与太郎と盲人――桂文楽『厄払い』

 

八代目桂文楽落語全集―完全版(CD付き) (CDブック 完全版 八代目桂文楽落語全集(全1巻))
 

  全五巻の『落語大百科』を書き、立川談志の盟友でもあった川戸貞吉は昭和十三年の生まれで、ほぼ私の親の同世代だが、厄払いを見たことはないと書いている。その上で、寄席文字の橘右近の『落語裏ばなし』で厄払いについて触れている箇所を引用している。

 

 それによると、手拭いを吉原かぶりにして、腹がけ、股引姿の声自慢の若い衆や粋人が家の玄関先で、「おめでとうござい」と声をかける。厄払いの文句がすむと、家の者は一銭や二銭と豆を紙に包んで渡すのだそうだ。関東大震災の後はめっきり少なくなったという。いまでいうなら、火の用心の声かけにでもあたるのだろうか。


 なにもしないで母親を泣かせてばかりいる与太郎が、おじさんにさんざん説教され、ちょうど節分の夜だからということで、厄払いをするよう命じられる。口上を教わるのだが、さっぱりおぼえられない。仕方がないので、夜までしっかりと稽古するよう申しつけたうえで、紙に書いて渡した。しかし、そこは与太郎のこと、稽古などまったくせずに夕方になると出かけた。

 

 ところがまったく口がかからない。厄払いですよ、と声をかけても、もうすんだよ、というところばかり。途中、同業者に出会い、声をあげながら歩いて行けばいいのだと気づいた。そこで、デコデコにめでたいの、と触れながら歩いていると、それがある商家の旦那の耳に入り、おもしろい厄払いがきたから払ってもらえとなった。

 

 一銭五厘に豆を包んで渡すと、さっそく与太郎は紙を開け、二銭くれればいいじゃないかと文句を言い、豆を食べはじめ、お茶まで頂戴した。ようやく口上をはじめても、ああらめでたいなめでたいな、とすらすらいかない。つっかえたり横道にそれたりして、鶴は千年亀は万年まで行きついたが、「東方朔は八千歳」となるともういけない、とうぼう・・・・・・で絶句して逃げだしてしまった。旦那、厄払いが逃げてきますよ、ああ、道理でいま「逃亡」と言ってた。


 節分とは当然旧暦でのことであり、年の瀬にあたる。それで、与太郎が出会った厄払いも「お年越しのご祝儀に」と声をあげていたわけである。ところで、加藤郁乎の『江戸俳諧歳時記』によると、「節季候」という季語がある。「せきぞろ」とも「せつきぞろ」とも読む。芭蕉の「節季候を雀のわらふ出立かな」、其角の「節季候や口をとぢたる渡し舟」の二句をあげておこう。

 

 参照されている文章によっていささか出で立ちや行為に相違があるが、そのひとつをあげれば、編み笠で顔を隠し、宝づくしなどが描かれている紙の前掛けをかけ、割れた竹を両手に持って叩き囃しながら、祝いの言葉を唱えて門に躍り込み、米や金を要求するのだという。声自慢の若い衆や粋人ではなく、乞食のたぐいがすることだったのだ。また、昔は三都にあったが、大阪ではなくなったそうである。


 厄払いと節季候は同じものだと考えていいだろう。本来、厄災を背負った者が無事に暮れ、また明けていくであろう年を言祝ぐ行為だったのである。めでたい言葉と与太郎の陽気さで覆い隠されているが、『厄払い』を演ずる桂文楽と『心眼』を演ずる桂文楽とは裏表の違いはあっても同じ場所にたっているのかもしれない。