武士の一分――古今亭志ん生『井戸の茶碗』

 

  川戸貞吉立川談志が信頼していた友人であり、その全5冊に及ぶ『落語大百科』には大変お世話になっているが、違和感を覚えることもある。

 

 時代の変化が大きいのだが、寄席や落語が、人間としての作法、道徳、江戸の言葉、ひととのつきあい方、口の利き方を覚えるための教育の場である、というのが明治以来の落語観を形成しており、それが繰り返し、執拗に非難されている点である。

 

 客の爆笑をとる落語家を抑圧したのもこうした見方であった。それは道徳的な規範に則ったものであるから、自然に内容は決まり切ったものとなり、形式が重要視され、やがては形式も形骸化したものとなり、古典芸能として朽ちていくことになる。


 おそらくは時代の相違もある上に、川戸貞吉がラジオ局に就職して演芸の担当になったときに、落語評論家といわれる者たちや好事家たちに蔓延していたこうした落語観と対決しなければならなかった点も大きいだろう。

 

 一方、ドリフターズタモリビートたけしで育ち、その後で落語に触れた私にとっては、そうした戦いの現場がなかなか想像しにくい。今更落語の道徳を説く者がほとんどいないこともあるだろうし、形式についていえば、むしろそれをノスタルジックに演じだす者が多いことに気味の悪さを感じる方が最近では多くなってしまった。


 そうした旧来からの道徳観をあらわした典型的な噺として川戸貞吉によって取り上げられているのがこの『井戸の茶碗』である。

 

 屑屋の清兵衛は曲がったことが大嫌いで、正直清兵衛と呼ばれていた。あるとき、娘と二人暮らしをしている浪人に呼びとめられ、仏像を引き取ってくれるように頼まれる。自分は道具屋ではないので、目が利きませんからといったんは断るが、重ねて頼まれたので、儲けがでたら折半でという条件で持ち帰る。

 

 細川家の家来がそれを買い取ったが、手入れをしていると、中から五十両が出てきた。この家来も正直者で、自分は仏像を買ったので、五十両を買ったわけではないと、買ったところに返してこいと屑屋に言いつける。ところが、浪人はすでに売ったものは自分のものではないと、受け取らない。

 

 大家がなかに入り、浪人と細川家の家来に二十両ずつ、屑屋に十両ということで、話はまとまるかに思えたが、浪人は二十両も受け取りたくないという。そこで、屑屋が向こうになにかを差し上げて、それで金を取れば、貰うわけではなく、売ったことになるでしょうと、知恵をだした。そこで浪人は湯飲み茶碗をだすことになった。

 

 それで決着はついたように思えたが、実はそれは井戸の茶碗という天下の名品で、細川の殿様が三百両で買い上げた。再び、呼ばれた屑屋、また半分の金をもって浪人のもとにやられたが、やはり受け取らない。だが、自分の一人娘を嫁に貰ってくれるなら、結納金として受け取ってもいいという。

 

 間接的にしか知らないが、浪人の人柄に惚れ込んでいた細川家の者も、二つ返事で承知する。娘のことも知っている屑屋が、あれをみがいてごらんなさい、たいしたものになりますよ、と言うと、いや、みがくのはよそう、また小判がでるといけない。


 この噺から道徳を導くとすると、人間、正直でなければならないということにでもなるのだろうが、どうも私にはそんな具合には理解できないのだ。

 

 どちらかというと、思いだされるのは西鶴武家物である。そこには仇をどこまでも追い求めたり、体面を重んじたりする武士の姿が描かれているが、それを道徳的に優れていると諸手を挙げて讃仰している様子はない。むしろ、ちょっとおかしな生態をもつ生物を観察するかのような眼が働いているだけである。

 

 私が聞いた志ん生の演じるこの噺もまた、同様であって、変わった種族がいるものだという志ん生の観察眼のほうがより強く感じられる。