シネマの手触り 3 イングマール・ベルイマン『仮面/ペルソナ』(1966年)

 

 

 

イングマール・ベルイマン 黄金期 Blu-ray BOX Part-3

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脚本:イングマール・ベルイマン

撮影:スヴェン・ニクヴィスト

オンガク:ラーシュ・ヨハン・ワーレ

出演:ビビ・アンデショーン

   リヴ・ウルマン

   グンナール・ビョンストラント

 

 モノクロ映画である。いかにも実験映画的な極端に短いショットの積み重ねには、数字などが書き込まれたフィルムの断片、古いカトゥーンの断片、溶接される鉄片にまじって、勃起した男性器が挟まれ、装飾がまったくない真っ白な部屋のなかに少年がシーツにくるまっており、側転をしてシーツを巻き込んで本を読み出す。

 

 焼身自殺する人物のニュース映像らしきものが映り、舞台上にいるらしい女性の顔があらわれる。少年がいた空間と同じような、医療器具のまったくない真っ白な部屋のなかに女優は寝かせられている。担当する女医が言うには、身体的にも、精神的にもまったく健康だという。しかし、女優(リヴ・ウルマン)はまったく言葉を発しなくなっている。

 

 気分を変えるために女医の別荘である、海沿いの家でしばらく過ごすようにいわれ、付添として若い看護婦(ビビ・アンデショーン)が選ばれる。ほぼこの二人の顔の映画であり、背景さえほとんど映り込むことはない。女優が言葉を発しないので、看護婦が自分の恋愛の話などをしゃべることになる。ところが、あるとき、女優が女医宛に書いた手紙を盗み読むことによって、自分が観察対象でしかないことを知る。そこから看護婦の女優に対する感情に憎悪が入り交じるようになる。しかしそれは看護するという自分の職域を離れることによってひとりの女となることであり、同一化が始まり、実際、終盤では二人の顔が融合されて区別がつかなくなる。

 

 この映画を撮ったときには、ベルイマンは非常に体調が悪かったらしく、脚本らしい脚本も書けず、走り書きに過ぎないものと、二人の人間が手を重ねるという夢で見たイメージだけをもとに、撮り進めていったらしい。それだけにベルイマンの本性というものがもっともむきだしになった映画といえるかもしれない。

 

 実際、謎の多い映画である。冒頭の少年は何ものであるのか。彼が読み始めた本の中身が映画の主張部分に当たると見られないこともないが、少年が女性二人の自己同一性に関する濃密なドラマを読むことに自然なつながりがあるとも考えにくい。後半にごく短い間だけでてくる女優の夫が盲目らしく、看護婦のことを妻だと思い込み、ベットをともにしながら子供のことをくどくどと語るのをみると、あるいは少年は女優の子供であるかもしれないが、どちらにせよ明示的に記されるわけではない。更に、この映画には男性のナレーションがはいるのだが、語っているのはベルイマンなのであろうか、女優の夫なのであろうか。そして、最終的に、女優がなぜ言葉を発しなくなったのか最後まで明らかにされることはない。

 

 しかし、とりもなおさず、この映画が二人の女の顔の映画であることを思えば、ペルソナが徐々にはがれていき、空虚な生の顔があらわれてくるまでの映画だと見て取れる。ペルソナは幾つもの層から成り立っている。女優は言葉を発しないことによって、既に女優という役割を失っており、看護師は自分の仕事を最後に放棄する。役割の下には、社会的なペルソナというべきものがあり、家庭における位置などはまさしくそうしたものだが、夫を他人の手にゆだねることによって放棄される。母親という地位も放棄している。そして、人間にとってもっとも根本的だと思われる自己同一性も失われる。もっとも根本的だと思っていた自己同一性にも実は他者が関わることが重要なのであり、最終的には自己同一性を意味のあるものとする他者までが去って行く。そして最後に残されるのが、もはやペルソナではない能面のようなただの仮面なのである。