透視画法による狂気ーージョー・ロック、クリストス・ラファリデス『ヴァン・ゴッホ・バイ・ナンバーズ』
マリンバはいわゆる木琴で、確か小学校の音楽室に置いてあって、叩いたことがあるような気がする。また、私が幼いころは、膝に乗る程度の小型の木琴は、効果音かつ小道具としてテレビでも用いられていたし、割と周囲でも普通に見られた。
第1期は、ルイ・アームストロングやベニー・グッドマンなどと関わるニューオリンズの香りを残すバンドやスイング・ジャズの楽団の楽器のひとつで、レッド・ノーボやライオネル・ハンプトンに代表される。二人とも奇しくも1908年に生まれている。
第2期は、1920年代に生まれ、いわゆるモダン・ジャズ草創期に活躍したミルト・ジャクソンに代表され、もちろん彼はモダン・ジャズ・カルテットの欠かすことのできない存在である。
第3期は1940年以降に生まれたものたちで、その先頭を切ったのは、エリック・ドルフィーの『アウト・トゥ・ランチ』やピアニストのアンドリュー・ヒルの『ジャッジメント』に参加したボビー・ハッチャーソンと、スタン・ゲッツのバンドに参加し、キース・ジャレット、チック・コリア、アストール・ピアソラなどと共演し、4本のマレットを駆使する奏法を確立したゲイリー・バートンがいる。
このようにほぼジャズの創生期近くから使われていたにもかかわらず、特にビ・バップ以降、つまり第3期以降、フリー・ジャズの時代を向かえると、ジャズとの相性の悪さが際立ってきた。息と直結した管楽器ではないので、ドルフィーのサキソフォンがそうであるように、あるいは皮肉交じりだとしたにせよ馬のいななきの音などはなかなかだせるものではない。息の継ぎ目や音の移り変わり、息の強弱によって音の歪みやひずみをだすことはできないのである。また、打楽器ではあるが、ドラムのように異なった音色をだすこともできないし、強弱もさほど感じさせない。また打楽器としてのピアノのように、ソロでもたせる程の多彩な表情をもってはいない。
要するに、ミルト・ジャクソンのモダン・ジャズ・カルテットでの演奏に典型的なように、また、ゲイリー・バートンがスタン・ゲッツのバンドから出発し、その後の共演者たちの顔ぶれを見れば明らかなように、徹底的にクールな楽器であり、フリー・ジャズ的な熱量とアクションとノイズと生成とが混じり合った混沌の世界に参加することは妨げられている。
このアルバムはマリンバとビブラフォンのデュオで、まさに上記のような欠点を逆手にとったような、稠密でありながら、透明な音が行き交っている。アルバム名は『号令通りのヴァン・ゴッホ』あるいは『1,2,3,4,ヴァン・ゴッホ』とでも意訳すればいいのだろうか、あるいは『音律によるヴァン・ゴッホ』ととらえることも可能で、ゴッホの狂気を明確な音の連なりの響きによって浮かび上がらせる野心的な試みとも考えられる。