幸田露伴を展開する 5

 

 明治二十八年に書かれた小説『新浦島』は、露伴の小説がもつジレンマが赴くところを象徴的にあらわしている。浦島太郎の一族の末裔である次郎は、揃って死んだ両親の遺体が、一片の骨を残して跡形もなく消え去っているのに驚く。平凡な漁師夫婦と思っていた両親が実は仙道の奥義を極めていたらしいのである。様々な研究と労苦の末、次郎は聖天を呼び出すことに成功し、通力をもつ同須を侍者として授けられる。

 

 次郎は同須を通じてあらゆることを経験できるようになる。同須は邯鄲の夢の寓話で道士が盧生に貸し与えた青磁の枕と同じ役割を果たしており、『新浦島』は「邯鄲の夢」のヴァリエーションなのである。また同須を通じてあらゆることが可能になった次郎は、小説家としての露伴をアレゴリカルにあらわしていると考えることができる。同須が次郎にどんな経験も可能にするように、小説は露伴にあらゆることを表現できるようにしてくれるはずである。

 

 酒肴と温泉を頼むと、同須は次郎を楊貴妃がつかったという驪山の温泉に五色の車で案内する。十二人の美女が饗応に尽くしてくれる。また、住んでいた小さな家は荘厳美麗な宮殿に建て替えられる。酒宴の後、次郎は同須に、その通力のことを問い質す。この家はどのようにして建てたのか。通力は無から有を生み出すことができるのか。

 

・・・我が通力は何として無より有を成し得申すべき、此広大なる御住居は千里二千里乃至は東勝神州西牛賀州等より奪ひ来りまして此地に安置せしばかりの事、召し上られたる美酒は蘭陵の青旗立てたる家より部下の者に奪はせ、下物は極楽の飲食乃至は北鬱単越の香厨より掠め来らせましたるもの、美女美少年は通力をもて欺き釣り寄せ我が同族となしたるものにござりまする、旧の御住居近に在りし漁師等が家は火を放つて灰燼となし地を清め、七千の部下を使役して斯く迅速に御一献御心よく酌まれんため御住居をばしつらひたり、と誇顔に答へ澱みなし。     (『新浦島』)

 

 

 次郎は同須の行為を仁にも徳にも背くことであると猛然と怒る。同須は、酒を快く飲みたいという頼みを自然に解釈すればこうした舞台が当然であること、欲を前にしたとき仁や徳が何程のことがあろう、と説く。次郎は、前期の露伴の小説にたびたび見られるように、自らの煩悩を持て余す。こうした善と悪との葛藤や、煩悩とそこからの解脱に悩む人物像は陳腐なものと言えよう。正宗白鳥が手厳しく言うように「有り振れた、昔からの日本人好みの佛教的悟り」、より正確に言えば悟れなさを、「型通りの名文調」(「幸田露伴」)で描いたものだといえる。

 

 しかし、ここでの小説家露伴の苦い認識とは、実は、欲望が仁徳を損なうといったことにあるのではなく、通力といえども無から有を産み出すことはできないことにある。世界はいまあるがままの世界に留まるしかなく、その部分を組替えることはできるが、新たなものを産み出すことはできない。

 

 同じように、小説は言葉に留まるしかなく、言葉の組み合わせは可能だが、言葉の外側に出ることはできないのである。次郎の同須に対する怒りは、露伴の、「假作物語」である小説への憤りに重なっている。小説は、同須が準備した壮麗な舞台と同じように、どこかにあるものを奪い掠めたもので成り立っている。そうした舞台で主人公が何をしようが、もともと恣意的人工的にしつらえられた場所と人間とが無媒介に交換し合うことなどできるはずがないのである。

 

 職人の素材への没入を描くことが小説から外の自然への通路のように思われたのは幻想に過ぎない。職人の仕事そのものが、小説のなかでは、どこかから奪い掠められてきた言葉の集まりでしかないからである。

 

 同須に冷静に理を説かれ、次郎の怒りは勢いを失って、返す言葉もない。ただ、奪ってきた人と物を元通りに返すように命じるしかない。露伴も、また、小説で奪った言葉や話を元の場所に返し、随筆や史伝に徐々に向かうことになる。次郎は最後に、北方にあるという紅蓮澗の澗水に浸けて我が身を石と化するように命じる。悟りのように世界から脱出することなく、世界に石として留まる。

 

 次郎は石になることによって、鶴の声のような自然が自ら行う表現を体現することができるが、無機的な石に自然との交感はない。露伴も小説において、芭蕉に見られたような自然との無媒介な交感を断念する方向に向かっていく。前期の露伴の掉尾を飾る未完の長編『天うつ波』は、露伴がいったんは避けようとしたはずの『八犬伝』的な小説なのである。そもそも風流といったことに関して述べることが少なくなっていった。