世界劇場 3 モーツァルト『フィガロの結婚』(2006年)

 

 

Mozart: Great Operas/ [DVD]

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  • 出版社/メーカー: Opus Arte
  • 発売日: 2016/09/30
  • メディア: DVD
 

 

 

指揮者:シルヴァン・シャンブリング

演出:クリストフ・マータラー

振り付け:トーマス・スタッチ

アルマヴィーラ伯爵:ピーター・マッテイ

アルマヴィーラ伯爵夫人:クリスチーネ・オエルゼ

スザンナ:ヘイディ・グラント・マーフィ

フィガロ:ロレンゾ・レガッツォ

ケルビーノ:クリスチーネ・シェーファー

パリ国立オペラ・オーケストラ

 

 オペラを聴くだけではなく、見始めてさほど時を経ていないので、ザルツブルク音楽祭のことは聞いたことはあるものの、それほど関心をもつことはなかった。モーツァルトの生誕地で行われるこの音楽祭は、モーツァルトに関連して節目の年にはその作品を集中的に上演するらしい。生誕250年である2006年には、モーツァルトのオペラ全曲が上演された。

 

 この音楽祭についてさほど知らない私には、音楽祭を統括するプロデューサーの力がどれほどのものか実感が湧かないのだが、すべての演出が「現代風」になされている。いわゆるコスチューム劇ではなく、現代の服装と舞台装置で統一されている。これまでの演出の歴史をまったく知らない私には現代的にする理由もよくわからないのだが、『イドメネオ』は古代ギリシャが舞台であること、『後宮からの脱出』はトルコが舞台であることを思えば、考証に時間をかけるよりは、思い切って現代に転換した方が新鮮かもしれない。

 

 しかし、ザルツブルク音楽祭ではないが、先日見た2010年のパオロ・カリニャーニ指揮、ネーデルランド交響楽団ヴェルディの『シチリアの晩鐘』などになると、音楽や歌手たちはともかく、衣装がすべてユニクロのようで、余計なところで気が散って、舞台に集中できなかった。

 

 特に『フィガロの結婚』などの場合、貴族とそれに仕える者たちとのセックス・バトルであるから、貴族である標識として衣装がある、伝統的な演出の方がわかりやすいのではないかと思うのだが、肝心の伝統的な演出を見たことがないので文句を言っても冴えないことになる。一応伯爵と伯爵夫人とは、よりフォーマルな服を着ていて、それほど戸惑うことはないのだが、その程度の服装の差は階級の相違を示すには足りない。

 

 物語は、伯爵の使用人であるフィガロが、伯爵夫人の使用人であるスザンナとの結婚の準備をしているところから始まるが、伯爵はスザンナに浮気心を抱いていて、封建領主が有している初夜権をほのめかせて彼女をものにしようとしている。様々な障害を乗り越えて、フィガロとスザンナが結婚し、伯爵と伯爵夫人とが互いの愛情を確かめあって大団円を迎える。

 

 つまり、アメリカの哲学者スタンリー・カヴェルが1930~40年代にハリウッドでつくられたスクリューボール・コメディを総括して言いかえた「再結婚のコメディ」、結婚したにしろそうでないにしろ、いったんお互いの愛情を確かめあったカップルが、障害や誤解やカップルであることの退屈や倦怠を、奇天烈な事件を共有することによって、根本的に反省し、新たなカップルとして再誕生する物語である。

 

 フィガロには貸した金をもとに結婚を迫ってくる年増女があらわれるが、実の母親であったという嘘のような話で解決し、小姓であり、伯爵の逆鱗に触れて追い出される、女性歌手(クリスチーネ・シェーファー)が男として演じるケルビーノは、いかにもモーツァルト的な人物で、恋に恋するエロス的な存在で、性別などは単なる慣習でしかないかのように、女性が演じる男性が女装して、とめまぐるしく性差を無効化しながら、結婚を言祝いでいるかのようである。

 

 舞台にはもうひとり、奇妙な人物が登場し、レチタティーヴォの部分で、小さなシンセサイザーチェンバロ風にかき鳴らし、飲みかけのビール瓶を笛として用いたり、グラス・ハーモニカを演奏するユルグ・キエンバーガーもまた、あたかも天使のような役割を担っている。

 

 この「現代的な」演出では、結婚式のドレス店が舞台となっており、上手には紳士服が吊され、下手には女性用のドレスが展示されており、店の奥、つまり通常店主が居る場所が、伯爵の私室という構成であり、つねに結婚という祝祭的な場面から思いが離れないようにしているのが工夫であり、モーツァルトの音楽はスピンが効いてどの方角に向かうかわからない場面の急速なテンポを楽々と乗りこなしていてその点に関しては申し分ないのだが、惜しむらくはこの映像版、余りにカット割りが多すぎて、遙か昔、マイケル・ジャクソンがはじめて来日したとき、コンサートを中継したテレビのディレクターが、なにがかっこいいと思ったのか知らないが、とにかくめまぐるしいカット割りで、お前のカット割りはどうでもいいからマイケル・ジャクソンのダンスを見せろよ、と腹の底から怒りの塊がのど元にまでせり上がってきたことを思いだしてしまったが、そこまでひどくはないが、ちょっといらいらするのは確か。