シネマの手触り 5 イングマール・ベルイマン『ファニーとアレクサンドル』(1982年)

 

ファニーとアレクサンデル オリジナル版 HDマスター [DVD]

ファニーとアレクサンデル オリジナル版 HDマスター [DVD]

  • 出版社/メーカー: IVC,Ltd.(VC)(D)
  • 発売日: 2010/11/26
  • メディア: DVD
 

 

脚本:インマール・ベルイマン

撮影:スヴェン・ニクヴィスト

音楽:ダニエル・ベル

出演:グン・ヴォールグレーン

   エヴァ・フレーリング

   アラン・エドクール

   ハッリエット・アンデルセン

   アンナ・ベルイマン

 この映画には5時間のTV版と劇場公開用の3時間の二つのヴァージョンがあり、ヨーロッパでは3時間のものが公開されたのだが、日本では神保町の岩波ホールで5時間版が公開された。岩波ホールは後期のベルイマンの作品をずっと公開し続けていで、より完全ものをという配慮から5時間版が1985年に公開されたのだろう。私は公開時に見て、それ以後WOWOWかなにかで見たとするならそれも5時間版だったはずで、ところがいま手元にあるのは劇場版の3時間のものでそれを再び見直した。なにぶん、5時間版を見たのが数十年前にさかのぼるので、二つのヴァージョンの比較をすることはできない。

 

 それにしても、いつでも記憶に残っている印象が、世界大戦以前のブルジョアという階層が、いまだ豊かな生活を送っていた時期の甘美な幼年時代ということに限られていて、中盤に父親が死に、母親が子供(アレクサンドルという兄とファニーという妹)たちを連れて、病的なまで権威的で、すべてに支配力を振るおうとする聖職者のもとに嫁いでいく場面がくると、そういえば、この映画にはこんな陰鬱な場面もあったのだな、とこと新しくびっくりする。『沈黙』、『仮面/ペルソナ』、『叫びとささやき』などとは異なり、カメラの動きが制限されておらず、美術がうつくしいので、中盤にある『沈黙』や『仮面/ペルソナ』的な息詰まるような場面を自然に忘れてしまうらしい。

 

 この映画はクリスマスから始まり、それこそロバート・アルトマンの群衆劇のように、着飾った者たちが続々と入れ替わり立ち替わり登場するので、TV版だとまた違うのかもしれないが、ほとんど人物が特定できない。ファニーとアレクサンドルの父親は、家族を中心にした劇団の運営を行っているのだが、映画の中盤近く、その父親が倒れて、はじめてその妻、つまりファニーとアレクサンドルの母親がはっきりするほどである。

 

 題名こそ『ファニーとアレクサンドル』となっているが、ファニーは5,6歳くらいか、幼くてほとんど言葉を発することもないので、10歳くらいのアレクサンドルが事実上の主人公だといっていい。彼は、額縁のついた彩色図画の上で、いろいろな絵を動かして物語を語るような、夢想的な少年である一方、宗教的なことについては反感を持っているらしく、最後には折檻に屈してしまうが、新しい父親のおためごかしの神の話などにはなんら心を動かされず、嘲笑的ですらある。しかし、本来は女性的な能力だと思われている、巫女的な力を備えていて、『叫びとささやき』と通底するテーマであるが、彼には死者が語りかけてくる。実際、死んだはずの父親に出会っている。

 

 新たな夫の高圧的で、権威主義的な面にようやく気がついたアレクサンドルたちの母親は、離婚を申し出るが、夫は承諾せず、あまつさえ子供の親権を取り上げると脅す。しかし、母親は子供が折檻されていることを知ると、子供たちだけ逃がし、自分は夫の元にとどまることを決意する。彼女は新しい夫の子供を既に妊娠している。無事に子供たちを逃がし、自分のためにつくった睡眠薬入りの飲み物を偶然夫が飲んでしまったことから、とっさに自分も逃げだすことを決意する。

 

 アレクサンドルたちはクローゼットのなかにはいり、人形や能面などの仮面があふれた古物商のうちにかくまわれることになる。夜、トイレに起きたアレクサンドルは、古物商を手伝っている人形遣いの男と話し、幾つもの錠で部屋に閉じ込められた男の兄弟に紹介され、死者と出会うアレクサンドルの能力についてなにか暗示的に語られるのだが、あるいはそれはアレクサンドルの夢であるのかもしれない。

 

 逃げだした聖職者の家では、寝たきりではあるが怪物的に肥大化した叔母がある種隠然たる支配力を握っており、彼女の火の不始末によって聖職者もろとも、すべてが焼けてしまう。

 

 クリスマスという賑やかな場面から始まったように、もとの家に戻ったファニーとアレクサンドルの母親が、新たに出産した子供をお披露目する場面がエピローグとなっている。一通りのお祭り騒ぎが過ぎたあとで、アレクサンドルは、焼け死んだはずの義父が、いつまでもおまえから離れはしないぞ、とおどかすのに出会うのだが、さして怖がる様子はない。

 

 祖母の膝枕で、実の父親に変わって母親が引き継ぐことになった劇団の次の公演演目であるストリンドベリの言葉、起こりえないことなどなく、すべてが可能である、時間と空間は存在しない、現実という薄っぺらい額縁には、想像力が新しい模様を紡ぎ上げるのだ、と祖母が読み上げる言葉を、アレクサンドルが既に知っているかのように聞いている姿で映画は終わる。