もうひとつの決闘――古今亭志ん生『巌流島』

 

古今亭志ん生 名演集13 妾馬/岸柳島/芝浜

古今亭志ん生 名演集13 妾馬/岸柳島/芝浜

 

  巌流島といえば、言うまでもなく、宮本武蔵佐々木小次郎とが決闘した場所である。とはいえ、その島はもとからそうした名がついていたわけではなく、佐々木巌流と名乗った小次郎の名からつけられたものであるらしい。


 もっともこの噺の舞台になっているのは、隅田川の厩や駒形の渡しである。渡しには武士から町人まで多くの人間が乗りあわせている。船が出ると、ある若い武士が灰を落とそうと、煙管の雁首を船縁でたたいた。ところが、緩くなっていたのか、雁首がとれて川に落ちてしまった。

 

 船を止めろ、落ちたところはわかっていると、武士は言うがもちろんそんなことはできない。船内には屑屋も乗りあわせていて、商売っ気をだしたのが悪かった。残った吸い口の部分をお引き取りしてもよろしゅうございます、というのを聞いて武士が怒りだした。無礼者!と斬って捨てようとする勢いである。同船していた老武士が間に入って詫びたものの聞くものではない。それほど言うなら、貴公が屑屋に代わって拙者と勝負しろ、との一点張りである。

 

 仕方なく老武士は、船中では皆に迷惑がかかる、どこか岸に上がってお相手しようと答えた。桟橋にかかると血気にはやった若侍が一足先に飛び移った。するとすかさず老武士は、槍で桟橋を一突き、船を川に戻してしまった。すっかり喜んだ船中の町人たちは一人残された若侍を罵倒した。すると若侍はなにを思ったか、着物を脱ぎ、短刀を口にして川に飛び込んだ。さては、船の底に穴を開けるつもりではないかと船中のものはまた不安になる。やがて船の傍に浮かび上がってきた若侍に船上の老武士は槍を突きつけ、そのほうは、たばかられたを残念に心得、船の底でもえぐりにきたのか、なあに、さっきの雁首を探しにきたんだ。


 巌流島がもともとそういう名の島ではなかったというのが第一の誤解だったとすると、私はこの噺についてもうひとつの誤解をしていた。つまり、若侍が巌流島での小次郎のように、待ちぼうけ=置き去りを食らわされたと思っていたのだ。したがって、特に過不足なく、まとまった噺だと思っていたのである。

 

 ところが、最近ほとんど演者によって説明されることはないが(志ん生も談志も説明していなかった)、武蔵との決闘とはまったく関係のないエピソードがあった。佐々木小次郎が船中で喧嘩を売られたとき、相手を小島にあげておいて、勝負をせずにそのまま船をだしてしまったというのがそれであり、そのエピソードがこの噺の題名のもとになっているらしいのである。

 

 映画、特に内田叶夢が監督、武蔵が中村錦之助、小次郎が高倉健の連作が印象に残っているせいか、小次郎というと凜々しい若武者が連想されるのだが、実際には、武蔵より三十才以上も年上だったという説もある。

 

 いずれにしろ、小次郎たるもの屑屋の言葉にすぐ腹を立てるほどそそっかしくはないだろうが、ごく自然に老武士を武蔵に、若侍を小次郎になぞらえて聞いてしまっていたのだ。武蔵が大幅に時刻を遅らせてあらわれたことや島へ渡る船の櫓を削って刀の代わりにしたことなど、どこから伝説かわからないような話だが、落語流に語り直すなら、巌流島の決闘が、老武士の小次郎と怒りっぽい若侍の武蔵であっても一向に差し支えないはずだ。