喜劇というメビウスの輪ーー幸田露伴『滑稽談』

 

 

 単なる言葉の連なりがどこかで詩や小説になり、或はどこかで笑いや涙を、つまりは感動を伴った余剰の意味を生みだす作品になるのだろうか。
 
 単なる言葉の羅列と文学との相違が、我々の住まう意味の網の目に関わっていることは確かである。日常的に、ルーチンに消費される意味とは異なる何らかの新たな意味の布置があらわれたときに、我々は作品の誕生を感じ取る。そうした布置の変化が最も明瞭なのが悲劇と喜劇である。
 
 身体的に言えば、横隔膜の震えが笑いであるように、意味の引き攣れが笑いを生みだすと言ってもいいかもしれない。
 
 だが、悲劇よりいっそう定めがたいのが、喜劇というジャンルの定義であろう。アリストファネスシェイクスピアから、ワイルド、チャップリンキートンマルクス兄弟モンティ・パイソン森繁久彌の社長シリーズや『男はつらいよ』まで包含するような定義がいったい可能なのだろうか。
 
 アレンカ・ジュパンチッチは『仲間どうし』という喜劇論で、真の喜劇と偽物の喜劇とを区別しており、その喜劇論の出発点をヘーゲルの喜劇論に求めている。
 
 ヘーゲルによれば、叙事詩、悲劇、喜劇は宗教と同じく、精神の偉大な達成である。というのも、いずれにおいても、普遍的なもの、本質的なもの、絶対的なものが扱われているからである。叙事詩では、吟遊詩人たちによって神々や英雄たちの行為が物語られる。悲劇では、運命や死といった普遍的、絶対的なものが上演され、表現される。
 
 ジュパンチッチが言うには、ヘーゲルの喜劇論の特異な点は、ヘーゲルが、喜劇においても普遍的なもの、本質的なもの、絶対的なものとのつながりを手放さなかったことにある。
 
 ごく通俗的な喜劇観に従えば、喜劇こそは、普遍的なもの、本質的なもの、絶対的なものからは抜け落ちてしまう日常の細部がそうした大問題に対して反旗を翻し、それらを切り崩して勝利を収めるものだということになろう。ところが、ヘーゲルは、ちょうど悲劇の演者が必然や運命という巨大な力のごく小さな一部であるように、喜劇における日常の具体的な細部は普遍、本質、絶対を切り崩す否定という絶対的な力が顕現したものであり、この否定こそが喜劇の生みだす普遍であり、本質であり、絶対だと言うのだ。
 
 アレンカ・ジュパンチッチが言う偽りの喜劇とは、おかしみをすべて「人間の弱さ」に回収するものである。
 
 例えば、王様、貴族、裁判官、宗教家など象徴的な権威をもつ者たちが愚かしい姿をさらす。彼らは我々と同じように、いびきをかき、おならをし、足を滑らせて転び、欲望に負ける。喜劇にはよくあるシチュエーションである。
 
 偽りの喜劇は、このシチュエーションをどれだけ偉そうに振る舞い、地位や権威のある人物であっても、所詮は我々と同じ人間なのだ、と説明しようとする。それは、いかにも現実暴露的で、反権力的なラディカルな姿勢に見える。普遍的なもの、象徴的なものを具体性、人間すべてが従わねばならない物理的法則に引きずり下ろしているようだ。
 
 しかし、この具体性なるものは、普遍性対具体性という非常に抽象的な図式のなかでの具体性でしかない。王様など権威者の愚かさは普遍的な人間性に回収された上で笑われ、彼らの権威は無傷のままに残り、尊敬の対象であり続ける。つまり、いかに権威のある者でも我々と同じ人間に過ぎないという見方は、同じ人間であるのにどうして王様や貴族は象徴的な権威を身につけるにいたるかという反対の方向性を隠蔽してしまう。
 
 では、真の喜劇とはなんであろうか。
 
        我が儘な貴族についての真の喜劇は、実質的に次のような型に従うべきである。自分が真に、本来的に貴族だと信じている貴族が、まさしくその信念において普通の愚かな人間だということだ。別の言葉で言えば、貴族に関する真の喜劇は、この概念の普遍的な側面そのものが人間性、肉体、主体を生みだすという具合に処理されるべきである。ここでは、身体は魂の欠かすことのできない基盤ではない。それぞれの内にある確固たる信念こそが魂を可能な限り肉体的なものとする地点なのだ。人間的弱さという水たまりのなかに幾度となく落ちる貴族の具体的な身体は、単にぬかるみに横たわる経験的な身体ではなく、より以上に、貴族である自分、自らの「貴族性」への信頼である。この「貴族性」が普遍そのものの精髄として喜劇によって生みだされる真の喜劇の対象である。(『仲間はいり』)
 
