哲学機械 1 プラトン『国家』

 

国家〈上〉 (岩波文庫)

国家〈上〉 (岩波文庫)

 

 

 

国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)

国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)

 

 

 ニーチェを改めて読み返そうと思った。しかし、その前にショーペンハウアーもまたちょっと読んでおこうかと思った。『意志と表象としての世界』をだいぶ以前に読んだが、それほどはっきりおぼえていなかったからである。

 

 ところがショーペンハウアーを読んでいると、彼がヘーゲルに対する痛烈な批判者であることは、数十年前に読んだもはや名前もおぼえていない論文が、最初から最後までヘーゲルのことなど批判する価値もないかのような、罵詈雑言であったことをおぼえていたので意外性はなかったが、総じて学問的なことについては謙虚な人物であり、なかでもプラトンとカントを非常に敬愛している。カントについては、「物自体」についての扱いを間違えたということで批判を寄せているが、ヘーゲルに対する罵詈雑言とは異なったまともな敬意のこもった批判である。

 

 そんな脇道にそれているうちに、プラトンを読み返したくなった。以前のブログで「逸脱するソクラテス、あるいは・・・・・・ーープラトン『国家』」を書いたが、面倒になって途中でやめてしまった。ややその文章に手直しを加えながら、読み直してみたいと思う。

 

 ド・クインシーには「プラトンの『国家』」というエッセイがある。前置きのあとに『国家』全十巻の各巻について簡単な概略を述べ、それに注釈、批判を加えているものである。意外なことにと言うべきか、ド・クインシーはそこでプラトンを容赦なく批判している。少しくその論調を見てみることにしよう。プラトンアテネ文化、つまりはギリシャの最高の時期に生まれたことは認めている。

 

  ペリクレス統治の最も華々しい時期の直後であり、それに結びついているプラトンの青年期以上にギリシャの知性とギリシャの洗練を例証できる時はない。実際、ペロポネソス戦争の時期――ギリシャが分裂して戦った唯一の戦争であり、努力や競い合うことで得られる名誉をもたらした――クセノフォンや若いキュロスと同時代であり、アルキビアデスは成人しており、ソクラテスの晩年にあたる、こうした同時代人と共に戦争と変革に満ちた休戦状態の繰り返しのなかプラトンはその燃えるような青年期を過ごした。

 

 ペリクレスの輝くばかりの落日はまだアテネの空を焦がしていた。創造されて間もない華麗な悲劇と華やかな喜劇とがアテネの舞台を埋め尽くしていた。都市はペリクレスとフェイディアスという創造者の手になっていまだ新鮮であり、美術は絶頂点に向かっていた。そしてプラトンが成年に、法律上の能力をもったと思われる時期、つまり、キリスト生誕のちょうど四一〇年前には、ギリシャの知性はアテネにおいて絶頂を迎えていたと言われている。

 

 アレキサンダー以後の時代はアジアほか外国の影響を受け、さらにそれ以後となるとローマのくびきにつながれ、ギリシャが自国に根付いた言葉を話すことは再びなかった。いわばプラトンの時代のアテネは円満具足していた。だが、このことは、彼の欠点を浮き彫りにもする。以下、ド・クインシーが哲学者プラトンの著作一般に見られるとする欠点を挙げてみると、

 

 1.他国の影響を受けず、自足したアテネ文化で、いわばアテネ的な知性の代表者として著作したプラトンは、そのときギリシャの知識人たちの関心を引いている問題にかかずわり過ぎた。ある意味そうした問題についてのばらばらなエッセイをまとめたものに過ぎない。それゆえ、彼の哲学とされるものには体系的な全体など存在しない。すべてが断片的な意見である。プラトン以後体系的な、総合的な哲学を目指したものにアリストテレスデカルトライプニッツ、カントがいるが、彼らでさえ完成に近づくことはなかった。プラトンの多様な対話を切り貼りして、整合的な体系をまとめ上げようとすることが一般的な傾向となっているが、断片的で一貫性のない著作のどこに一貫性への志向さえ見いだされるだろうか。

 

 2.対話編には数多くの人物が登場するが、彼らの語る言葉がどこまで本人のものであるのか読者にはわからない。また、提示される教義が仮説なのか、対話を先に進めるための戦略なのか、あるいはプラトンおよびソクラテスが真に納得して採用したものなのか、我々には判断するすべがない。

 

 このことには、プラトンが出くわした出来事、つまりソクラテスの死に大きく関連している。『ソクラテスの弁明』で描かれたように、アテネ市民の不寛容によってソクラテスは毒杯を仰ぐことになった。このことは師匠の死という衝撃のほかにも、自由な探究心や発言をくじくものであったに違いない。その結果、あり得べき非難や迫害を逃れるために、プラトンはその教義に二重性をもたせるにいたった。この点がド・クインシーのもっとも強く非難するところでもある。

 

 3.およそ人間精神一般に関わることで、二重の教義などは考えられない。絶対的真理ともっともらしい真理をともに保持しながら、哲学的本性の問題にどこまで踏み込めるだろうか。もっともらしい真理を選択した瞬間、真の真理は犠牲にされるだろうからである。

 

 4.もし二重の教義が可能であるなら、ソフィストたちの弁舌や演劇的身振りを採用していることになるが、各種の対話編に明らかなように、プラトンソクラテスの言葉を借りて、繰り返し彼らに対する軽蔑をあらわにしていたはずである。

 

 5.さして豊かでもない思想を、思想を盛りこむには不適切な会話という様式を用いること自体に無理がある。「貧しい男が、最大限に手を尽くしても粗末な家を見苦しくない程度に維持していくにも足りないときに、町と田舎に二軒の家を持つと公言するなら、彼に対する軽侮の念は十倍にもなろう。あるいは、カエサルと同等の位にあると思いたがっているほら吹きの秘書官が三人の筆耕に同時に口述しようとし、尊敬に値するような仕方で一人の相手をするのにも自分の持っているものではまったく足りないことが痛いほど明らかになったときの、この惨めな山師のことを読者は想像してみてほしい。」とド・クインシーは言っている。

 

 6.もし二重の教義がうまくいったとしよう。しかしそれには、真と偽とをわける鍵が誰かに伝えられなければならない。いずれにしろ彼は、そうした解釈の伝統が、中断を被ることなしに、何世代ものあいだ続くと考えるほど人間が偶然に左右されることに関して無知だったのだろうか。実際、もしそうした伝統があったとしても、現在では失われてしまって、修復できないほどになっている。どの部分がフラトンの本当の意見なのか、どれが当面の反対や対立を避けるための表面的な同意なのか、あるいは単に会話を長引かせるためだけのものなのか、誰にも理解できない。意味が不明瞭であっても、考え方に統一性がある哲学なら、真の教義にたどり着く可能性はあるが、二重性のある哲学では、理解から決して曖昧さを取り除くことはできないのである。

 

 『国家』は実際的な問題が扱われていること、しかも直接的な政治批判となっていない点において、他の著作よりは上記のような二重性を免れているといえる。

 

 だが、プラトンの信奉者が抱いているような純粋性については、どうみてもその痕跡さえ見出せないだろし、先見の明については、それを定義されていない観念の意味にとるならば、十分以上にある。