幸田露伴

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈56

櫛箱に餠すゆる閨ほのかなる 荷兮 一句は、遊女の室中で、櫛などがある鏡台のあたり、白紙を折って新年の飾りの葉を敷いて、小さな餅を据えたところに灯火がほのかにさしている様子である。遊女たちは、幸先がよいことを願って、座敷の床の間に大きな鏡餅を…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈55

禿いくらの春ぞかはゆき 野水 禿はかぶろともかむろともいい、本来は髪がない意味で、髪振(振り乱した髪)という意味は間違っているだろう。髪を束ねないのを禿というのは、あるべきものがなく、冠もかぶっていないことからいうのだろう。『源平盛衰記』巻…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈54

初花の世とや嫁のいかめしく 杜國 「嫁」は「よめり」と読むべきであり、動詞から派生した名詞と読まなければここではよくない。「よめ」と読んで、字足らずなので脱字があるとして、「初花の世とてや嫁」とするひとがあるのは間違っている。この句もまた句…

幸田露伴「あやしやな」

明治二十二年の短編。日本人が一人も登場しない。ある男が死に、殺人事件と疑われる。関係者のうち、妻と医者は容疑を離れ、夫婦の娘に乱暴をはたらき、自殺に追いやった伯爵が犯人だとわかる。ゴシックロマンス的な探偵小説を目指していて、幽霊のようなも…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈53

こつ/\とのみ地蔵きる町 荷兮 前句は漁師町近くの旧家などの古びた様子を句にしたが、ここでは石工の仕事場としていて、一転奇警で無理がなく、この句非常に愛すべきものである。きるは刻み削って形をつくりだすことである。石を出す地も多く、房州保田金…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈52

縄あみのかゞりは破れ壁落ちて 重五 蹴鞠をする場所を「かかり」というので、かがりを誤って鞠場と解したものもあるが間違いであり、取りがたい。蹴鞠の場は四方に竹の囲いを作るのが習慣で、壁、縄編みなど用いるとは聞いたことがないし、また、松桜楓柳を…

幸田露伴「是は/\」

質屋の佐野平に鹿鳴館から使いが来る。伺ってみると、貴婦人がいて、巨瀬金岡、古土佐、探幽応挙、容斎北斎などを気に入って七千円程度、千円だけ手付けにして取り置いてもらっているが、すでに日本で買い物をしすぎ、本国から送ってもらっているが、まだ一…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈51

月は遅かれ牡丹ぬす人 杜國 月は遅れ、いま少しでてくれるな、さて牡丹盗人となろうということである。前句を転じて、小三太に盃を取らせ、酔いをよそおいて戯れると見なしての付け句である。「月は遅かれ」の言葉づくり、何となく謡いめいて面白く、あるい…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈50

小三太に盃取らせ一ッうたひ 芭蕉 小三太は特定の人物の名ではない。ただその人柄をあらわすだけの仮の名である。旧註には、扈従の童であるとか子供だとしてある。主従のちぎりが深く、頼み頼まれる関係の侍などであろう。一句は前句を受けて、明日を必死の…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈49

明日は敵に首おくりせむ 重五 これもまた前句を意想外のところに転じて、術つき力もきわまって、明日は敵に自分の首を授けることになろうと決心した勇士が、この命を捨てて戦死するには心にかかる雲もないが、ただ自分の瘤の異様に大なのを見て、情なき敵の…

幸田露伴「一刹那」

明治二十二年の短編。露伴は他の作家と比較して、小説形式の仕掛けを工夫していて、この小説では「一刹那」という言葉をきっかけにして状況が変わる。短編だが、さらに三つの話から構成されている。第一は、放蕩の末財産をなくしていまはらお屋をしている男…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈48

口をしと瘤をちぎる力無き 野水 「瘤」ははふすべと読んでも、しいねと読んでもいいが、ふすべと読まれてきた。こぶである。『倭名抄』に従おうとする者はしいねと読むべきだろう。前句の縁さまたげの恨みを縁談不成立と見なして、ここでは花婿になろうとし…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈47

縁さまたげのうらみ残りし 芭蕉 従姉妹のために縁を妨げられたことがあり、恨みが残っているという解は受けいれがたい。本来は従姉妹と縁があったものを、親の家が衰え傾いて親類のあいだで疎まれるようになったとか、あるいは他の家より強引に娘をその男に…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈46

床更けて語ればいとこなる男 荷兮 前句の「只なきになく」を人が泣いたものと見なしてこのつけ句になる。遊女と旅人が偶然に会い、国なまりの言葉の端から、問いつ問われつしていとこであることを知り、やむない理由で奥州を出たきさらぎの昔はこれこれとい…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈45

奥のきさらぎを只なきになく 野水 田螺をとって生活しているものが二月の寒さに泣く、という旧解のまずさは言うまでもない。また、実方中将奥州に下ったところ、五月になって民家が菖蒲を葺かないので、尋ねてみると、この地には菖蒲はないという。実方浅香…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈44