 つまり、道徳的、倫理的規範とも成るべき存在が喜劇のなかで笑われるとき、そこで笑われているのは我々と同じ次元にまで引きずり下ろされた「人間」ではなく、人間が体現する道徳的、倫理的規範である。人間の弱さは物理法則に従わねばならぬことにではなく、道徳的倫理的規範にあらわれる。
 
 喜劇の観客は、理想となるべき存在(王、貴族などの権威者)が権威をもつことにおいて愚かなのを見て、理想との同一化と脱同一化のあいだをさまようことになる。
 
 ジュパンチッチのこうした議論は、チャップリンの『独裁者』やマルクス兄弟の『我輩はカモである』などを思い浮かべれば容易に理解されるだろう。独裁者は一人の人間として滑稽なのではない。一介の街の床屋が入れ替わりうるような、グルーチョのナンセンスな言葉が戦争へと通じるような独裁者という権威、役割、地位そのものが滑稽なものとして笑われているのだ。
 
 チャップリンキートン、ロイド、ロスコー・アーバックルなどのサイレント映画を見れば、警官は警官である、金持ちは金持ちである、店の主人は店の主人である信念のもとに肉体化されている。その一方、人は投げられて宙を行き交い、殴られてはバネ仕掛けのように起き上がり、ハンマーに打ち据えられ銃で撃たれても動き続ける非人間的な物理的耐性を備えている。
 
 つまり、人間は所詮人間でしかない、というのが喜劇が教えてくれる知恵だという見解とは反対に、喜劇の人物は常に人間性から逸脱しようとするのだ。こうした、人間性と非人間性、普遍と個、抽象と具体が衝突して、しかもその衝突がどちらか一方に解消されないところに真の喜劇がある。
 
 真の喜劇がはらむこうした内在的矛盾を、ジュパンチッチはメビウスの輪に例えている。巨大なメビウスの輪に立っていると想定しよう。我々はいま立っている場所とは別次元の裏面があると思っており、実際にどの場所に立とうが裏面は存在する。人間性の裏に非人間性が、普遍の裏に個が、抽象の裏に具体があるかのように。
 
 だが、ずっと歩いていけば、最初にいた場所のまさしく裏面にたどり着くはずだ。同じように、人間性がいつの間にか非人間性に、普遍が個に、抽象が具体へ、そしてその逆の方向へと運動を続けるのが喜劇の魅力である。
 
 使われている言葉、対象となる作品こそまったく違うが、ジュパンチッチの喜劇論は幸田露伴の笑いについての説に近いところがある。
 
 明治三十年代の露伴は、明治二十年代のように矢継ぎ早に小説を発表することがなくなり、むしろ小説から徐々に遠ざかりつつあった。露伴最後の長編小説『天うつ波』は、日露戦争という国家に一大事のなか、「比較的に脂粉の気甚だ多き文字」を書き連ねることへの忸怩たる思い、兄の郡司成忠がロシア軍の捕虜になる事件、及びそれに関連した様々な風聞(郡司の生活の拠点であった占守島の人々が虐殺されたという噂もあり、郡司自身の生死も当初は不明だった)などいくつかの理由により中断し、結局その後完成することがなかった。
 
 『一国の首都』のような都市論や随筆など小説以外の文章が多くなり、尾崎紅葉とともに紅露と称された小説家の露伴が終わり、明治四十年代以降から始まる『頼朝』『平将門』『蒲生氏郷』といった史伝、『努力論』『修省論』などといった修養書を書くにいたる露伴が準備されていた時期だと言える。
 
 この時期を特徴づける要素の一つは、笑いへの関心である。『春の山』(明治三十三年)、『笑話』(明治三十八年)などで小咄を収集する一方、明治三十六年には『狂言全集』を校訂している。もともと露伴の短編には、「新学士」のように流麗な語り口で軽く落とすコント風のものから、「毒朱唇」のような哲学的諷刺、ほぼ落語の台本とも言える「貧乏」、江戸戯作の伝統を受けた「艶魔伝」にいたるまで、笑いの要素に欠けるわけではない。
 
 しかし、『吾輩は猫である』の夏目漱石の笑いを機知の産物とし、齋藤緑雨のパロディや文体模写を相手の肺腑を抉るアイロニーだとすると、露伴の笑いはだいぶん様相が異なり、ユーモアが主調になっていると言えようか。
 
