ユートピアとしての猫--夏目漱石『吾輩は猫である』

 

吾輩は猫である (岩波文庫)

吾輩は猫である (岩波文庫)

 

 

 夏目漱石の『吾輩は猫である』はおそらく日本で最も有名な小説のひとつだろうが、知られている割には、完読されることはないのではなかろうか。

 

 この小説は、日露戦争中からその直後にあたる、明治38年の1月から翌年39年8月まで、『ホトトギス』に連載された。よく知られているように、夏目漱石は、同級生で親しい友人だった正岡子規のほかにも、幸田露伴尾崎紅葉と同じく慶応3年に生まれた。森鷗外は彼らよりも5年ほど年長である。

 

 第一作が、明治38年だということは、同年代の文学者たちに比較すると相当に遅い文学的出発であり、既に友人である正岡子規尾崎紅葉は死に、森鷗外日露戦争に軍医として従軍したことに加え、それ以前から日清戦争、小倉に赴任したこともあり、明治20年代の旺盛な創作活動からは遠ざかり、歴史小説から史伝を断続的に発表しはじめるのは、明治末年から大正に入ってからである。幸田露伴は、長編『天うつ波』を連載していたが、日露戦争という国家の一大事において、「脂粉」の気の漂う文章を書き続けることに甘んじ得ないという潔癖さから題名の意味を予感させるような出来事がひとつも起きない冒頭部分で中断し、それが長編小説への最後の試みになってしまった。

 

 いわば同年代で、明治20年代の近代文学の草創期に活躍した作家たちと入れかわるような具合に、夏目漱石は登場した。『吾輩は猫である』が冒頭の文とともに、おそらく日本の小説のなかで最も有名でありながら、完読したものは少ないのではないかと思われるのは、難解でもあり、非常に妙な小説だからである。『ホトトギス』という俳句専門の雑誌に連載されたことも関係しているのか、江戸文学が相当の割合で組み込まれている。

 

 前半部分は滝亭鯉丈の『花暦八笑人』など、落語でいうなら実際『八笑人』の一挿話から成り立っている『花見の仇討ち』を思い起こしてもらえばわかるように、主人である苦沙弥のもとに、迷亭、寒月などが集まり、無駄話を繰り広げたり、中盤では『浮世風呂』を近代風に書き直す場面も登場する。しかし、『八笑人』のように、奇妙な趣向を催して、大向こうの喝采を受けたいと望むほど彼らは活動的ではない。

 

 印象的な挿話をあげておくと、迷亭が、越後から会津へ抜ける峠の一軒家で御馳走になった蛇飯がある。鍋の蓋に大小十個ほどの穴が開いている。煮立った米のなかにとぐろを巻いて絡まりあっていた蛇を投げ入れてその蓋を閉める。すると熱がった蛇が開いた穴からひょっこりと頭を出す、その頭をもってつぅーと引っ張ると蛇の肉だけが鍋のなかに落ちて、骨抜きができる。漱石の俳句や『夢十夜』などに見られるグロテスク趣味があらわれている。

 

 また、大和魂についての苦沙弥の短文は、見事な風刺文になっている。寒月と迷亭の茶々を抜いて引用する。

 

 大和魂!と叫んで日本人が肺病やみのような咳をした

 大和魂!と新聞屋が云ふ。大和魂!と掏摸が云ふ。大和魂が一躍して海を渡つた。英国で大和魂の演説をする。独逸で大和魂の芝居をする

 東郷大将が大和魂を有つて居る。肴屋の銀さんも大和魂を有つて居る。詐欺師、山師、人殺しも大和魂を有つて居る

 大和魂はどんなものかと聞いたら、大和魂さと答へて行き過ぎた。五六間行つてからエヘンと云ふ声が聞こえた

 三角なるものが大和魂か、四角なものが大和魂か、大和魂は名前の示す如く魂である。魂であるから常にふらふらして居る

 

 

 そもそも、『吾輩は猫である』は、近所に住み、価値観をまったく共有しない実業家である金田とのちぐはぐな関係や、寒月と金田の娘とが好意を持ちあっているらしいことから送られてくる共通の知人による苦沙弥家の密偵、実業家である自分に敬意を払おうとしない苦沙弥への中学生を使った嫌がらせくらいの出来事しか起きはしないのである。その結果、江戸文学を使ったある種の写生から、ヨーロッパ文学、美学、仏教、儒教、科学にわたる高度な諧謔に移行し、主人とその仲間たちを見る視点であったはずの猫が、いつの間にか登場人物の誰よりも賢い文明批評家に変じるのである。

 

 そして「則天去私」などと後になって言葉にしてはいるものの、決して漱石自らは落ち着くことのできなかったある種の悟りのなかで猫は死を受け容れる。

 

 次第に楽になつてくる。苦しいのだか難有いのだか見当がつかない。水の中に居るのだか、座敷の上に居るのだか、判然としない。どこにどうしてゐても差支はない。只楽である。否楽そのものすらも感じ得ない。日月を切り落とし、天地を粉虀して不可思議の太平に入る。我輩は死ぬ。死んで此太平を得る。太平は死なゝければ得られぬ。南無阿弥陀仏々々々々々々、難有い々々々。

 

 

 こうした点から見ると、猫は漱石作品のなかでもっとも幸福な、ユートピア的存在であったと言える。