不動の妙――柳家小さん『笠碁』

 

五代目柳家小さん 名演集14 笠碁/狸の鯉/宿屋の富
 

  能や歌舞伎とは違って、落語では芸の継承がより気づきにくいものとなっている。もちろん、古典芸能としての芝居には動きが伴うこと、基本的には世襲で、親子のあいだで幼いときから真似をすることから徹底的に教えこんだうえで型を伝承することが大きい。

 

 型があるからこそ芸風というものが一個人を越えて、歴史的な系譜一党にまで広がる。たとえば、市川團十郎といえば、何代目かに関わることなく、荒事を得意な演目としていることが容易に連想される。もしそれが親子であれば、先代、あるいは先々代といまを実感として比較することも可能で、観客も演者もある種の歴史的厚みをもって向かい合える。


 一方落語は誰にでも門戸は開かれているが、その分、親子のあいだで型を徹底的に身体に覚えさせるようなことはない。名前を継ぐのもいまでは随分恣意的で、いまの団十郎を見て先代の芸を懐かしむというような連続性は落語には欠けている。

 

 志ん生志ん朝は親子だし、どちらも名人と言われておかしくない落語家だが、志ん朝を聞いて志ん生を思い返すことはまずないのではないだろうか。

 

 そんななか、落語をそれ程数多く聞いたと自慢できないような私にでも、個人を越えた系譜や芸風を感じさせてくれるが柳家小さんという名前である。三代目小さんは夏目漱石が絶賛した伝説的な落語家であり、五代目小さんは立川談志小三治の師匠であるが、現代には珍しい速度の早さ、つまりは流麗な語り口を武器としていない落語家である。

 

 三代目小さんについては、なにかぶつぶつと言っているのを聞いていたら、いつの間にか噺のなかに引きずり込まれていた、といったような感想を聞くが、同じく三代目も威勢のよさや切れ味を武器にした落語家ではなかったのではないかと思われ、個人を越えた系譜、芸風に突き当たる。

 

 川戸貞吉によると、『笠碁』は三代目小さんの得意の演目だったらしく、同じく名人と言われ、皮肉屋として有名だった円喬でさえ「あれだけのものはできないから」と演じなくなってしまったらしい。そして言うまでもなく五代目小さんの十八番でもあった。


 今日は待ったなしでやろうと、碁好きで仲のいい二人が打ち始めた。ところが一方が途中でどうもまずい手を打ってしまい、待ってくれと言うが待ったなしでやるという約束だから、とどうしても待ってくれない。やがて昔、金を貸したときのことまで話に出てきて、大喧嘩となり、二度とお前などと碁を打つものかとなってしまう。

 

 しかし、雨の日が続いてすることもないと、お互いに碁が打ちたくってしょうがない。そもそも二人とも碁会所などに行って碁を楽しむには弱すぎる、ちょうど同じくらい下手なので絶妙の好敵手だったのだ。じりじりしてどうしようもないので、一方は相手の家の前を通ってみようと思い立つ。眼でも合ったら、挨拶くらいあるかもしれないし、そうなればじゃあちょっとあがっていきなよ、となるかもしれない。あいにく傘がばらばらで役に立たないので、かぶり笠をかぶって出かける。

 

 もう一方のほうも退屈しきって、外を見ている。すると、傘をかぶった相手が家の前を通るものだから、嬉しくなって茶の支度などをし始めるが、通り過ぎていってしまう。なんだ、とがっかりすると、また戻ってきたりする。お互い意地があってなかなか声がかけられないのだ。だが、おい、へぼ、と声をかけたことなら、なんだ、ということになって、どっちがへぼか決めようじゃないか、と碁盤を囲むことになる。打ち始めると碁盤のうえに雨のしずくが垂れてきてとまらない、ああまだお前かぶり笠取らないじゃないか。


 考えてみると、この噺はまったく動きがない点で落語のなかでも珍しい。ひとりが家の前を行ったり来たりするところも、視点はその動きをじりじりしながら見ている方にある。三代目小さんはその見ている様子を目線だけで追って表現したそうである。五代目小さんのほうは、首を左右に振って表現した燕枝系のやり方だそうだ。だとすると、直接的な型の継承はなされていないことになるが、まったく動きがない噺が十八番になるということにおいて、より深い形で、いわば演出ではない骨格の部分で見事な継承がなされている。