ビターも大事ーー花田清輝『大衆のエネルギー』(1957年) 

 

花田清輝著作集 II―大衆のエネルギー二つの世界
 

 

 

道化の宿命―シェイクスピアの文学 (1959年)

道化の宿命―シェイクスピアの文学 (1959年)

 

 

 永井荷風石川淳坂口安吾の三人を戯作者の系列として位置づけたのは平野謙である。三人に共通する韜晦趣味と反俗的な姿勢が、卑下と矜持が入り混じった江戸時代の戯作者の心性に通じるところがあるのだという。こうした分類そのものは、それによって教えられるものよりも、隠されてしまうものの方が多いが、この戯作者の系列は、花田清輝によって再び取り上げられることによって流動化し、刺激的なものになっている。
 
 花田清輝は、生涯を通じて、個人的な心情を排する身振りを崩さなかったが、なにか妙に義理堅いところがあって、滝口修造林達夫尾崎翠などについては常に敬意を払っていた。
 
 中橋一夫の『道化の宿命』という本についても同様であり、よく引用されている。花田清輝はこの戯作者の系列を論じるにあたって、その本にあるシェイクスピア劇にあらわれる三種の道化とその進化についての記述を援用している。
 
 『道化の宿命』によると、シェイクスピア劇には三種類の道化が認められる。
 
 第一に、『真夏の夜の夢』の職人たちや『十二夜』のマルヴォリオのように滑稽な仕草や言葉によって見物を笑わせるドライ・フール(愚鈍な道化)であり、結果的に他の登場人物を風刺するようなことがあっても、それは本人の意図するところではない。つまり、「常に人々の笑に身を曝している真に愚かな阿呆」である。
 
 第二に、『お気に召すまま』のタッチストンや『十二夜』のフェステのように、愚かなふりをしながら他の登場人物を風刺してまわるスライ・フール(悪賢い道化)である。『十二夜』のヴァイオラが道化を評して言うように、彼は「利口だから阿呆のまねができるのね、/阿呆をつとめるにはそれだけの知恵がいる。/ 冗談を言うにも、相手の気持ちをさぐり、人柄を見きわめ、/時と場合を心得ていなければならない。そして、/鷹のように目の前を横切る獲物をのがさず/捕らえなければならない」(小田島雄志訳)という機敏さと抜け目のなさをもっている。
 
 第三に、『トロイラスとクレシダ』のサーサイティーズのような、「その風刺があまりに苦いために笑の要素がある程度失われている」ビター・フール(辛辣なる道化)である。サーサイティーズは「なにもかもごまかしのまやかしの悪だくみだ。ことの起こりは間男と淫売女じゃねえか、いがみあい、徒党をくみ、血を流して死んじまうには、ごりっぱな大義名分だ。そんな大義名分なんかかさぶたにでもとっつかれるがいいんだ、戦争とセックスでなにもかもめちゃめちゃになるがいいんだ」(同右)と、風刺というよりは呪詛を投げかける。
 
 中橋一夫にとってはスライ・フールが道化の精髄であり、というのも、スライ・フールは辛辣な風刺の言葉を方々で吐きながらも、ヴァイオラの評言に見られるように、他の登場人物からもある程度理解され、彼らと調和していることによって十全な働きをすることができるからである。
 
 かくして、シェイクスピア劇の上から言っても、ドライ・フールは前代からの残存物であり、「シャエイクスピアの道化の流は初期的なスライ・フールにはじまって『ヘンリー四世』『お気に召すまま』『十二夜』においてその中心的な段階に入り、ジェイクイズを先駆とするビター・フールの時期に入ってサーサイティーズをもって終ったと考うべきであろう。この道化的主題の後をつぐものは、悲劇の中心主題である否定精神と悪魔精神である」ということになる。
 
 花田清輝はこの三種の道化それぞれを坂口安吾石川淳永井荷風の三人に当てはめ、しかもその進化の方向を逆転してみせる。
 
   
    荷風・淳・安吾の系列は、わたしに、シェークスピアの芝居に登場する道化の三つの型――辛辣な道化、悪賢い道化、愚鈍な道化を連想させる。中橋一夫の『道化の宿命』によれば、シェークスピアの描いた道化のうち、つねに人びとの笑いに身をさらしているほんものの阿呆である愚鈍な道化は、一歩前進すると、一見、馬鹿のようにみえながら、じつは腹のなかで人びとをせせら笑っている偽阿呆の悪賢い道化となり、さらにいま一歩前進すると、その偽阿呆に輪をかけた、ふれるものことごとくを笑殺する、いささか凄みを帯びた辛辣な道化となるということだが――しかし、案外、道化の進化は、人眼を掠めて、それとはまったく逆のコースをたどってきたのかもしれないのである。たとえば、荷風の『花火』における思わせぶりなプロテストが、淳の『曽呂利咄』における手のこんだ風刺に変り、最後に安吾の滑稽小説のたぐいにおける痴呆的な笑いと化した、とみればみれないこともないのではないか。もっとも、それは、進化ではなく、退化だといって反対するひとがあるかもしれない。しかし、平野謙のいうように、戯作者に韜晦がつきものである以上、ともすれば反俗の旗幟を高くかかげたがる荷風が愚鈍であり、通俗を標榜しながら、じつは反俗以外のなにものでもない淳が悪賢く、通俗一本槍の安吾が最も辛辣だということは、いまここであらためてことわるまでもなく、自明の事実ではあるまいか。
          (「スカラベサクレ」 『大衆のエネルギー』所収)

 

 ここでの花田清輝は、深刻な厭世観や機知に富んだ風刺に比べ一段低く見られがちなドタバタ的な道化ぶりと、同じようにその狷介さが抵抗精神のあらわれとして高く評価される永井荷風に比べ一段低く見られがちな「ファルス」作家としての坂口安吾の位置を同時に逆転させようとしている。
 
 皮肉や風刺はそれを理解してくれる仲間を必要とし、それを前提に発言されるが、理解にも仲間にもまったく無意識なドライ・フールは、それこそ「イノチガケ」でドタバタを演じる。
 
 別の場所で花田清輝はそんなドライ・フールを「わたしの理想的人間像」を言っており、ここで見られるように道化の進化を逆転してみせる手際には鮮やかなものがある。
 
 しかし、翻ってみると、安吾荷風を文学者ではないただの通人だと言って憚らなかったし、石川淳は、「敗荷落日」で晩年の荷風を痛烈に批判した(江戸の文化を教養の背景にもつことや森鷗外への敬愛は荷風と共有していたが)。
 
 一方、荷風は、晩年に入り、すでに創作も発表されない時期が続いていた(荷風の死亡は1959年のことであり、この本の出版の2年後である)。坂口安吾は1955年(つまり、この本の出版の2年前であるが、この文章自体は1954年1月に刊行された岩波講座『文学4』の収められているので、書かれたのは安吾の生前のことである)に50を手前にして亡くなり、石川淳は1987年の90の手前の死まで創作力を維持した。
 
 あるいは、花田清輝は、旺盛な創作力をみせていた坂口安吾石川淳をだしにして、消息が聞こえてこない永井荷風、ひいてはビター・フール(辛辣な道化)の必要性を示したのかもしれない。そもそも、石川淳がそうであるように、永井荷風坂口安吾といったほとんど互いに無関心で無縁である者を結びつけることができるのは道化の精髄である悪賢い道化ぐらいなものであり、その手の悪賢さにかけては花田清輝もはなはだ手際のよさを誇っている。