郊外ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコトーー澁澤龍彦『[都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト]』

 

 

都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト (P+D BOOKS)

都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト (P+D BOOKS)

 

 

 

ほんとうの私

ほんとうの私

 

 

 夢や幻想に対する反対意見として、ミラン・クンデラは『ほんとうの私』という小説で、登場人物に次のように考察させている。
 
       夢によって惹きおこされた不快感がとてつもないものだったので、彼女はその理由を解読しようとつとめた。あたしがあれほど動揺したのは、と彼女は思う。夢によって現在の時間が抹殺されたからだ。というのも、あたしが自分の現在に激しく執着しているからで、あたしはなにがあってもこの現在を過去とも未来とも交換しはしない。だからこそ、夢が好きではないのだ。夢は同じひとつの人生のさまざまな時期を平等にしてしまうけど、そんなことはとうてい受け入れられない。それに、人間がかつて生きた一切のものを無理やり均質にして、同じ時代のものにしてしまうし、現在に特権的な立場を認めることを拒んで、現在の価値をさげてしまう。(西永良成訳)
 
 周知のように、夢や幻想の擁護者として徹底していたのは澁澤龍彦である。擁護者といっては言葉が弱く、悪魔学もエロティシズムも古今東西の綺譚も同一平面にあり、いわゆる「現実」などは形而上学や寓話への道筋を開かない限り鼻もひっかけなかった。人間の生は夢のごときものだというのは、比喩としては手垢にまみれているが、大病によっても生に執着することはなく、「ますます観念的になり、ますます『人生は夢』という意識は強くなって・・・・・・やがて夢をみるように死んでゆくでしょう。」(池内紀との対談「澁澤龍彦氏に聞く」)と言いきり、実際にそのように死んでいったのをみると、筋金入りである。
 
 その死後、晩年のエッセイを集めた『[都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト]』が刊行された。知識の量においても生に対する姿勢においても遙かに及ばないが、唯一私が自慢できることがあるとすれば、幻覚を見たことがあることだ。
 
 しかも、澁澤龍彦の場合、手術後の痛み止めの麻薬が原因らしいが、私の場合自前で見たのであるから自慢しないわけにもいくまい。病院で見たことも同じで、病院に運ばれる前にそれ相応の事情はあったわけで、必ずしも自前で絞りだしたとは言えないかもしれないが、どんな幻覚でも原因があることを思えば、原因も自分であってみれば自前といって差支えないだろう。
 
 また、「生れてから一度として、幽霊もおばけも見たことがない」し、「例えばメリメのように、鷗外のように、私は怪異譚や幻想譚を冷静な目で眺めることを好んでいたし、げんに好んでいるわけで、ネルヴァルのような譫妄性の幻覚には自分はまったく縁がないと思っていた。」という点についても澁澤龍彦と同様であったので、幻覚を見たことは実に新鮮な経験であったのだ。
 
 結局私はその病院で、二度幻覚を見た。一度目は、救急室に運ばれたときのことで、ペイズリー柄のようなよくある模様の天井だったが、その柄が壁のほうに流れていった。妙なだ、と思って目をこすったりぎゅっとつぶってみたりしたが、あいかわらず流れているので、これが幻覚なのかと妙に納得した。
 
 一度目の幻覚は、かくしてごく単純な知覚的なものだったが、二度めの幻覚はより物語的な起伏に富んだものだった。あとになってわかったが、私が入院したのは古い病院で最新の器具や集中治療室もなかったが、軽い手術後やしばらく様子を見なければならない患者は最上階の(といっても3,4階)看護師さんの詰め所近くにベッドが置かれた。そこにいたとき、患者は私ひとりだった。
 
 そこは備品置き場も兼ねているらしく、ちょうど入れ替えのときだったので、騒がしくなるのでベッドを移動しましょうか、と尋ねられたが、いや別に構いませんよ、と私は答えた。ベッドはカーテンで締め切られている。しばらくすると、カーテン越しに右手の壁が開き、スモークがたかれ、舞台で使うような強い照明の光が差し込んでいるのが見えた。照明の先には祭壇のようなものが築かれ、しずしずと歩んできた男がラテン語を唱えだし、ぴかぴか光っているナイフ状のもので、祭壇に横たわっている人間を幾度も突きさした。また、太い綱で巨漢の白人を打ち据える。この大男はうなり声を立てながら私のカーテンの裾まで転がって来ると、ずっと丸まってうなり声を出し続けている。
 
 まず考えたのは夢ではないかということだった。夢との関係についてもちょっと述べておくと、私はほとんどいやな夢を見たことがない。年に2,3度、血まみれで逃げ惑うようなスプラッタ映画そのままの夢を見ることはあるが、おそらく心のどこかで夢だとわかっているのだろう、楽しく感じている。遊園地でジェットコースターを楽しんでいる感覚に近しいかもしれない(私は実際の遊園地は、回転木馬さえいやなのだが)。
 
 しかし、もし自分が見ているものが夢なら、カーテンに囲まれたベッドにいる目覚めているときと同じ状況にあることが妙であるし、周りにある物を次々に触れてみると確かな感覚がある。視覚も聴覚も触覚も確かに働いている。夢だと意識している夢はあっても、感覚を確かめて確固たる手応えを感じるような夢は見たことがない。
 
 そこまで考えると、世界にひび割れが入ったように本当に怖くなってきた。こんなに近くに置いておいて、自分がこのままで済むわけがないと思ったこともある。勇気を振り絞ってカーテンの裾を少しまくってみると、やはり大男が身体を丸めて呻いている。ある種のカルト集団で、鞭打ち苦行的な実践をしているようだった。儀式が終わると歓談が始まり(半分は外国語だった)、それも終わるとごめんね騒がしくて、と看護婦さんが言いにきた。それからとろとろと眠ってしまったのだろう、朝見る部屋はホラーゲームの『サイレント・ヒル』に出てきてもおかしくはないほど古びたものだったが、それ以外に特に変な部分はなかった。それで幻覚だったということがわかった。
 
 わからないのは原因である。強い痛みを伴うような病気ではなかったので、点滴はしていたが痛み止めのようなものは使われなかったはずだ。酸素マスクをしていたが、高山病のように低酸素で幻覚を見ることは聞いたことがあるが(久生十蘭の短編にも高山でおかしくなる印象的な様子が描かれていたと思う)、酸素を吸入していておかしくなるのは聞いたことがない。おそらく、出血がひどかったことによるのだと思う。一週間ほどたって、一般病室のほうに移ると、廃屋のような『サイレント・ヒル』的な要素は薄れていて、いささか残念に思わないこともなかった。