蹴転の元帳――古今亭志ん生『お直し』

 

古今亭志ん生 名演大全集19 お直し/安兵衛狐

古今亭志ん生 名演大全集19 お直し/安兵衛狐

 

  六代目三遊亭円生は昭和三十四年、芸術祭賞を意識して『文七元問』を力演し、出来も上々、自信をもっていたが、取れなかった。芸術祭には縁がないと諦めた円生は次の年には、自分のレパートリーのなかでも特に自信があるわけではない『首提灯』を軽く演じたところそれが芸術祭賞を取ってしまった。自分の得意な人情噺かなにかで受賞したかったに違いない円生はそれ以後『首提灯』をあまりやらなくなったという(川戸貞吉『落語大百科』)。


 自分の自信や一般的な評価が受賞と結びつかないことはよくあることだが、昭和三十一年古今亭志ん生が『お直し』で芸術祭賞を受賞したことも不思議なことである。

 

 「女郎買いの噺に賞をくれるなんて、粋ですな、大臣さんも」と志ん生は噺のなかで言っているが、廓噺といっても、この噺は、『明烏』のような明るくもなく、『居残り佐平次』のように痛快でもなく、『紺屋高尾』のような夢もなく、同じく志ん生の代表作でいうなら『二階ぞめき』のようなユーモラスで奇妙に倒錯した狂気の愛もない。噺だけ取りだすなら、実に陰惨なのである。


 同じ見世の花魁と若い衆が、御法度なのにもかかわらず深い仲になってしまった。主人のはからいで二人は夫婦になる。ともに働いているうちに小金も貯まり、暮しも楽になった。ところが男が博打に手をだして無一文になってしまった。男は女房に頼みこんで女郎に戻し、年齢もいっているので蹴転(お客を蹴っ転がして入れるからこの名がつくという)という最下級の女郎屋をはじめた。


 『落語大百科』の解説によれば、飲みもの食べものもなく、蒲団一枚、枕が二つ、掛け布団もない。線香一本燃えつきるあいだが一座敷で、延長する場合、亭主が「直してもらいなよ」と声を掛け、延長分の金を貰う仕掛け。線香一本は約三十分で、料金は百文だった。二八蕎麦が十六文だから、蕎麦六杯分で身体を売っていたことになる。


 初日、客が入ると、なるたけ時間を長びかせるために、女房はちやほやする。ヤキモチを焼く亭主は、早く客をおっぱらおうと、お直しだよ、を連発する。客が帰ったあとには夫婦げんかだ。だが、少しでも稼ごうと思って心ないことを言うのもお前さんと一緒にいたいからじゃないか、と言われて仲直りし、語らっているところに先の客が戻ってきて、おーい、直してもらいなよ。


 どん底まで落ちて明るい展望をもちようもないこの「女郎買いの噺」がよりによって芸術祭賞を取ったのは志ん生とともに首をひねらざるを得ないが、それ以前の昭和二十九年に桂文楽が『素人うなぎ』によって、同年桂三木助が『芝浜』によって受賞したこと、また、映画や演劇や放送や音楽などの地味な受賞作一覧(私自身は映画をのぞけばほとんど接したことがないものばかりだが)を見ていると、あるいは落語における自然主義のようなものとして、最下層に生きる人間の姿を如実に表現した作品として評価されたのかもしれない。

 

 しかしながら、もちろん、志ん生がそんなことを考えるわけがない。むしろ方向としては逆であり、最下層のこの男女が問題なのではなく、普遍的な男女の姿が最下層にも認められるだけなのだ。『替わり目』と同じ夫婦の姿があって、どちらも相手の元帳を、魂を確かめる二人が鮮烈なので蹴転という背景を見事にねじ伏せる。