機会の後ろ髪ーー是枝裕和『奇跡』(2011年)

 

奇跡(通常版) [DVD]

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脚本・編集、是枝裕和。撮影、山崎裕。音楽、くるり
 
 是枝裕和では二度つまずいた。まず、ある時期から私は、北野武黒沢清とホラーを除いて、日本映画をほとんど見なくなっていた。コレエダという名前が評判になっていることは気づいていたのだが、なにしろ日本映画で新しい監督を積極的に見るのはホラーだけだったので、つい見過ごしてしまった。これが第一のつまずきである。
 
 その後、山下敦弘松江哲明などの監督によって日本映画も面白いということを遅まきながら知り、是枝監督の作品としてははじめて『そして父になる』(2013年)を見たのだが、悪くない映画だとは思ったが、それほど印象には残らなかった。これは完全に私の趣味によるものだが、恋愛映画と同じくらい家族を問題にした映画には関心がもてなかった。これが第二のつまずきである。
 
 ところが『海街Diary』や『三度目の殺人』を見るに至って、ようやく端倪すべからざる監督として認識されるようになったのである。
 
 いずれにしろ、是枝良和の大きなテーマのひとつに家族があるのは明らかであって、たとえば、イギリス版のブルーレイでは『奇跡』、『そして父になる』、『海よりもなお深く』の三本が「家族の価値」という総題のもとにボックス・セットで売られている。思えば日本映画において、ホームドラマこそ過去から現在を通じて何本となくつくられているが、家族という小集団の根拠を問うような、主題としての家族は小津安二郎以来閑却されていたように思われて、その溝を埋めるような監督がにわかには想起しがたい。
 
 それにしても、『奇跡』とはずいぶん思い切った題名だが、文字通りの奇跡を意味していながら、最後には奇跡とはおよそ正反対にあるごく小さな日常的な冒険が、奇跡と見まがう光暈を発し始めることに脱帽した。
 
 大阪で暮らしていた四人の家族が、父と母が別居することになって、母親(大塚寧々)と兄(前田航基)は母親の実家がある鹿児島に、父親(オダギリジョー)と弟(前田旺志郎)は福岡に住むことになった。兄は小学六年生、弟は(多分)五年生である。父親は二人の子供ができても、バンド活動という先行きのまるでわからないものに専念しており、夫婦の絶えることのない喧嘩の結果別れた。
 
 兄は毎日火山灰が降り積もるような場所で生活することの意味がわからず、とにかく四人でまた生活したいと思っている。そして、あるとき、都市伝説のたぐいであろうか、すれ違う新幹線を見ながら願い事をいうとそれが叶うという奇跡が起きることを聞きつける。兄の願いは桜島が大噴火を起こすことで、そうすれば再び四人で暮らせるようになると考える。
 
 兄弟は示し合わせて、熊本の一つ手前の駅で落ち合うことになる。それぞれ死んだ犬を生き返らせたい、絵がうまくなりたい、女優になりたいなどといった願いをもった友人を引き連れて、総勢七人になる。ところが新幹線は高架線を走り、側面も高いので、地面からでは見ることができない。田舎の駅で、ビルもなく、唯一ショッピング・センターを見つけるが、屋上に上っても高さが足りない。
 
 やがて、夜になり、警察に見つかってしまうが、孫とその友達ということで、二人暮らしの親切な老夫婦の家に泊めてもらうことができた。そしてトンネルの上から新幹線を見ればいいということに気づく。
 
 翌朝、老夫婦にトンネルの近くまで車で送ってもらい、眼下で奇跡のように新幹線がすれ違う。それぞれが自分の願いを大声で叫ぶ。だからといって犬が生き返るわけでも、絵がうまくなるわけでも、女優への道が開けるわけでもないのだが、この時点で挿入されるこれまでの出来事の断片的なカットの積み重ねが示しているように、かけがえのない機会が積み重なってきたことだけは確かであって、都市伝説のひとつとしての奇跡とはまったく異なる、超自然的なことがなにも起きない奇跡があり得ることをあらわしている。
 
 だが、それが何気ない日常的な機会であっても、機会というのは、そこに居合わせたものが主体的に受け取らないかぎり、偶然に過ぎないわけで、少なくとも兄がその機会を捉えたことは、桜島が噴火してほしいという願いを叫ばなかったことを弟に謝り、この映画随一の名台詞「ごめん、家族よりも世界を選んじゃった」という言葉によって、彼が実は世界に開かれると同時に家族の紐帯へ向いているという見事な仕掛けに驚かされる。