2018-08-27から1日間の記事一覧

三池崇史『神様の言うとおり』/ベルイマン『この女たちのすべてを語らないために』/ナ・ホンジン『哭声ーコクソンー』

『CUBE』や『SAW』以来だろうが、登場人物が気づかぬうちにこの世界とまったく別のルールが支配する別の世界に投げ込まれる、シチュエーション・ホラーというか、サスペンスはすっかり濫用が続き、もはやそのことによって作品の仕掛けとして目立つものでは…

イングマール・ベルイマンの『第七の封印』/クローネンバーグ『イグジステンズ』/キャスリン・ビグロー『ゼロ・ダーク・サーティー』

学生のとき以来、見たいと思っていた映画をようやく見ることができた。イングマール・ベルイマンの『第七の封印』(1956年)である。 ベルイマンは『ペルソナ』『沈黙』『叫びとささやき』などは学生のときに見ている。確かこの三本立てだったはずで、連…

象の皺と恐ろしい音――ジョージ・オーウェル『象を撃つ』

ローマ帝政期の軍人であり文人であったプリニウスと『一九八四年』の作者であるオーウェルに特に接点はない、だろうと思う。オーウェルがプリニウスを読んだかどうか、オーウェルのそれ程熱心な読者ではない私にはわからない。ただ、積極的に政治にコミット…

濡れ浴衣三味線の音をしたたらし――森鴎外『そめちがへ』

明治30年「新小説」に掲載されたもので、鴎外のなかでは唯一、江戸文学の雰囲気を濃厚に残したものであって、生涯の著作を通じてそう大きく変化することのなかった簡潔な文章は、短編ではあるものの会話も手紙の文も描写も地の部分になだれ込んで途切れるこ…

マルホランド変奏曲――デヴィッド・リンチ『マルホランド・ドライブ』(2001年)

脚本、デヴィッド・リンチ。撮影、ピーター・デミング。音楽、アンジェロ・パダラメンディ。出演、ナオミ・ワッツ、ローラ・エレナ・ハリング、アン・ミラー。 アメリカの哲学者で、映画についての著述も多くあるスタンリー・カヴェルは、間違った記憶もその…

プランク常数と花鳥――石川淳『雅歌』

『雅歌』は石川淳の昭和二十一年作の短編小説。なぜか石川淳自選の岩波の『石川淳選集』には収められていない。手近の文庫にも収められておらず、全集にあたるしかないようだ。 特に筋らしい筋はなくて、過去の、そしてつい最近の女性との交渉や、そうした女…

消える魔球――スタンリー・キューブリック『2001年宇宙の旅』(1968年)

原作、アーサー・C・クラーク、脚本、スタンリー・キューブリック、アーサー・C・クラーク、撮影、ジェフリー・アンスワース、ジョン・オルコット。出演、デヴィッド・ボウマン、フランク・ブール。 20年、あるいは30年くらい前のことなので、記憶が正…

第四の女――ゲーテ『親和力』

1809年、『ファウスト・第一部』の完成の後、ゲーテがおよそ60歳のころ、『親和力』が発表された。『ウィルヘルム・マイスターの修業時代』に続く、畢生の大作『ウィルヘルム・マイスターの遍歴時代』の構想を練るなかで、そのなかに組み込む短篇小説…

寝台の舟――ロジェ・カイヨワ『幻想のさなかに』

原書は1965年にフランスのガリマール社から刊行されている。 翻訳の副題は「幻想絵画試論」で、その通り、絵画にあらわれた幻想が中心に扱われている。 カイヨワはシュルレアリストたちとも近かった人物で、メキシコに飛び跳ねる豆があり、アンドレ・ブ…

物化の手がかり――アーヴィング・バビット『ルソーとロマン主義』

花田清輝の初期のエッセイを読むと、ときに、バビットという名前がでてくる。アーヴィング・バビットは一八六五年オハイオ州に生まれたアメリカの批評家、生涯の大半、ハーバード大学でフランス文学を講じ、一九三三年に死亡している。記憶が定かではないが…

