2021-09-01から1ヶ月間の記事一覧

一言一話 56

テクスト理論の愉しみ―1965‐1970 (ロラン・バルト著作集 6) 作者:ロラン バルト みすず書房 Amazon ブレヒト演劇と金 矛盾するようだが、ブレヒトの演劇は金のかかる演劇である。舞台演出に信じられないような手間がかかるし、稽古の数も多く、俳優の芸に必…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 30

.. マルクスの「神秘化」 中世初期の修辞学理論を論じた箇所で(『スペキュラム』1942年1月)、リチャード・マッケオンは書いている。「カッシオドルスによれば、『修辞の技芸とは、世俗的な言葉の精通者が教えるものであり、市民社会の問題をうまく語る学で…

ブラッドリー『仮象と実在』 151

[自然が偶然的であるのはいかなる意味においてか。] 自然についての他の問題は後に取り組むことになるので、ここでこの章を閉じることにしよう。我々は自然自体は実在をもたないことを見いだした。それは絶対の内部での現象という形でしか存在しない。感情…

一言一話 55

批評をめぐる試み―1964 (ロラン・バルト著作集 5) 作者:ロラン バルト みすず書房 Amazon 批評の責務 批評の責務(それがその普遍性の唯一の保証だ)は純粋に形式にかかわるものだということができる。それは、考察される作品もしくは作者のなかに、いままで気…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 29

.. .. ベンサムの修辞的分析 説得の研究についてのベンサムの偉大な貢献は、そのほとんどが彼自身の意図に反してなされた。形象の暗示を真に越えることのできる議論の方法を奨励しようとして、彼はいかに我々の思考が形象に支配されているかをあらわにした。…

ブラッドリー『仮象と実在』 150

[その整合性。] 次に整合性と呼ばれている問題に移ろう。この問題はほぼ一瞬で捨て去ることができよう。というのも、ある部分、それには形而上学に必要なものはないからであり、またある部分、後の章で扱わねばならないからである。しかし、整合性がどう理…

一言一話 54

批評をめぐる試み―1964 (ロラン・バルト著作集 5) 作者:ロラン バルト みすず書房 Amazon 構造主義が対象とする人間 極限においては、構造主義が対象としているのは、或る種の意味を豊かにもった人間ではなく、意味を作り出す者としての人間である、とさえ言…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 28

.. イメージと観念 イメージを強調することは、観念に反対することを含んでいる。エドモンド・バークは、間違いなく、観念とイメージを相互に補完するものとして扱いたがり、彼の処方によれば、重要な言明はすべて考えとイメージと感情を持っているべきであ…

ブラッドリー『仮象と実在』 149

[自然の無限性。] 自然が融合する絶対においてを除けば、全自然が統一性をもつと主張する権利がないことを我々は見てきた。それでは、説明を必要とするいくつかの点についていくつかつけ加えよう。たとえば、我々は自然は有限か無限か問われるかもしれない…

一言一話 53

批評をめぐる試み―1964 (ロラン・バルト著作集 5) 作者:ロラン バルト みすず書房 Amazon 構造主義的活動 シミュラークル およそ構造主義的活動といわれるもののねらいは、それが反省的思考のものであれ詩的なものであれ、ある<<オブジェ>>を再構成する…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 27

.. 想像力 恐らく、一種の<知>としての想像力の理論は、詩的思考と科学的思考とが重なり合う領域において最上の働きをするので、説得手段としての「想像力」への関心は近代になるまで十分な開花を見るに至らなかった。また、古典的修辞学におけるそうした…

ブラッドリー『仮象と実在』 148

[固性。288-290] かくして、我々は各々空間的な諸関係において独立した、数多くの物理的体系をもつことができる。そして、我々はこの点からもうひとつの関心に進むことができる。そうした多様な物質の諸世界は、ある程度互いに働きかけ、影響しあうことが…

一言一話 52

文学と問い 事物は何を意味するか、世界は何を意味するか?文学とはすべて、この問いなのだ。が、すぐさま言い添える必要がある。文学の特色といえばこれなのだから。つまり文学とは<この問い、マイナスその答え>なのである。かつてどんな文学にせよ、けっ…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 26

.. 大きな修辞形式 より大きな説得の形式もあって、聴衆の善意を守ろうという前置きから始まり、次に自分の立場を述べ、そして議論になっているところを指摘し、十分に自分の見解を述べ、反対者の主張を退け、最後の締めくくりには、反対者の論点は無視して…

ブラッドリー『仮象と実在』 147

[自然の統一性。] 拡がりのある世界はひとつのものなのだろうか、もしそうなら、どのような意味でか。第十八章で我々は時間の統一性を論じたが、そこで達した結論を思い起しておく必要がある。我々はすべての時間は絶対のなかで統一するが、この統一自体が…

