不自由と芸――桂文楽『心眼』

 

NHK落語名人選 八代目 桂文楽 明烏・心眼

NHK落語名人選 八代目 桂文楽 明烏・心眼

 

  八代目桂文楽のレパートリーが偏波とさえ言えるものだったことはよく知られている。『落語大百科』によると、『明烏』ばかりを注文された文楽は、それによっていくつ噺を損したかわからないと言っていたそうである。そして、晩年まで完成させようと心を砕いていたのが『三味線栗毛』だという。


 『三味線栗毛』は、大名の末っ子とその出入りの按摩が、治療中の座興の話に、自分が大名になったらお前を検校にしてやろうという約束を交わす。検校はなるだけで数千両の金がかかる盲人としては最高の地位である。末っ子が大名になる可能性などほとんどないことは両人ともわかっているのだ。ところが、ふとしたきっかけでかの人物は大名の位に就くことになる。病で臥せっていた按摩はこれを聞いて夢中で駆けつけ、約束通り検校にしてもらう。

 

 名人といわれた円喬が得意としていた噺で、按摩がお出入りの若様が大名になったと家主に知らされるところが聞かせどころだったという。まあ、感動的な話ではあるのだろうが、晩年まで執念を燃やすような噺だろうかと疑問に感じるのも確かである。


 しかし、このことは文楽の十八番のひとつの柱をなす盲人もの全体に言えるのではないだろうか。他の落語家の十八番には遠慮をして手を出さないという不文律が寄席の世界にはあるようだが、若旦那や幇間の噺はともかく、『景清』や『心眼』などについてはその魅力が他の落語家にはピンとこなかったというのが本当のところではないだろうか。


 按摩の梅喜は盲人であることをさんざん弟に馬鹿にされて悔しくなって、薬師様に願をかける。願いが通じたらしく、満願の日に目が見えるようになった。早速女房のお竹に知らせようと自宅に向かうが、途中で上総屋の旦那に出会う。

 

 そして、女房のお竹が気立ては良いが、器量の悪さも相当だと聞かされてがっかりする。女房と違って男前の梅喜は、彼のことを前から憎からず思っていた芸者の小春と料理屋に上がり、夫婦約束までしてしまう。そこに乗り込んできたのがお竹で、梅喜につかみかかる。苦しさに気がついてみると夢だった。しっかり信心してね、と励ますお竹に、俺はもう信心はやめた、盲人ていうのは妙なものだねえ、寝ているうちだけよく見える。


 はじめの頃文楽は、恨みつらみを言ってお竹が池に身を投げるところまで演じていたという。さすがに後味の悪さを感じて変更したのかもしれないが、どちらにしても勘所のよくわからない噺である。

 

 最後が夢という落ちになっているので、お竹が器量が悪いのか、梅喜が男前なのかも本当のところはわからないようになっているが、どちらだったにしても、梅喜の目が見えないというハンディキャップを再確認することにしかならない。最後まで盲目であることが座頭市のようにプラスに転化することはない。心眼といっても、単にものが見えるだけの目とさほど変わることはないのである。


 なぜ文楽はこれほど盲人の噺にこだわったのだろうか。あえて推測してみると、文楽の十八番の中心になっていたのは既に言ったように若旦那、幇間、そして盲人の噺である。若旦那と幇間に共通しているのは、どちらもある意味で不自由を背負っていることだ。

 

 『明烏』などの場合は自分の未経験が拘束力となって自由を奪っているし、その他の噺では親がいるために気兼ねなく遊ぶことができない。幇間は、もちろん、旦那の気に染まぬことはできず、「しくじる」可能性があるという緊張感のなかで常に自分の不自由を感じているだろう。

 

 こうした不自由がもっとも端的な形で、身体的に表現されたのが盲人だと言えないだろうか。そして文楽はこの不自由を表現することにこそ芸の妙味を感じていたのではないか。弱い立場にあるものが強者へと逆転するダイナミズムなどにはほとんど感興をおぼえず、不自由を不自由であるからこそ芸の対象として好んだように思えるのである。