座頭市と平手造酒の奇妙な世界ーー三隅研次『座頭市物語』(1962年)

 

座頭市物語 [DVD]

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原作、子母沢寛。脚本、犬塚稔。撮影、牧浦地志。音楽、伊福部明。
 
 座頭市シリーズは、シリーズものの多くと同じく、どこまで見たかはっきりしない。全26作つくられたというが、全作を見たおぼえはなく、若山富三郎が城健三朗という別名で出演している第6作目の『座頭市千両首』は確かに記憶があるものの、それ以降があやふやで、そんなこんなで機会があるごとに最初から繰り返しているので、第一作目の『座頭市物語』は5~6度は見ているはずである。
 
 おおむね私にとってシリーズものというものはそうしたものであり、同じ勝新太郎主演の、『悪名』も『兵隊やくざ』シリーズも何度か挑戦しては中断し、なにもそれは勝新太郎に限ったことではなく、高倉健の『日本侠客伝』『網走番外地』、藤純子の『緋牡丹博徒』、菅原文太の『トラック野郎』などにおいてもしかり、『清水次郎長』にいたっては、何種類ものシリーズがあり、その長短も様々であるから、どのシリーズを何作目まで見たのか皆目見当がつかなくなっている。
 
 『男はつらいよ』や『釣りバカ日誌』はそもそもはじめから一作も見ていないので、迷うことはないが、改まって最初から見始めるには特に『男はつらいよ』では作品数が多すぎて、敷居が高い。
 
 『座頭市』シリーズは先に進むにしたがって、仕込み杖のパフォーマンスが奇抜になり、敵が大勢になって立ちまわりが派手になるようだが、物語の構造はおそらくはほぼ同じであり、旅である土地に流れ着いた座頭市がやくざ同士の抗争に巻き込まれる。そこには座頭市と同じようにその土地に流れ着いた凄腕の浪人がおり、民衆を苦しめているやくざとその用心棒を倒して、再び座頭市は旅にでることで一編は終わる。
 
 この映画は第一作目だということで、パフォーマンスは火のついた蝋燭を放り投げて一閃するや、縦に割れた蝋燭が火がついたままで落ちてくる、そして、立ちまわりとしては、夜道を追いかけてくるやくざの子分二人を倒す部分を除けば、最後の平手造酒との一騎打ちしかないので慎ましい。
 
 『座頭市物語』は講談や浪曲の『天保水滸伝』の舞台を借りている。座頭市が流れ着いたのは、下総の飯岡であり、いまでいうと千葉県旭市のあたりになる。私は千葉県の出身であり、母方、父方の祖父母の家も千葉県にあったのだが、下総半島の根元の先っぽ、銚子より深い場所に入ったことがない。
 
 飯岡は銚子のすぐ北であり、昔から銚子と同じく、漁師町が栄えたようだが、映画では海は姿を見せない。飯岡助五郎と笹川繁蔵という二組のやくざが縄張り争いをしており、講談・浪曲だと笹川繁蔵の勝利に終わる。笹川方の用心棒につくのが、平手造酒である。
 
 平手造酒が笹川の味方につくというのも、語り物における創作のようで、その創作によれば、平手は神田お玉が池にあった北辰一刀流千葉周作道場の四天王のひとりであったが、酒乱のために破門となり、流れ着いた下総の地で道場を開いているときに笹川の繁蔵と出会ったのだという。つまり、平手という剣客がいたことは確かのようだが、それ以上のことは推測の域を出ない。
 
 映画での平手造酒(天知茂)は、酒好きではあるが、酒乱の気配はなく、その過去が語られることはないが、労咳という病気のせいでこの地に落ち着かざるを得なくなっているように思える。飯岡助五郎と笹川繁蔵のやくざは、講談、浪曲のように、義理人情や人物としての柄の大きさが問題になることはなく、どちらも目先の利益にこだわり、素人衆に迷惑をかけることに頓着しない小人物として描かれている。
 
 しかし、なにより印象的なのは、最後の大利根河原の決闘にこそ西部劇的な孤立した町があらわれるが、それ以外の場面では、モノクロの画面にほとんど冬枯れした原っぱが広がる空白の空間のなかで、座頭市と平手造酒とが25メートルプールほどの池に並んで静かに釣り糸を垂らしているだけの無為の時間があって、目が見えないだけに気配に鋭敏な座頭市が、ひょっとしてご病気じゃありませんか、と尋ね、いや、と否定しながらも、相手が尋常な人物ではないことを平手造酒が悟るというそれだけの短いやりとりが、エーテルのなかを波紋となって広がる波として体験される「奇妙な世界」にある。