一言一話 51

批評をめぐる試み―1964 (ロラン・バルト著作集 5) 作者:ロラン バルト みすず書房 Amazon オブジェ オブジェは<始動>させる。それは観念よりも測り知れぬほど迅速な、文化の媒介者であり、<<場面>>とまったく同等に能動的な、幻覚の生産者である。それ…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 25

. 形式的訴えかけ いかに同一化の原則を含んでいるかを示そうと、形式的な訴えかけについて先に言及した.ときには、その普遍的性格から、修辞学から詩学への移行が容易になされた。かくして、効用というより、文学的評価の観点から偏向的な弁舌をも考察し、…

ブラッドリー『仮象と実在』 146

[物理学の立場。] さて、我々が幾度が触れてきた問題を考えることにしよう。実在には、単なる物理的自然がありえないことを我々は見てきた。物理学の世界は独立したものではなく、全体的経験の一要素に過ぎない。そして、有限な諸魂を離れては、この物理世…

一話一言 50

批評をめぐる試み―1964 (ロラン・バルト著作集 5) 作者:ロラン バルト みすず書房 Amazon 文学と媒介 あらゆる文学がよくわきまえていることだが、文学はオルフェウスと同じく、死の危険を冒すことなしに、自分が目にしたもののほうを振り返ることができない…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 24

.. 修辞的動機の他の形態 修辞の普遍性を主張している箇所において(『弁論家について』の第一巻)、キケロは正しい行動と正しい言葉が一つと考えられていた幾分神話的な段階から始めている(アキレスの訓練を書いたホメロスが引用される)。次に彼が遺憾を…

ブラッドリー『仮象と実在』 145

[自然の同一性。281-283] 先に進む前に、ひとつの反論を扱っておこう。「あなたの見解によると」と言われるかもしれない、「結局のところ、現実にはまったく自然は存在しないことになる。というのも、自然はひとつの実質のある存在であり、そのイメージは…

 一言一話 49

記号学への夢―1958‐1964 (ロラン・バルト著作集 4) 作者:ロラン バルト みすず書房 Amazon ブレヒトの距離の効果 人間たちは同じように搾取されているわけではない――これこそブレヒト劇の本質的な意味のひとつである。距離の効果が解明し、明示する役目を負…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 23

.. 同一化 ソクラテスを引用して、『弁論術』のなかでアリストテレスは、「アテナイ人のなかでアテナイ人を褒め称えるのは困難なことではない」と言っている。彼は、聴衆が一般的に美徳だと考えているものの目録をつくる。公正である、勇気がある、自制心が…

ブラッドリー『仮象と実在』 144

[これらの疑問は重要ではない。280,281] 非有機的な自然は恐らく存在しないことを我々は見てきた。可能ではあろうが、現実にあるかどうか言うことはできない。しかし、あらゆる限定された諸主体からこぼれ落ちる自然に関していえば、我々の結論は異なって…

一言一話 48

現代社会の神話―1957 (ロラン・バルト著作集 3) 作者:ロラン バルト みすず書房 Amazon 神話の三つの読み取り方 1.空虚なシニフィアンに焦点を合わせるとわたしは、概念が神話の形式を両義性なしに満たすままにさせることになる。わたしの眼前にあるのは、…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 22

修辞の伝統的原理 .. 説得 「説得を目的とした発言」(dicere ad persuadendum accommodate)。これがキケロの対話篇『弁論家について』で修辞(またその同義語である「雄弁」)に与えられた基本的定義である。キケロの代弁者であるクラッススは、当然のよう…

ブラッドリー『仮象と実在』 143

[それらはすべて有限な魂との関係であろうか。273-280] 我々は、経験を越えてはなにものも存在できず、それゆえ、自然のどの部分も絶対の完全性の外部には出られないことを見てきた。しかし、経験の必然性についての疑問は、少々異なった意味でも提示され…

一言一話 47

演劇のエクリチュール―1955-1957 (ロラン・バルト著作集 2) 作者:ロラン・バルト みすず書房 Amazon 意味作用の問題に関する三つの文学的試み 意味作用の問題に関する三つの文学的試みを例として挙げておく。たえず物の意味を増大させようと試みた、超現実主…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 21

.. 修辞の現実主義的働き 進むにつれて勇気を得た我々は、修辞学に人類学を導入するよう提案するよりは、人類学者が自らの領域に修辞学の要素があることを認めたのだとさえ主張できるようになった。つまり、こうした議論から最近の原始魔術についての研究を…

ブラッドリー『仮象と実在』 142

[自然には非有機的な部分があるだろうか。] 逸脱から戻ることにしよう。我々は自然が拡がりをもつものと考え、単なる自然は実在ではないことを見た。次に付随する質問に移ることにし、その第一は非有機的と呼ばれる世界についてである。事実、非有機的な自…