に身を苦め 心を傷ましめ 獠奴阿叚が功を争ひ 陶侃が胡奴を慕ふ まことや道は其人を取る可からず 物は其形にあらず 下位に在りても上等の人ありと云へり 猶石心鉄肝たゆむこと勿れ 主も其善を忘る可からず

 

 獠奴以下は杜子が大歴年間、蘷州にいたときに書いた、「獠奴阿叚に示す」という詩があり、そこに「曾て驚く陶侃胡奴の異」という一句があるのにちなんでいる。「陶侃」は「陶峴」の誤りであり、峴の家来の摩訶というものが主に忠を尽くして川で死んだ故事に基づいている。

 

 また、貞享五年、芭蕉が杜国とともに芳野から須磨に旅をしたときには、旅の行路や眼についたものをまとめた手紙を連名で惣七に送っている。細かいところまでの心遣いがうかがわれる。

 

哲学機械 2 プラトン『国家』

 

国家〈上〉 (岩波文庫)

国家〈上〉 (岩波文庫)

 

 

 

 

 第一巻は正義についての議論で占められている。正義の問題は一人だけの生活ではあらわれることなく、人間が社会的に結びつこうとするときに始めたあらわれる問題である。従って、国家が取り得る様々な可能性を考察するときに正義の問題から始めることは理にかなっている。

 

 国とても一国で成り立っているわけではない。戦争が起こるかもしれないし、その準備のためには余計な課税や負担がかかることもあり得よう。戦いのなかで敵を殺すともなれば、正義の基本原則を傷つけることになるかもしれない。その上で、ド・クインシーは正義の基本的な問題を「市民同士のつながりから最大級の力を引き出すにはどうしたらよいか。人の力を最高度までに高めるには、あるいはそうした方向に導くにはどうすればいいか。そして、最後に、こうしたことすべてを人間個人の権利をできうる限り侵害も棚上げもなしにするにはどうすればいいかである。」とまとめている。

 

 この問いかけにプラトンの『国家』は答えているだろうか。

 

 ソクラテスは、アリストンの息子グラウコンとともに、月の女神ベンディスの祭りを見物にペイライエウスまで出掛けていた。帰ろうとするとき、ケパロスの息子ポレマルコスから是非とも夜祭りも見ていくように引き留められる。そして、対話編に通例のように、ソクラテスとその他の者たちの対話が始まる。すでに年老いているケパロスは老年について語るが、彼にとって老年は、立派な家柄の市民であるために適度に豊かであり、生まれつきさほど激しい欲望をもっていないことによってそのつらさが幾分軽減されている。いずれにしろ、特にこの問題は深く追求されることなく、ケパロスは息子のポレマルコスに対話を譲り、正義について語られ始める。

 

 彼はシモニデスの意見として、「友には善いことをなし、敵には悪いことをなすのが、正義にほかならない」(藤沢令夫訳、プラトンからの引用は以下同じ)と主張する(訳者の注釈によれば、この意見は広くギリシア人を支配した伝統的な見解であったという)。しかしこの意見はソクラテス流の反問によって曖昧なものになっていく(たとえば、人間に判断の誤りはつきもので、友や敵、善や悪について間違うことは多々ある)。

 

 ここで、二人の対話をいらいらしながら聞いていたトラシュマコスが割り込んできて、「強いものの利益になることこそが、、いずこにおいても同じように〈正しいこと〉なのだ」と主張する。しかし、ソクラテスは、羊飼い、料理、航海などの例から、自分たちのことよりも、支配されるものの利益を考えるのが普通ではないかと反論する(たとえば、羊飼いは羊が健康で丈夫に成長することにまず関心を払うだろう)。こうした議論の末、「〈正義〉は徳(優秀性)であり知恵であること、〈不正〉は悪徳(劣等生)であり無知である」というとりあえずの結論が提示される。

 

 トラシュマコスは、解説の藤沢令夫によれば、黒海入り口のカルケドン出身の弁論家で、ソクラテスとは最小限十歳以上年少であるらしい。プラトンにおけるソクラテスの対話篇というと、穏やかにソクラテスが若者たちに問いかけていくものが圧倒的に多いが、トラシュマコスは最初からけんか腰で、「もし〈正義〉とは何かをほんとうに知りたいのなら、質問するほうにばかりまわって、人が答えたことをひっくり返しては得意になるというようなことは、やめるがいい。」と対話篇に共通する弱点を指摘する。実際、ソクラテスは自分の意に染まない答えについては容易に受け入れようとはしないし、明らかに誘導していると思われる。

 

