春の世界と世界の春ーー佐藤清美『句集宙ノ音』

 

宙ノ音

宙ノ音

 

 

 幸田露伴芭蕉とその朋輩、門人たちが詠んだ歌仙を中心として成立した『七部集』を評釈した。俳諧は、一方では和歌の伝統を継承し、他方では和歌とは異なり、日常的なもの、世俗的なものを取り入れたから、考証の働く余地を大きなものとした。そこで露伴の和漢の古典や生活に根づいた膨大な知識が存分に発揮された代表作となっている。
 
 ところが、仮名遣いや歌仙のある程度の約束事、それにおおよそ寛永から元禄を生きた芭蕉とその門弟たちの生活環境と彼らが知っていたと思われる古典と故事を明らかにする考証の部分を除くと、つまり、詩の部分に関しては、「句情句意おのづから明らか」になった上は、繰り返し味わえばいいとしか述べていない。
 
 たとえば、芭蕉の有名な句に「古池や蛙飛こむ水の音」がある。様々な解釈がなされており、禅における悟りを説いたものだとも言われている。しかし、禅などと言い出すならば、室町時代連歌を完成させた二条良基の『筑波問答』という著作がある、と露伴は論じる。そこには、春のころ、古池に生い茂った草を刈ると、古木となった松と苔深い岩の取り合わせなどよりも、蛙の鳴き声がすだく水の面のほうが趣が深い気がして、春雨がしめやかにうち続いて晴れ間のないころなどは眺めていることが多かったが、そんなときに松の戸を叩く音がして、誰が来たのだろうと行ってみると、という一節を引用して、ここには古池があり、蛙があり、そしてそのあとを俳諧流に訪ねてくるものもいないと一転し、ただ蛙が飛びこむ水の音だけがある、と解釈される。連歌の先達である二条良基の言葉は、俳諧においても尊重されたはずであり、禅などと見当違いの解釈を持ちだすよりはずっと理にかなっている。
 
 ところが、ここが露伴の面白いところなのだが、強いてそう解釈することは芭蕉の真意を失うことになるだろうと身を転じることにある。そこで詩そのものの評釈としては、「難語も無く、綺詞も無く、典故の𨗉無く、技巧の幻無く、清平の世界、天晴れ地明らかに、たゞ此一句あるのみ。」となり、つまり、たとえ二条良基の文章が芭蕉の教養として頭の隅にあったとしても、すでにそれは書架から引き出して参照するものではなく、芭蕉が生きている世界と融合しており、風が空間を流れるように、水流が水のなかを流れるように、世界そのものの軌跡、あり方として言葉がある。
 
 佐藤清美の句集は、そうした世界そのものであることとそうしたあり方に対する羨望に満ちている。明治以降のホトトギス派の写生句のように、私と写生する外的な現実があるわけではない。また、ある種の前衛句のように、内的世界と外的世界との葛藤があるわけでもない。難しい言葉も、歳時記でしかお目にかからないような季語も、思わせぶりな典拠も、目立つ技巧もありはしない。そろそろ実例を挙げよう。
 
白梅の夜を灯して咲きにけり
桜前線身を越してゆく昨日今日
たそがれて川を見る人春の橋
春の道歩いてたどり着く彼方
写真少女瞳に風を捉えては
少年は秋の光を肩に乗せ
雨降って春の陣地となる明日
佇めば水道橋は春の中
電線は春の羽衣編んでおり
どの肩も光の破片浴びる夏
ストーブに棲む妖精の小言かな
棲みきれば彼方此方は秋の音
 
 春の句が多いのは、まさに春が世界が生動する季節であり、その句の本質的な意味において佐藤清美は春の俳人だと言える。反対に冬の句が極端に少ないのは、世界が停滞し、澱んでいるからである。また、世界=季節の移り変わりだけがあるので、人事に関する句が少ないことが欠点に思われるかもしれないが、より人事を振り切って、植物化、獣化、鉱物化する過程にあるのだと肯定的に考えることもできる。彼女がどんな生活を送っているのかはまったく知らないが、放蕩の限りを尽したヘンリー・ミラーの次の美しい一節をまんざら拒否することはないと思う。『ビグ・サーとヒエロニムス・ボッシュのオレンジ』(田中西二郎訳)からである。
 
 醒覚した生において、すべてがうまくいって心配ごとが消え去るとき、知性は沈黙させられて夢みごこちにすべりこむと、われらは永劫の流転に至福を味わいつつ降服し、生の静かな流れに乗って恍惚とただようのではないだろうか? われらはみな植物、獣、魚介、あるいは空中に棲む生物たるおのれを知るとき、そのときこそ全き忘却の瞬間を経験する。あるひとびとのごときはおのれが古代の神々としてあった瞬間をさえ知った。大多数の者はおのれの生涯でただ一瞬、まことに悦ばしく、まったき調和を味わって、「ああ、いまこそは死ぬべきときだ!」と叫びそうになった一瞬を知っている。この陶酔的な幸福感の核心に潜むものは何か? それが長くは続かぬであろう、続きえないという思いであるか? ギリギリ結着、という意識だろうか? そうかもしれぬ。だがぼくはそこにもう一つの、より深い見方があると思う。つまり、こうした瞬間、ぼくらはぼくら自身ずっと以前から知ってはいたがいつも受け容れるのを拒んで来たことーー生きることと死ぬることとは一つであり、すべては一つであり、われらは一日しか生きまいと千年生きようと変りはないのだということーーこれらのことを自分に言い聞かせようとしているのだとぼくは思う。