マンディアルグ『ボマツォの怪物』

 

ボマルツォの怪物 (1979年)

ボマルツォの怪物 (1979年)

 

 

 澁澤龍彦マンディアルグの好きな文章を集めた。次の6篇からなる。
 
ボマルツォの怪物
黒いエロス
ジュリエット
異物
海の百合
イギリス人
 
 「イギリス人」だけが小説で、マンディアルグが匿名で出版した、著名な作家が匿名でポルノグラフィックな作品を書くというフランス文学の伝統にのっとったものだが、果たしてこの伝統はいまも残っているのだろうか。ちなみに抄訳で、全体の三分の一程度である。
 
 「ボマルツォの怪物」はイタリアのボマルツォにある怪物めいたモニュメントが散在する庭園についてのエッセイであり、この場所の写真集のはじめに置かれる文章として書かれたらしい。澁澤龍彦も、『ヨーロッパの乳房』で紀行文を書いている。ちなみに[滞欧日記]では「草の上に腰をおろすと、秋草が咲き乱れている。のどかな庭なり。」とある。
 
 「異物」は家のなかから出てきた妙なオブジェについての短いエッセイ。
 
 「海の百合」は「砂の上に捺印したような」花についての短いエッセイ。
 
 「黒いエロス」はエロティシズムが「猥談趣味」とは異なり、悲劇的なものであり、人格の喪失や狂気に結びつくという、ある時期の澁澤龍彦によく見られるテーマだが、いまの私はさほど惹かれなくなってしまった。文章のなかで推奨されているバタイユは、『無神論大全』のなかでは、母子がともに笑うことのなかに、エロティシズムと同じ人格が崩れ去る共感の力を認めていたと思うが、そちらの方がずっと魅力的に感じる。
 
 「ジュリエット」はもちろん、サドの『悪徳の栄え』などに登場する破壊と快楽のみを追求するヒロインの名。対称的に信仰深く、貞淑なジュスティーヌも登場するのだが、彼女を善を体現するというよりは「愚かな女」だと評しているのは私も同意見。「善の聖女ならばまた別の態度、また別の高貴さを備えているはず」なのは確かだ。このエッセイにはしきりに善と悪という言葉が出てくるのだが、政治的な正しさについてはかまびすしいが、いま、誰も何が善で何が悪なのか問おうとはしていないように思える。別にマンディアルグのせいではないが、善も悪も空疎な言葉として響く。
 
 「異物」と「海の百合」がおすすめ。