 もっとも私も以前はそうしたことが気になって仕方がなかったのだが、のらくらしたソクラテスの態度にある人間的な魅力を感じるようになってきたのである。次のようなラッセルの指摘も納得できるものである。

 

ソクラテス方法によって処理するに適当な事柄とは、次のようなものである。すなわちすでにわれわれが、正しい結論に到達しうる十分な知識はもっているが、思考の混乱だとか分析のし足りないために、われわれの知識をもっとも論理的にうまく利用することが、できなかったような問題なのである。「正義とは何か?」というような問題は、プラトン的対話で討論するのに著しく適している。われわれはすべて、「正」とか「不正」という語を自由に使っているが、その使い方を検討することによって、われわれは帰納的に、慣用法にもっとも適した定義に到達することができる。それらの語がどのように用いられているか、ということだけを知っていればたくさんなのだ。

 

 

 ソクラテスプラトンととりあえず分離したときには、この観察は正当だといえるだろう。プラトンの対話篇には、およそ「正義について」だとか「友愛について」といった副題がついているが、そこで行われることは、正義なり友愛について絶え間なく周回し、使い直すことであり、もっとも腑に落ちる用法を見いだすことなのである。

 

 国家について考える際に、その土台ともなる正義がなければ、終わりのない戦争状態に巻き込まれてしまうこと、また正義がなければ、神々の好意を受けることができないことからも、是非とも正義についての考察が必要であることは認めながらも、すでにこの第一巻目からしてド・クインシーはプラトンに対して手厳しい。すなわち、

 第一に、あまりに乱雑で偶然に頼りすぎていて、後に続く論及の進み具合を予示しているとはとても言えない。

 第二に、あまりに言葉だけに、細かいところばかりにこだわりすぎている。

 第三に、後に続く部分と関連性がない。次に続く長い論考の入り口としては活力がなく無用なもので、議論の自然な移行が認められない。

 

哲学機械 1 プラトン『国家』

 

国家〈上〉 (岩波文庫)

国家〈上〉 (岩波文庫)

 

 

 

国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)

国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)

 

 

 ニーチェを改めて読み返そうと思った。しかし、その前にショーペンハウアーもまたちょっと読んでおこうかと思った。『意志と表象としての世界』をだいぶ以前に読んだが、それほどはっきりおぼえていなかったからである。

 

 ところがショーペンハウアーを読んでいると、彼がヘーゲルに対する痛烈な批判者であることは、数十年前に読んだもはや名前もおぼえていない論文が、最初から最後までヘーゲルのことなど批判する価値もないかのような、罵詈雑言であったことをおぼえていたので意外性はなかったが、総じて学問的なことについては謙虚な人物であり、なかでもプラトンとカントを非常に敬愛している。カントについては、「物自体」についての扱いを間違えたということで批判を寄せているが、ヘーゲルに対する罵詈雑言とは異なったまともな敬意のこもった批判である。

 

 そんな脇道にそれているうちに、プラトンを読み返したくなった。以前のブログで「逸脱するソクラテス、あるいは・・・・・・ーープラトン『国家』」を書いたが、面倒になって途中でやめてしまった。ややその文章に手直しを加えながら、読み直してみたいと思う。

 

 ド・クインシーには「プラトンの『国家』」というエッセイがある。前置きのあとに『国家』全十巻の各巻について簡単な概略を述べ、それに注釈、批判を加えているものである。意外なことにと言うべきか、ド・クインシーはそこでプラトンを容赦なく批判している。少しくその論調を見てみることにしよう。プラトンアテネ文化、つまりはギリシャの最高の時期に生まれたことは認めている。

 

  ペリクレス統治の最も華々しい時期の直後であり、それに結びついているプラトンの青年期以上にギリシャの知性とギリシャの洗練を例証できる時はない。実際、ペロポネソス戦争の時期――ギリシャが分裂して戦った唯一の戦争であり、努力や競い合うことで得られる名誉をもたらした――クセノフォンや若いキュロスと同時代であり、アルキビアデスは成人しており、ソクラテスの晩年にあたる、こうした同時代人と共に戦争と変革に満ちた休戦状態の繰り返しのなかプラトンはその燃えるような青年期を過ごした。

 

 ペリクレスの輝くばかりの落日はまだアテネの空を焦がしていた。創造されて間もない華麗な悲劇と華やかな喜劇とがアテネの舞台を埋め尽くしていた。都市はペリクレスとフェイディアスという創造者の手になっていまだ新鮮であり、美術は絶頂点に向かっていた。そしてプラトンが成年に、法律上の能力をもったと思われる時期、つまり、キリスト生誕のちょうど四一〇年前には、ギリシャの知性はアテネにおいて絶頂を迎えていたと言われている。

