珍饌会――古今亭志ん朝『酢豆腐』

 

  幸田露伴に『珍饌会』(明治三十七年)という作品がある。全集だと戯曲に分類されているが、上演を目的に書かれたものではなく、会話と独り言の話し言葉だけで書かれている。なんに関しても一家言あるような一癖ある趣味人たちが互いに珍料理を持ち寄る会を開くことになる。皆の鼻を明かしたいものだから、それぞれ物知りの老人に聞きにいったり図書館に通ったりして準備に大わらわである。


 まむし酒、鰊漬け、三平汁、鶏肉の刺身、フカヒレくらいはいまでも食べられているが、猿の唇の煮ものや、フランス帰りの男がエスカルゴを持っていこうとするが、カタツムリがまったく見つからず、ナメクジで代用する段になると相当おかしな雰囲気となり、赤蟇蛙、黒蝦蟇、青蛙を生きたまま入れて煮る鍋物で頂点に達する。とどめを刺すように、鼠の胎児に蜜を吸わせたものを生のままで食べるという一品が出るが、ひとりを残して皆が逃げ去ったあとで、しん粉細工であったことが明かされる。


 いかにも露伴らしいのは、彼らは単に食べれば食べられるような下手物を持ち寄っているのではなく、それぞれに典拠が求められていることにある。猿の唇の煮ものは『呂氏春秋』の本味の段に、蛙の鍋は唐の尉遅枢の『南楚新聞』に、鼠の胎児は『遊仙窟』の作者が書いた『朝野僉載』に基づいているという。『酢豆腐』はこれに似た噺である。


 町内の連中が集って飲もうということになったが、酒はあるが肴がない。大勢なので数があって安いものはなんだろう、とがやがや言い合っていると、ひとりが糠味噌桶をかき回してみれば思わぬ古漬けが残っているに違いない、それを細かく刻めばどうか、と名案を出した。ところが誰も臭いが残るのを嫌がって桶に手を入れようとしない。

 

 たまたま通りかかった半公を褒め殺しにし、取りださせようとしたが、香々を買う金を出すから勘弁してくれ、といくらかの金を置いていった。次に通りかかったのがキザで知ったかぶりの若旦那、彼に与太郎が腐らせてしまった豆腐を食べさせようということになった。さんざんにおだて上げ、貰いものだといって腐った豆腐を出す。若旦那、それはなんてえものなんです、拙の考えでは酢豆腐でげしょう、若旦那、たんとおあがんなさい、いやぁ、酢豆腐は一口にかぎる。


 気にくわない若旦那をやり込める、ある種陰険ないじめのように演じているのを幾度か聞いたが、その解釈は違うと思う。まず、あくまで食べる方向に進んでいくのは若旦那であり、なんら強制されているわけではない。

 

 こんな食べものなど知らないし食べたくない、と拒否するなど若旦那の矜持が許さない。珍しいものですな、酢豆腐でげしょう、と言いながら食べることは、追いつめられた末の行為というよりは未知の現実をねじ伏せていく行為とみるべきなのだ。露伴の典拠の代わりにあるのは、アドリブによる言い逃れだが、底にあるものは共通しており、矜持とやせ我慢としてあらわれる負けん気なのであり、若旦那の行為は町内の単なる飲み会を珍饌会という晴れの場に変えている。