世界崩壊の予感ーー内田百閒『冥途』

 

冥途・旅順入城式 (岩波文庫)

冥途・旅順入城式 (岩波文庫)

 

 

『冥途』は大正十一年、稲門堂書店というところから出版され、十八編の短編からなっている。ページ数がついていない特異なつくりになっていたという。それぞれの短編は主として、大正十年の春陽堂発行の文芸雑誌「新小説」の創作覧に発表された。
 
 いずれもある種の怪談であり、その多くが既視感が伴っていて、恐怖の瞬間は、「水を浴びた様な気持」という語句によって典型的に表わされるような瞬間である。あるいは、「水を浴びた様な気持」と同じような状態を表わしていると思われる「髪の毛が一本立ちになった」、あるいは単に、なんとも知れないが「恐ろしく」なる場面を加えれば、およそ百閒が描く恐怖の瞬間を尽くしている。
 
 例えば、「花火」では、長い土手で顔色の悪い女と出会い、連れ立って歩くことになった「私」は女と共に座敷に入るが、とにかく早く帰ろうと考えている。女は「私」をなんとか引きとめようと掻き口説きながら泣き出してしまう。「私」は女が泣き伏している間に帰ろうとするが、色艶の悪い女の襟足ばかりが白くみずみずしいのに気がついて「水を浴びた様な気持」になる。「私はこの襟足を見た事があった。十年昔だか二十年昔だかわからない、どこかの辻でこの女に行き会い、振り返ってこの白い襟足を見た事があった。」
 
 あるいは、「木霊」では、大きな池の縁を泣きながら子供を負ぶって歩く女の後を「私」はついていく。女の泣き声にどうも覚えがあるようなのである。女は暗い道をどこまでも歩きつづけ、「私」は歩いている道が通ったことのある道であることを思い出す。その道で「私」の足音は微かに木霊して、自分の足音に追いかけられるようだったことも思い起こされる。「『いいえ、私の足音です』とその時一緒に並んで歩いた女が云った。そうだ、その道を歩いているのだと気がついたら、私は不意に水を浴びた様な気がした。」
 
 さらに、「道連」では、「私」は何時からともなく一人の男を道連にして歩いている。男は「私」の名を呼び、自分が「私」の生まれなかった兄だと告げる。男は「私」に一言「兄さん」と呼んでくれるように頼み、「お父さんの声はお前さんの様な声かい」と尋ねる。「『そんな事が自分でわかるものか』と云ってしまって、私は自分の声が道連の声と同じ声なのにびっくりした。頭から水を浴びた様な気がした。」そして、「道連の云う事を聞いているうちに、私は、なんだか自分もどこかでこんな事を云ったことがある様に思われた。さっきから聞いていた水音にも、何となく聞き覚えのある様な気がしてきた。」という具合になる。
 
 いずれもある認識が恐怖を引き起こしている。知らないと思っていた女が、実は昔見たことがある女であることや、いま歩いている道が昔通ったことのある道であること、自分の声が道連の声と同じであることに気がついた瞬間に「私」に恐怖が襲いかかる。しかし、こうしたことのなにが一体かくも突発的な恐怖を招き寄せるのだろうか。
 
 内田百閒は師匠である夏目漱石の『夢十夜』の部分を特化して受け継いだといわれるが、百閒は自分の書くものを夢と特定することはなく、日常を描いたかに思えるエッセイにおいても、恐怖は身近に潜んでいる。十八編を合わせてもさして長いものではない『冥途』は完成に十年かけられた。
 
 百閒のいわゆる奇人としての側面は、自分が決めた生活パターンを壊されることに対する嫌悪感から来ているが、十年間彫琢して書き上げた作品にあらわされる恐怖も、既視感などによって私、あるいは私によってつくりだされた世界にずれが生じてしまうことに対する恐怖感であり、年月をかけて他者も偶然も入るはずのない世界に、向うの世界を暗示させるような他者の視点や、時間に左右されない世界を流動化し、変転させるような現在が紛れ込んでいることによって引き起こされるのである。
 
 『冥土』の短篇に漂うカタストロフの予感は、世界を念入りに仕上げれば仕上げるほど高まってくる、世界の外部に対する不安であり、文字通り、世界の崩壊に対する恐れが産み出したものである。しかしまた翻って考えてみると、このように自分の世界に侵入されることや、崩壊する恐れのみを書いてきた内田百閒にとって、世界とはそもそもさして安泰なものではなかったに違いない。