 

 アレキサンダー以後の時代はアジアほか外国の影響を受け、さらにそれ以後となるとローマのくびきにつながれ、ギリシャが自国に根付いた言葉を話すことは再びなかった。いわばプラトンの時代のアテネは円満具足していた。だが、このことは、彼の欠点を浮き彫りにもする。以下、ド・クインシーが哲学者プラトンの著作一般に見られるとする欠点を挙げてみると、

 

 1.他国の影響を受けず、自足したアテネ文化で、いわばアテネ的な知性の代表者として著作したプラトンは、そのときギリシャの知識人たちの関心を引いている問題にかかずわり過ぎた。ある意味そうした問題についてのばらばらなエッセイをまとめたものに過ぎない。それゆえ、彼の哲学とされるものには体系的な全体など存在しない。すべてが断片的な意見である。プラトン以後体系的な、総合的な哲学を目指したものにアリストテレスデカルトライプニッツ、カントがいるが、彼らでさえ完成に近づくことはなかった。プラトンの多様な対話を切り貼りして、整合的な体系をまとめ上げようとすることが一般的な傾向となっているが、断片的で一貫性のない著作のどこに一貫性への志向さえ見いだされるだろうか。

 

 2.対話編には数多くの人物が登場するが、彼らの語る言葉がどこまで本人のものであるのか読者にはわからない。また、提示される教義が仮説なのか、対話を先に進めるための戦略なのか、あるいはプラトンおよびソクラテスが真に納得して採用したものなのか、我々には判断するすべがない。

 

 このことには、プラトンが出くわした出来事、つまりソクラテスの死に大きく関連している。『ソクラテスの弁明』で描かれたように、アテネ市民の不寛容によってソクラテスは毒杯を仰ぐことになった。このことは師匠の死という衝撃のほかにも、自由な探究心や発言をくじくものであったに違いない。その結果、あり得べき非難や迫害を逃れるために、プラトンはその教義に二重性をもたせるにいたった。この点がド・クインシーのもっとも強く非難するところでもある。

 

 3.およそ人間精神一般に関わることで、二重の教義などは考えられない。絶対的真理ともっともらしい真理をともに保持しながら、哲学的本性の問題にどこまで踏み込めるだろうか。もっともらしい真理を選択した瞬間、真の真理は犠牲にされるだろうからである。

 

 4.もし二重の教義が可能であるなら、ソフィストたちの弁舌や演劇的身振りを採用していることになるが、各種の対話編に明らかなように、プラトンソクラテスの言葉を借りて、繰り返し彼らに対する軽蔑をあらわにしていたはずである。

 

 5.さして豊かでもない思想を、思想を盛りこむには不適切な会話という様式を用いること自体に無理がある。「貧しい男が、最大限に手を尽くしても粗末な家を見苦しくない程度に維持していくにも足りないときに、町と田舎に二軒の家を持つと公言するなら、彼に対する軽侮の念は十倍にもなろう。あるいは、カエサルと同等の位にあると思いたがっているほら吹きの秘書官が三人の筆耕に同時に口述しようとし、尊敬に値するような仕方で一人の相手をするのにも自分の持っているものではまったく足りないことが痛いほど明らかになったときの、この惨めな山師のことを読者は想像してみてほしい。」とド・クインシーは言っている。

 

 6.もし二重の教義がうまくいったとしよう。しかしそれには、真と偽とをわける鍵が誰かに伝えられなければならない。いずれにしろ彼は、そうした解釈の伝統が、中断を被ることなしに、何世代ものあいだ続くと考えるほど人間が偶然に左右されることに関して無知だったのだろうか。実際、もしそうした伝統があったとしても、現在では失われてしまって、修復できないほどになっている。どの部分がフラトンの本当の意見なのか、どれが当面の反対や対立を避けるための表面的な同意なのか、あるいは単に会話を長引かせるためだけのものなのか、誰にも理解できない。意味が不明瞭であっても、考え方に統一性がある哲学なら、真の教義にたどり着く可能性はあるが、二重性のある哲学では、理解から決して曖昧さを取り除くことはできないのである。

 

 『国家』は実際的な問題が扱われていること、しかも直接的な政治批判となっていない点において、他の著作よりは上記のような二重性を免れているといえる。

 

 だが、プラトンの信奉者が抱いているような純粋性については、どうみてもその痕跡さえ見出せないだろし、先見の明については、それを定義されていない観念の意味にとるならば、十分以上にある。