非情物語――上田秋成『雨月物語』

安永5年(1776年)の刊行。白峯、菊花の約、浅茅が宿、夢應の鯉魚、仏法僧、吉備津の釜、蛇性の淫、青頭巾、貧富論の9篇からなる。読本といわれるものの代表のひとつである。 なかで私は「夢應の鯉魚」と「貧富論」が好みである。「夢應の鯉魚」は、鯉の絵で…

軌跡の人――ナ・ホンジン『チェイサー』(2008年)

脚本、ナ・ホンジン、イ・シンホ、ホン・ウェンチャン。撮影、イ・ソンジェ。音楽、キム・ジュンソク、チェ・ヨンラク。出演、キム・ヨンソク、ハ・ジョンウ。 実際の起こった事件を題材にしているらしいが、事実と虚構の境目がどのあたりにあるのか、その辺…

過激な中庸――吉田健一『交遊録』

1974年新潮社から刊行された。雑誌『ユリイカ』に昭和四十七年七月号から翌年の六月号まで十二回にわたって連載された。 取り上げられているのは、目次そのままに書き出せば、牧野伸顕、G・ロウェス・ディツキンソン、F・L・ルカス、河上徹太郎、中村…

死の活人画――ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』

1936年8月の『エスクワィア』誌に発表された。 1933年から34年にかけて行われたアフリカ旅行をもとにして書かれた自伝的要素の強い短篇だといわれている。 1936年ころのヘミングウェイは、『武器よさらば』の成功から、それをしのぐような作品…

断片と不連続のホラー――ミヒャエル・ハネケ『セブンス・コンチネント』(1989年)

撮影、トニー・ペシュケ、出演、ピルギット・ドル、ディータ・ベルナー、脚本はハネケが兼ねる。ハネケのデビュー作。 ハネケはそれほど好きな監督ではない。ただ出来事を映しだすだけで、その意味や解釈を提供しようとは思わない、とインタビューなどでは自…

江戸をのぞき見――馬文耕『武野俗談』

私が読んだ本では、著者名は馬文耕となっているが、通称であるらしく、各種事典では馬場文耕になっている。江戸中期の講釈師で、生年は京保3年(1718年)、宝暦になって、美濃国(岐阜県)で起きた大規模な百姓一揆が、幕府の評定所まで巻き込み、老中、…

魔術的脚本――プレストン・スタージェス『偉大なるマッギンティ』(1940年)

撮影、ウィリアム・C・ミラー、音楽、フレデリック・フォランダー。脚本は監督であるスタージェスが兼ねている。 スタージェスはもともとは脚本家だったが、必ずしも自分の脚本の映画化には満足できず、パラマウントに脚本料は1ドルでいいから、監督もさせ…

悲哀とはどんなものかしら――フロイト『無常ということ』

1915年に発表された。 フロイトは、第一次大戦の一年前、寡黙な友人と、若くしてすでに名を成していた詩人とともに、花の咲きそろう夏の風景のなか散歩をしたという。しかし、その豊饒な夏の風景に対する詩人の対応はフロイトとは違っていた。 詩人は、…

恋人の墓を訪れれば・・・――ポオ『ベレニス』

『南部文芸通信』の1835年3月号に発表されたが、1840年1月14日付の『ブロードウェイ・ジャーナル』に転載されたときに、多くの削除訂正があった(訳者の大岡昇平の注による)。エブン・ザイアトの「友人は言った。恋人の墓を訪れれば、少し憂いが晴れやしな…

汎アジア的な水路――押井守『GOAST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995年)

原作・史郎正宗、脚本・伊藤和典、音楽・川井憲次、声優・田中敦子、大塚明夫、山寺宏一など。 ちなみに、私はテレビ・シリーズのアニメーションや映画はすべて見ているが、原作はまったく読んでいない。 世界観を説明するのは容易ではないが、誰もがスマー…

