2021-11-01から1ヶ月間の記事一覧

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 12

2 聖アウグスティヌスの『告白』における言語的行動 Plus loquitur inquisitio quam inventio. 『告白』第十二巻1 Ⅰ.一般的語について (修辞的な語と神学的なロゴスとしての語との相違のもとにアウグスティヌスの言語行動を見る。典型的なのは、「打つ」…

ブラッドリー『仮象と実在』 202

[それらはともにあるが、絶対において超越される。] この分岐が終わり、最終的に一緒になるのはもっとも確かなことである。というのも、絶対の外部にはなにも存在せず、絶対においては不完全なものはなにも存在しないからである。そして、観念と存在との不…

一言一話 106

フランツ・カフカ (1955年) 作者:マックス・ブロート Amazon どうか私を夢だと思ってください ある日の午後カフカが私の家に来て(私は当時まだ両親のところに住んでいた)、部屋に入る足音でソファーに寝ている私の父を起してしまった。カフカは言いわけす…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 11

こうしたことと関連して、人間の経験的な定義は次のようになろう。 人間は (1)シンボルを使用する動物である。 (2)否定的なものの発明者である。 (3)自分のつくった道具によって自然の制約から離れた。 (4)位階の精神によってせき立てられる。 …

ブラッドリー『仮象と実在』 201

[それらはどういったものか。] 道徳性において、こうした両立し得ない理想のどちらかを選択することが強いられていると示唆しているわけではない。というのも実際そうではないからで、もしそうなら、生はほとんど生きがたいものとなる。非常に大きな範囲に…

一言一話 105

フランツ・カフカ (1955年) 作者:マックス・ブロート Amazon カフカと逆説 彼は、万事世間なみの考え方でやって行くべきだという偏見も、なんでもかんでも世間の考え方に反抗するのだという偏見も、二つながら持ちあわせていなかった。カフカでなによりも気…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 10

アナロジーについては、ここにあげた六種類と、それに関わるものとでいいだろう。要約すると、「言葉-ロゴスとしての言葉」のアナロジー、「物質-精神」のアナロジー、「否定的なるもの」のアナロジー、「名義」のアナロジー、「時間-永遠」のアナロジー…

ブラッドリー『仮象と実在』 200

[自己犠牲、自己肯定という二重の側面について。] 別の言葉で言えば、私は自己犠牲と呼ばれるものに注意を促そうとしている。善は個的なものが自らの完成を実現することで、この完成はすでに見たように、調和と広がりからなっている。そして暫定的に、これ…

一言一話 104

フランツ・カフカ (1955年) 作者:マックス・ブロート Amazon カフカの徹底癖 どこまでも描写の範囲をひろげて行かなければやまなかったカフカの徹底癖は、実生活にも遺憾なく発揮された。彼はよく時間に遅れて来たが、――だらしがなくて遅れるのではなく、来…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 9

六種類のアナロジーは次のようにまとめられる。 (1)言葉に関する言葉と、ロゴスとしての言葉に関する言葉との類似性。 (2)言葉と非言語的な自然との関係は、精神と物質との関係に等しい。 (3)否定的なるものについての理論の冒頭の置かれる言語理論…

ブラッドリー『仮象と実在』 199

[より特殊な自己実現としての善について。] 善の一般的な意味とその作用について簡単に述べたので、より特殊な限定的意味について次に考えることができる。すでに見たように、善は存在と観念の側面をもっている。そしてその限りにおいて、存在は観念と調和…

一言一話 103

フランツ・カフカ (1955年) 作者:マックス・ブロート Amazon カフカの意味 「カフカ」(kafka)という姓は、正しくはkavkaと書くが、元来チェコ系の名前で、「小烏」という意味である。 私の不運な黒いカラスよ、みたいなことを日記で書いていたように記憶し…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 8

第六のアナロジー このアナロジーは、三位一体の意匠と「言語的状況」に潜む形式との顕著な相似に関係している。そして、この考察は、三位一体に関しては、父が力に、息子が知恵に、聖霊が愛に等しいことに基づく。 第一に、ものとその名との関係を考えよう…

ブラッドリー『仮象と実在』 198

[絶対的なものは善でもそうでないともどちらでもない。] それゆえ、明らかに善は全体ではなく、全体そのものは善ではない。かくして、絶対との関連から見ると、善も悪も存在せず、よりよいものもより悪いものも存在しない。というのも、絶対はその現象では…

一言一話 102

貝塚茂樹著作集 第1巻 中国の古代国家 作者:貝塚茂樹 中央公論新社 Amazon 動物の象と象形文字の象 象を、鄭玄は文に書くこと、書かれた成文法のようにとっている。しかし、『説文』(九下)によると象は動物の象のことであるが、段玉裁も注意しているように…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 7