 フロイトによれば、機知や滑稽とは異なる「なにかしら堂々としたところ、なにかしら魂を昂揚させるようなところ」がユーモアにはある。それは「明らかに自己愛の勝利、自我の不可侵性の貫徹ということから発している。この場合、自我は現実の側からの誘因によって傷つけられること、苦悩を押しつけられることをこばみ、外界からの傷を絶対に近づけないようにするばかりでなく、その傷も自分にとっては快楽のよすがとしかならないことを誇示するのである」(「ユーモア」高橋義孝池田紘一訳)と言っている。
 
 実際、露伴の文章は、漱石や緑雨のように、思いもかけなかったもの同士を結びつけるパンチ・ラインで反射的痙攣的な直接的笑いを引き起こしはしない。むしろ高揚した堂々とした気分にさせるものだ。それは漱石にも緑雨にも感じられないことである。
 
 狂言全集を校訂し、笑い話を熱心に集めていたころの露伴の笑いについての考えは、明治三十六年に東京帝国大学でなされた講演を原稿にした『滑稽談』という文章にあらわされている。
 
 そこで露伴は『竹取物語』にまでさかのぼり、日本の滑稽の歴史を一望している。『竹取物語』に続くものとして、狂言、『鴉鷺合戦物語』、江戸時代に入り『醒酔笑』、西鶴の『名残の友』、『鹿の子餅』、『軽口御前男』といった笑い話集があり、黄表紙、落語、川柳、狂歌へと続く。
 
 だが、このように、日本の笑いの歴史をたどった露伴がたどり着いた結論は、「併し我が邦の滑稽の文学はまだどうも立派なものを有つて居らぬのです。日本の滑稽作者に誰を推したら好いのですか、誰も無いではありませんか」というしごく厳しいものとなる。なぜなら、駄洒落や地口や謎をもっぱらとしており、江戸文芸に明らかなように、表面的な戯れに終始しているからである。
 
 それでは、「立派なる滑稽の文学」とはなんだろうか。ここで、露伴特有の、機知ともアイロニーとも異なる笑いの性格が明らかになる。
 
         立派な涙は何であるかと云ふと、詰り感情の深い渓の美しい水です。立派な怒と云ふのは何であるかといふと、道義の念の燃え上る壮(さかん)な熱ではありませんか。さて立派な笑と云ふのはさう云ふ熱でも水でもない、さう云ふものの好い調和を得たところに咲く優麗美妙な一つの或美しい華ではありますまいか。即ち解脱の光景ではありますまいか。今日までの日本の人の間には火の働きも水の働きも弱かつたので、為に解脱の光景も立派でなかつたのではありますまいか。今後の人は中々昔の人とは違ふ、泣ッ面も怒り面も大分激しくなつてまゐらねばなりませぬ。であれば随つて笑も今までとは違つて大きな光景を現はし来らなければならぬです。それ等の事から考へますると、明治になつて既に三十何年になりますが、今までは滑稽の文学が出てまゐらないのも寧ろ当然のことであり、又幸福と云つても宜い位であるとおもひます。何故ならば若し明治以来の火や水が少い僅かな火や水であつたならば、もう疾(と)うに相調和して仕舞つて、美しい光景たる滑稽のものが出来て現はれて居る筈である。けれども未だに何等の滑稽の作も現はれて居らぬ所を見ると、是から先になつて出て来るのではないかも思ひまする。明治はまだ若いのです。まだ泣いて居るのです、怒つて居るのです。笑の文学が出るほど熟して居ないのです、是から先に段々出て来るのです。
 
 「好い調和」といった一見静的な言葉にだまされてはいけない。この調和は、人間のあるがままの姿に自ずとあらわれるようなものではない。「感情の深い渓」と「道義の念の燃え上る壮んな熱」が、つまりは感情という身体的で個的なものと道義の念という普遍的で公的なものとが衝突する場なのである。悲しみや怒りが大きなものであればあるほど、その衝突によって生まれる笑いはより高らかに響き渡ることとなろう。
 
 「解脱」という言葉は通俗的な宗教解釈によってすっかり手垢にまみれたものになってしまっているが、そもそも、人間性が非人間性に、個が普遍に、抽象が具体に通じるようなメビウスの輪に立つことを意味しているのではないだろうか。そしてそうした反転を、狂気に陥らずに、メビウスの輪のようにある意味簡単で安定した空間として捉えること、「自我の不可侵性の貫徹」をあくまで成し遂げているところに露伴の笑いの特徴がある。