慎ましく確かなリアル――トッド・フィールド『イン・ザ・ベッドルーム』(2001年)

 

 

 セックスや暴力の過激な描写をもって、あたかもよりリアリティに肉薄にしているかと感じるのは、いかにそれがよくできているとしても、錯覚である。
 
 たとえば、くしくも非常に近い時期につくられたスピルバーグの『プライーベート・ライアン』の冒頭、ノルマンディ上陸の場面は、確かに迫真の力をもっており、ある視点から見た戦争のリアリティにより近づいているのかもしれない。しかし、当然のことながら、戦場の戦士たちは映画を見るように、傷つくことのない安全な視点から、戦場を体験しているわけではない。我々が感じているのは、エスカレートした、インフレ化したリアリティである。
 
 事情は戦争にとどまるものではない。ごく平凡な日常が描かれているにしても、実際にその状況におかれたときに我々は、ごく限定された空間の限定された時間の一部を経験するだけで、たとえば隣人の生活さえ見ることができるわけではない。
 
 そうした意味で、映画は常に過剰なリアリティにさらされており、別な言葉で言えば、覗き見の欲望を満足させるものでもある。カメラを向ければ映ってしまう、ある意味中立的な機械に忠実であるはずのリアリズムが、直接的な欲望と背中合わせであることが映画を複雑なものにしている。
 
 大学生の息子が夏休みのあいだに実家に帰っている。そこは小さな漁村で、父親が開業医をしている。息子は近くに住む子持ちで夫との離婚を考えている女性と恋人になる。はじめは一夏の関係だと思っていたのだが、関わりを深めて行くに従い、一過性のものとは感じられなくなっていく。
 
 ところが、そこへ女性の夫が帰ってくる。どうやら刑務所に入っていたらしい。暴力的な男のようで、新たな恋人である彼は、こっぴどく殴られる。しかし、すでに愛を感じていた二人は別れることなく、関係を続けていくが、大学生の彼が銃で撃たれ、殺されるという最悪の結果を招いてしまう。
 
 二人の関係を一番不安をもって見守っていたのは母親(シシー・スペイセク)だった。父親(トム・ウィルキンソン)は、大学生とはいえもう大人であるから、息子個人の判断に任せるという態度を保っていた。そこに最悪の結果が舞い込んだので、親二人のあいだにもぎくしゃくしたものが徐々にたまっていき、最後にはなんらかの行動を起こさないわけにはいかなくなる。
 
 暴力をどれだけ過激に描くかに熱心な映画が多いなかで、この映画ではほとんど暴力が演じられることはない。恋人の夫が帰ってきて、諍いになり殴られる場面もないし、銃で撃たれる場面も描かれない。それだからこそ、息子を殺される初老の夫婦のリアリティが確かなものとして伝わってくる。すでに起きた出来事について、各人に認識の濃淡があるというごく当然なことを再確認させてくれる映画である。両親は息子が殴られたことも、銃で撃たれたことも自分の眼で確認しているわけではなく、息子から、また第三者の口から伝え聞いたに過ぎない。つまり、なんでも視覚化することにリアリティがあるのではなく、五感にはとらえられない気配を含めた全体にリアリティがある。そして、ある行動を決断した父親、その行動を確認する母親の対応の濃淡も鮮やかに浮かび上がる。