ダーティハリー0型ーードン・シーゲル『マンハッタン無宿』(1968年)

原作・ハーマン・ミラー、脚本・ハーマン・ミラー、ディーン・リーズナー、ハワード・ロッドマン、撮影・バッド・サッカリー、音楽・ラロ・シフリン。 原題はCoogan's Bluffで、クーガンは主人公であるイーストウッドの役名であり、ブラフはポーカーで自分は…

ブラッティに進路をとれ――ウィリアム・ピーター・ブラッティ『エクソシスト3』(1990年)

監督のブラッティが原作、脚本もつとめている。撮影、ジェリー・フィッシャー。音楽、バリー・デ・ヴォーソン。 ブラッティは第1作のフリードキンの『エクソシスト』(1973年)においても原作と脚本を書いており、1980年には『トゥインクル・トゥイ…

失くした自分と三角の月――稲垣足穂『一千一秒物語』

大正12年1月に「金星堂」で刊行された。およそ70篇の短篇どころか掌編ともいえない詩に近いものが集められている。長くとも2ページ、短いものは2行で終わり、句読点もないので、形式的には詩といっても通じるが、文章の骨格自体は完全に散文である。足穂…

リアリティのありか――ポール・ヴィリリオ『戦争と映画』

原著は1984年にフランスで、『カイエ・デュ・シネマ』の叢書の一冊として出版された。『カイエ・デュ・シネマ』といえば、ゴダール、トリュフォー、クロード・シャブロル、エリック・ロメール、ジャック・リヴェットたちが、映画批評家として参加し、のちに…

隅田川という主人公――永井荷風『すみだ川』

1909年12月春陽堂発行の『新小説』第十四年第十二巻に発表され、1911年(明治44年)に籾山書店の小説戯曲集『すみた川』に収録された。その後現在の形になるまで、細かい点で多くの修正、加筆などがされている。 俳諧師の松風庵蘿月と常磐津の師匠を…

流動と旋回――花田清輝『復興期の精神』

1946年に我観社より刊行された。我観社は同年発足した真善美社の前身であり、真善美社はこの本の出版によって始まった。第二版はすでに真善美社刊となっている。収録されたエッセイのほとんどは戦前、戦中に『文化組織』に発表された。 『文化組織』では…

色彩にあふれた曖昧な対象――泉鏡花『龍潭譚』

明治29年11月に発表された。 躑躅が盛んに咲いているというから、夏にはまだ至らない4,5月のことなのだろう。優しい姉に一人で外にできてはいけないよ、といわれていた幼い弟が、山というのほどのことないだらだら坂の続く岡を上ったり下りたりしているうち…

そのものの海――坂口安吾『私は海をだきしめていたい』

昭和22年1月1日発行の『婦人公論』の文芸欄に発表され、真光社から昭和22年に刊行された『いづこへ』に収められた。 筋らしい筋はなく、 私はいつも神様の国へ行こうとしながら地獄の門を潜ってしまう人間だ。ともかく私は始めから地獄の門をめざして出掛け…

庭という世界劇場――林達夫『作庭記』

初出は未詳であり、岩波書店が1939年7月に刊行した『思想の運命』に収録された。第二次世界大戦が始まった頃、あるいはどちらにせよ、参戦にどんどん傾いているなかで書かれたものであるのは確かで、 身についた「外国感覚」(サンス・ド・トランジェとルビ…

愚かさの世界――谷崎潤一郎『刺青』

明治四十三年十一月号の「新思潮」に掲載された。短編小説。翌明治四十四年の十二月には、「麒麟」「少年」「幇間」「秘密」「象」「信西」と合わせて、『刺青』という表題で、籾山書店から刊行される。 「其れはまだ人々が『愚』と云ふ貴い徳を持つて居て、…