雨こゆる浅香の田螺ほり植ゑて 杜國 『古今集』巻第十四、「陸奥のあさかの沼の花かつみかつ見る人に恋ひやわたらむ」、読み人知らず。また『著聞集』巻第十九、圓位上人、「かつみ葺く熊野詣のやどりをば菰くろめとぞ言ふべかりける」。『俊頼散木棄歌集』…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈43

桃花を手折る貞徳の富 正平 松永貞徳は洛外に五つの庭園をもっていた。梅園、桃園、芍薬園、柿園、蘆の丸屋である。句の意味は解釈するまでもなく明らかである。前句とのかかりは、前句の悠々自適の様子に応じたまでのことである。貞徳は長頭丸といわれてい…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈42

麿が月袖に羯鼓を鳴らすらむ 重五 「麿が月」、麿を所有格として解釈してはならない。深川夜遊の「唐辛子の巻」に、「伏見あたりの古手屋の月」という芭蕉の句があるが、古手屋が月の主ではなく、古手屋のあるところの空に月がかかっているのである。ここも…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈41

鶉ふけれと車引きけり 荷兮 鶉の啼くのをふけるという。細川幽齋に、いい鶉の値を問うと五十両だといわれたので「立寄りて聞けば鶉のねも高しさても欲にはふけるもの哉」という狂歌がある。ふけるの語の意味、これによって知るべきである。車引きけりは、搢…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈40

野菊までたづぬる蝶の羽折れて 芭蕉 句は言葉通りで解する必要もなく、明らかである。ただ、発句は初雪で冬、脇も霜で同じく冬、第三句は野菊で秋だが、美しい園の菊ではなく野菊までといい、蝶も元気ではなく羽が折れているといっているので、前句との写り…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈39

霜にまた見る朝かほの食 杜國 または復であり、まだではない。朝顔の食は、花の酒、露の宿などというようなもので、興のある言葉づかいで、強いて問い詰めるべきではない。朝非常に早く食べる飯ということである。見は朝顔にかかり、食にはかからない。前句…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈38

初雪の巻 思へども壮年未だ衣振はず 初雪の今年も袴きて帰る 野水 左太沖の詩に「被褐出閶闔、高歩追許由、振衣千仞岡、濯足万里流」とある。被褐懐玉は徳を包み世を避ける意味で、『孔子家語』に出ている。閶闔は洛陽城西門のこと。許由は朝廷に位があった…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈37

廊下は藤のかげつたふなり 重五 一句は穏当で難なく、藤の花の美しく、春の日が柔らかに射したる廊下の様がめでたくのどかで、うるさく解するまでもない。これで一巻が終わるが、最終の句を揚句という。揚句の様は、必ずしも拘泥する必要もなく、稀には陰惨…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈36

綾一重居湯に志賀の花漉きて 杜國 旧解が多々あって、その是非を急には定めがたい。ある本には、志賀の山水を家風呂に汲みいれて、浮いた落下を綾ですくい取る様子だとある。家風呂を居湯といった例があるか、まずそれが疑わしく従いがたい。ある本には、居…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈35

今日は妹の眉かきに行 野水 漢の張敞の故事などを引いて解釈するのはここではあてはまらない。妹とあるので、夫婦閨房の痴態ではないことは論ずるまでもない。眉を描くのは、青い黛でその人の顔の輪郭に似合って美しく見えるように描くもので、眉の形にはい…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈34

我が祈あけがたの星孕むべく 荷兮 前句をこのしろの供物をいただいて、天に子供を願うさまと見立て、よき一子を得たと喜ぶ様である、と古註では解釈してある。『鶯笠』は、神前に捧げて祈るのではなく、頭に戴き、潔斎断食して台上に立ちつくし、天に祈る様…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈33

箕にこのしろの魚をいたゞき 杜國 鰶を昔から「このしろ」と読み、また鯯も古くから「鯯」と読んできた。本によっては鮗とあるものもあるが、鮗もまたこのしろであり誤りではない。『新撰字鏡』に見えるもので、難ずる者は却って間違っている。字彙字典に見…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈32

牛のあと吊(とぶら)ふ草の夕ぐれに 芭蕉 古註に、これは『大和物語』の面影だと言っているのは良くない。『大和物語』に同じ女(南院の今君で、右京のかみむねゆきの女)巨城が牛を借りて、また後に借りにやったのに、奉った牛は死んでしまったといった。…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈31

巾に木槿をはさむ琵琶打 荷兮 巾は元の意味は小さいきれであり、ゆえに手を拭うものを手巾といい、すなわち手拭であり、食器を覆うものを巾羃といい、すなわちいまの俗語の布巾である。髪を隠すものも巾といい、すなわち頭巾であり、露を受けるもの、髪を覆…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈30

日東の李白が坊に月を観て 重五 李白は酒客であり詩仙である。「李白一斗詩百篇」という詩句も名高いので、前句を酉水一斗盛り尽くすと取って、月を賞しつつ飲み明かすさまを付けたという古解には従いがたい。うがち過ぎの解釈というべきである。日東の李白…