2021-03-01から1ヶ月間の記事一覧

原理にまで還元しがたい頑固な事実

「原理にまで還元しがたい頑固な事実」という言葉は、ウィリアム・ジェイムズが、簡略版でない大部な方の『心理学』を書き終わるに当って、弟の小説家ヘンリー・ジェイムズへの書簡で書いた言葉である。そうした事実にもひるまず、一つ一つの文章を練り上げ…

ブラッドリー『仮象と実在』 62

(その要素は理解不可能である。) 第一に、この教義がその要素と関係について述べていることは理解することのできないものである。現実的な事実があるところでは、そうした区別は明らかで、必然的であるとさえ思える。少なくとも、私はどうしてそれを免れる…

悲劇と科学

科学と近代世界 (ホワイトヘッド著作集) 作者:A.N.ホワイドヘッド,上田 泰治,村上 至孝 メディア: 単行本 ギリシャが科学的精神の濫觴の地であるなら、科学もまた劇的な要素をもっていたといえる。実際、アリストテレス的に考えれば、たとえば、ものは重力と…

ブラッドリー『仮象と実在』 61

(しかしそれはそれ自体一なる諸事実を含まない。) 最後の問題は、ある非常に明白な批判を示唆している。この観点は、すべての事実を考慮すると主張するか、あるいはそうした主張をしないかのどちらかである。後者の場合、同時にそれでこの主張も終わる。し…

ブラッドリー『仮象と実在』 60

(救済策としての現象主義。) 「なぜ」、と言われるかもしれない、「なぜ我々は統一を探し求めて苦しまなければならないのだろうか。物事はあるがままで十分うまくいくのではないだろうか。我々は、実際には実体とか活動とか、それに類したものを欲している…

ブラッドリー『仮象と実在』 59

第十一章 現象主義 (更なる帰結。) このように、世界の多様な内容を統一に導こうとする我々の試みは失敗に終わった。我々が見いだすことのできた集合体は、事物であれ自己であれ批判に耐えうるものではないことがわかった。そして、あらわれているものはど…

ブラッドリー『仮象と実在』 58

(結論。) この結論をもって、私はこの章を終えようと思う。ここまで我々の議論につき合ってくれた読者であれば、もし望むなら、この問題の細部を辿ることができるだろうし、自己の実在に関する主張を批判することもできよう。しかし、我々が原則として知る…

ブラッドリー『仮象と実在』 57

((e)モナドとしての自己。) (e)結論としてモナドの理論に簡単に触れておこう。各自己というのは独立した実在で、単純なものでなくとも実体だという教義において、実在に関する筋道の立った議論が探求されている。しかし、この試みには長々しい議論を…

ブラッドリー『仮象と実在』 56

((d)活動、力、意志としての自己。) (d)次に私はある厄介な話題、自己の内部で実在をあらわにすると思われている精神力あるいは意志について勇をふるって述べなければならない。困難なのは、主題の性質というよりは、それを扱う方法からきている。もし…

明治余韻ーー福沢諭吉と丸山真男

「文明論之概略」を読む 上 (岩波新書) 作者:丸山 真男 発売日: 2020/11/26 メディア: Kindle版 丸山真男という思想家は、私にとって長い間ブラインド・スポットのなかに入っていた人であって、元来そのときどきに好きになった著作家から、芋づる式に読書範…

ブラッドリー『仮象と実在』 55

((c)人格の同一性は無価値であり、自己の機能的な統一も同様である。) (c)我々は自己を感情と見てもなんら難問の解決の鍵にはならぬこと、自己意識を取り上げてみてもそれ以上の成功は望めないことがわかった。それは単なる感情を越えでるやいなや古…

ブラッドリー『仮象と実在』 54

((b)より進んだ自己意識も同様である。) (b)かくして、単なる感情には自己の実在を正当化する力はなく、当然世界一般の問題を解決するものでもない。しかし、多分、何らかの自己意識ではよりうまくいくかもしれない。それは自己についての鍵と同時に…

ブラッドリー『仮象と実在』 53

((a)感じとしての自己は幾つかの理由から擁護されない。) この問題は、新たな観点をもたらす特殊な経験を見出す可能性をあらわしているように私には思える。もちろん、自己が新たな問題をもたらし、複雑さが増すことになるのは認められる。議論になって…

ブラッドリー『仮象と実在』 52

第十章 自己の実在 (自己は疑いなく一つの事実であるが、そのあらわれは実在であり得るだろうか。) この章で我々は自己の実在について簡単に調べてみなければならない。当然のことだが、自己はある程度、ある意味において事実である。もちろん、このことは…

ブラッドリー『仮象と実在』 51

(Ⅶ.単なる自己としての自己。) (7)我々が見過ごすことのできないもう一つの自己の意味が存在するが、いまはそれについて僅かに言及するだけで十分である。(1)私が言おうとしているのは、自己が「単なる自己」、「単純な主観」と同一視されるような…

ブラッドリー『仮象と実在』 50

(活動の知覚、その一般的な性格。) 「自己」に与えられたもう一つの意味に注目しよう。しかし、まず七章の主題にさらなる光をあてるよう試みなければならない。自己による自らの活動性の知覚は心理学の片隅にあって、暗闇に取り残されたままだと危険である…

ブラッドリー『仮象と実在』 49

(全体における自己と非自己は固定したものではない。) 実情は次のようなことだと思われる。ある瞬間に魂を満たす心的全体とは、その集合がただ感覚される限りにおいてのみ自己である。つまり、集合が一つの全体にまとまっており、快感や苦痛と特別に結びつ…

ブラッドリー『仮象と実在』 48

(疑わしい事例。) 読者は私が守っているある点に気づかれたかもしれない。その点とは、非自己と自己の内容を相互交換する上での限界点である。私は一瞬たりともその限界の存在を否定することはない。私の見解では、あらゆる人間には対象とは決してなしえな…