痩せ我慢の説のために(俳句・短歌・詩)
諸々の事情があって痩せることを考えざるを得なかった。考えてみればずいぶん前のことなので、当てにはならないことだったことがわかるのだが、わりと簡単に半年くらいで十数キロ落としたことが成功体験として記憶されているせいか、いつでも落とせるという根拠のない自信に結びつき、楽観的な眺望をもって食べる量を減らしていったのだが、生者必滅、とんと体重が落ちないのである。そこで一句、
咳をしても太り
あるいは、
太っても一人
元来自由律俳句をあまり好まないので、
天肥ゆる秋竹斎に身を擬して
しかるに、元来俳人ではないので、
夕暮れを滑る蜻蛉に我が魂は焦がれいずれば秋風とならむ
あるいは
見渡せば赤身も脂もなかりけり骨と皮との海月なす海
しかるに、元来歌人ではないので、
私の身体は
固い心棒に巻きついた繊維でできあがる
日々の仕事は糸繰りの職人
宙に張り巡らされた糸をたぐり続ける
巻きつけられた糸はやがて繭となり
無数の世界に張られた糸電話となるが
沈黙した心棒はバベルの塔
行き交う言葉を理解できない
街中の時計が破壊され
永劫の眠りが訪れる
しかるに、元来詩人ではないので、『言海』から「肥満」の定義を引いておこう、「コエフトリタルコト。(人ノ体ニ)」