第五のアナロジー 第五のアナロジーは「時間」と「永遠」に関わっており、テキストとして聖アウグスティヌスの『告白』からの引用を使うことができる(第四巻第十章)。移ろいゆくものについて論じて、アウグスティヌスは言う。 これはあなたがあらゆるもの…

ブラッドリー『仮象と実在』 197

[善は完全の不整合な一面である。] それでは善の意味を一般的に特定し、そこからその矛盾した性格を強調してみよう。善は完璧ではなく、完璧の一側面に過ぎない。それは自らを超える傾向にあり、それが完成すると、すぐに善ではなくなってしまうだろう。私…

一言一話 101

権力と笑のはざ間で 作者:飯沢匡 青土社 Amazon 使うことを厳禁されていた下町言葉 今、考えると「それは下町言葉」といって厳禁されていた言葉のあったことを思い出す。それはまず感謝を現わす言葉である。 「済みません」という言葉を使ったら、ひどく怒ら…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 6

第四のアナロジー 第四のアナロジーの弁証法は、第三のものと緊密に絡み合っているので、別々に扱うことは難しい。そこで、両者を含む例を使うことによって、第三から第四のアナロジーへの移行を示してみよう。 そのもっとも厳密な意味における実在の世界、…

ブラッドリー『仮象と実在』 196

[どれだけそれは「望ましい」ものなのか。] 一般的に、善はしばしば望ましいものと同一視される。これは誤解を招くように思われる。というのも、望ましいものとは、望まれるべきもの、望まれねばならぬものを意味するからである。それゆえ、善が善でありな…

一言一話 100  

権力と笑のはざ間で 作者:飯沢匡 青土社 Amazon 山の手人種と下町人種 明治政府の下に東京に集った人びとは西洋志向、それもアメリカの影響甚大であった。そのころのアメリカは現在の超大国に伴う文明の爛熟はなく、開拓精神と清教徒的な理想に燃えていたか…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 5

第三のアナロジー 第三のアナロジーは、言語と神学の双方で重要な役割を演じる否定的なものに関わる。 言語学におけるコージプスキー学派が一貫して強調している点から始めよう(それは正当なことでもある————というのも、そのことは原理においては明白だが…

ブラッドリー『仮象と実在』 195

[一般的には是認されているが、善は満足させられた意志ではない。] この間違いの他にも、我々が異議を唱えねばならないもうひとつの教義がある。善と意志の実現を同一視する傾向がある。ある種の仮定の力によって、この結論は、おおざっぱに言えば正しいも…

一言一話 99

飯沢匡刺青小説集 (1972年) Amazon 弁天小僧 あの芝居は私にいわせると徳川末期の町人趣味が最も色濃く現われているもので、そもそも女装した男子が、刺青の肌ぬぎになってゆすりかたりをやるというのだ。観客は女形という約束で、男性俳優でも女性と思い込…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 4

第二のアナロジー 語と非言語的な事物との関係は、精神と物質との関係に等しい。 つまり、もし非言語的なものを「自然」と同一視するなら(「自然」とは言語以下のもので、言語を使用できる存在が全滅したとしても存在し続ける電気化学的な運動である)、言…

ブラッドリー『仮象と実在』 194

[快そのものは善ではない。] この理由から、我々は快そのものが善であると認めることはできない。善は快いものであり、快がますに従ってよりよいものとなる。また、「そのような事柄」を取りのけておくなら、快は一般的にいって善である。というのも、快は…

一言一話 98

飯沢匡刺青小説集 (1972年) Amazon サディズムとマゾヒズム 動物の繁殖の時に、雄は優秀な雌を得んがために狂奔する。そして雄同士は死闘を展開する。W・ディズニーは、その動物映画の中でこういう場面をいくつか私たちに見せてくれた。たとえばカナダ山中の…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 3

第一のアナロジー 「一般的な語」(低次な)と「ロゴスとしての語」(大文字の)との第一のアナロジーについて、いくつかの主要なテキストをあげると次のようになる。 「ヨハネによる福音書」の冒頭、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であっ…

ブラッドリー『仮象と実在』 193

[単に楽しいことはなぜ善ではないのか。] しかし、善は(と反論されるかもしれない)観念を含む必要はないのではないか。楽しいことそのものは善ではないのか。我々が満足するような感情はどのようなものであれ、それ自体善ではないのか。私はこれらの質問…

一言一話 97

飯沢匡刺青小説集 (1972年) Amazon 黒曜石のように墨一色の個体 かつて彼の局部が、まるで石炭か黒曜石のように光沢のある墨一色の個体であるのを見たのだったが、今度は彼の体全体がそれになっているのだった。 彼は、今までの色とりどりの図柄の文様の上か…