魂のにおい――桂三木助『樟脳玉』

 

CDブック 三代目桂三木助 落語全集(全1巻)

CDブック 三代目桂三木助 落語全集(全1巻)

 

  たったひとつの言葉があるだけで好きになってしまう噺がある。私にとっては『樟脳玉』はそうした噺のひとつである。話そのものはどちらかというと、陰惨な、人の弱みにつけ込んだ、あまり気分のいいものではない。


 八公とその兄貴分はあいかわらず金がない。といって、しっかりした職人の技術があるわけでも、融通してもらえる手づるがあるわけでもない。兄貴分が八公に持ちこんだ金儲けの話は、なかば詐欺めいたものだ。

 

 最近、長屋に住む源兵衛の妻のおぬいが死んだ。美人だと評判で、しかも長屋住まいとは思えないほどの物持ちである。それもそのはずで、おぬいはもともとは召使いが数人ついてもおかしくないほどの山崎屋という商家の娘だった。

 

 源兵衛は幼いときに両親を亡くし、おじのもとに預けられたが、やがてその商家の住み込みとなり、おぬいにつくことになって、彼女のお気に入りとなった。幼いときはそれでよかったが、思春期になるとそうもいかない。そう感じたおぬいの親は源兵衛に店を構えられるだけの金を持たせて、おじのもとに帰した。

 

 しかし、ときは既に遅く、源兵衛のいなくなったおぬいは気鬱で病気になってしまう。背に腹は代えられない親は、一応勘当という処置をとったことにしたうえで、娘と源兵衛を添わせることにする。それゆえ、源兵衛がおぬいに仕えること、召使いが主人に仕えるのと違わず、家事一般おぬいに一切させることはなかった。実家から仕送りもあったので、それでも生活に困ることはなかった。そんな妻が死んだものだから、源兵衛の悲しみも一通りではなく、朝に晩にお題目を繰り返すばかりだった。


 八公の兄貴分が目をつけたのは、おぬいが残したと思われる金や着物である。屋根の上から樟脳玉を燃やしたものをたらして人魂のように見せ、かねて親交のある八公がそれとなく話を引きだして、それは家に奥さんの気をとどめるものがなにか残っているに違いない、自分はちょうど身延山へ行くところだから、残った金や持ちものを寺に納めてきてあげようと持ちかけ、遺留品を取り上げたうえで、二人で山分けにしようというのだ。

 

 計画はまんまと図に乗り、風呂敷いっぱいの着物を手に入れるが、金のことを忘れたのに気づく。そこでもう一度樟脳玉で人魂をつくり、翌日金のことを聞いてみるが、乳母日傘で育った娘ゆえ、金など自分で使ったことはないという。そういえば、樟脳を入れて大事にしていたひな人形がありました、と源兵衛は言うが、金にならないものなど八公にとっては迷惑なだけだ。八公の思惑などまったく気づいていない源兵衛はひな人形を取りだすと、ああ、やっぱりこの人形に気が残っていたんだ、魂のにおいがいたします。


 私が聞いたのは桂三木助のだけで、他の落語家がどのように演じているかわからないが、三木助のものには、おぬいがうがいした水を源兵衛が飲むくだりや、彼女が流した涙を吸いとる谷崎潤一郎めいた場面があるが、三木助の文学趣味のあらわれなのかもしれない。

 

 それはともかく、樟脳玉と魂との組み合わせは実に絶妙なものに思える。三木助の枕によれば、おもちゃの船に樟脳をつけると動力となって動くのだそうだ。また、火をつければ燃えあがる。過去のものを保存するが徐々にすり減ってゆく。固形ではあるが状況によっては急速に分解し、そうでなくても分解していく。とりもなおさず、樟脳のにおいというのは、なにと特定されることのない過去のにおいとしか言いようのないものであり、魂ににおいがあるとするなら樟脳のような、つまりは過去のにおいとしか言いようがないものに違いない。