ケネス・バーク

ケネス・バーク=マルカウ・カウリー書簡 5

989 東通り ウィーホーケン N.J 1915年12月10日 [PS] 親愛なるマルコム 君のがっかりする手紙が今朝届いたが、深い憤りからすぐに返事を書く。君はどうにかしてクリスマス前の月曜の夜か、もっとも遅くとも火曜日の朝にここに来なければならな…

ケネス・バーク=マルカウ・カウリー書簡 4

989 東通り ウィーホーケン N.J 1915年11月24日 [PS] 親愛なるマルコム 今日君のひどい手紙を受け取った。もちろんそれは僕にとって古くからのいつに変わらぬ対比———僕に君のことを俗物と呼ばせ、君に僕のことを気取り屋と呼ばせる争いだ。感動…

ケネス・バーク=マルカウ・カウリー書簡 3

989 東通り ウィーホーケン N.J 1915年11月24日 [PS] 親愛なるマルコム 今日君のひどい手紙を受け取った。もちろんそれは僕にとって古くからのいつに変わらぬ対比———僕に君のことを俗物と呼ばせ、君に僕のことを気取り屋と呼ばせる争いだ。感動…

ケネス・バーク=マルカウ・カウリー書簡 2

989 東通り ウィーホーケン N.J 1915年11月6日 [PS] 親愛なるマルコム 昨晩は僕の生涯でもっとも充実した時間だった。僕はドライサーのところにいた。経験したことすべてを書こうとはしない。冒涜のように思えるから。わかるだろう、僕にとって…

ケネス・バーク=マルカム・カウリー書簡 1

【ご足労なことに、ケネス・バークとマルカム・カウリーの書簡を訳したものも少しだけあった。マルカウ・カウリーはヘミングウェイやフィッツジェラルドたちを「失われた世代」と命名した文芸評論家である。】 序 ケネス・バークとマルコム・カウリーは19…

ケネス・バーク「特殊詩学、一般言語」 6

VI この稿を終えるにあたって、一つのあり得べき誤解について注意しておくべきだろう。言語の四つの領域について述べたとき(論理的あるいは文法的、修辞的、詩的、倫理的)、私は無意識のうちに、詩的動機の領域が主要な動機づけの力からは外れているよう…

ケネス・バーク「特殊詩学、一般言語」 5

V 詩人と批評家の関係という問題については(詩と詩学との関係に潜む問題でもある)、もともと私はまったく異なった分野からの引用でこのエッセイを始めようと考えていた、音楽についてのボエティウスの言である。(E・K・ランドの『中世の創設者』からも…

ケネス・バーク「特殊詩学、一般言語」 4

IV 「諸原則」という考えには顕著な逆説がある。ある種の詩に具現化されている諸原則は、批評家によっても、批評家の役割を演じている詩人によっても決して適切に定式化されたことはなかった(数多くの原始的な言語が、そこに内在する文法規則を明示される…

ケネス・バーク「特殊詩学、一般言語」 3

III 我々はポオのテキストをまず詩学の観点から論じた。特殊な詩学と一般的な言語の区別について論じた。次の一歩を踏みだす用意ができた。我々が自ら詩学に限定しようとしても、別の問題が生じることに注意しよう。ここで用いられている「詩学」という用…

ケネス・バーク「特殊詩学、一般言語」 2

II これで次の段階、特殊な詩学から一般的言語への問題に移る準備ができた。そこへの最短の近道は、少々離れてみることである。第一に、「動物性」と我々が「象徴性」と呼ぶもの(他にいい名称がないので)との相違に注目しよう。なにかを言うこと、なにか…

ケネス・バーク「特殊詩学、一般言語」 1

[(Language as Symbolic Action: Essays on Life, Literature, and Method)] [Author: Kenneth Burke] published on (July, 1978) Amazon 【『象徴行動としての言語』もちょっとだけ訳したので、ちょっとだけ。】 I まず第一に取り上げるのはポーのエッセイ…

ケネス・バーク「純粋な」文学の三人の達人【『反対陳述』から】4

Ⅲ 女性と言語についてのエッセイのなかで、ド・グールモンは、競争に夢中な若者たちの傾向について述べ、ある種のアジア人は精神的なものの欠如のためではなく、その過剰によって絶滅したとつけ加えている。ド・グールモン自身、ヨーロッパの芸術の歴史のな…

「純粋な」文学の三人の達人【『反対陳述』から】3

Ⅱ ウォルター・ペイターについてどんな保留を行なうにしろ、美的な関心対象に向けた彼の優れた適応技術は認めねばならない。進取的な思想家ではなく、他人のアイデアを借りることを常習としており、おそらくは存在したことのない過去に関心を持ち続けた彼は…

ケネス・バーク「純粋な」文学の三人の達人【『反対陳述』から』】2

いままで、私は書簡における真に本質的な問題については論じなかった。つまり、彼の美学の研究との関係である。書簡を最後まで検討すると、フローベルは決して自分の気質にあった美学に到達できなかったように思われる。実際、彼がバルザックのような想像力…

ケネス・バーク「純粋な」文学の三人の達人【『反対陳述』から』 1

Ⅰ 五十年ほど書簡を書き続けた後で、フローベルが初めてバルザックの手紙を見たとき、嫌悪感を抱いたのも当然だった。この人物は――少なくともフローベルの考え方によれば――この世界で最も栄誉ある職業に従事していたのだが、私信には芸術のことなどまったく…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 26

XV.はじめに・・・ 三位一体の三つの動機づけは互いに含まれ合ってはいるが、この章は、原則的に、聖霊よりはロゴスとしての言葉により直接的に関係している。アウグスティヌスの修辞にある力強い特徴は、聖書の言葉に従ったものであり、「永遠」が付与されて…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 25

XIV.形象、感覚、誘惑、媒介者 睡眠中のイメージの話がどうして誘惑の主題に移るか。ジョイスの『若い芸術家の肖像』から節制についての一節を引用。アウグスティヌスの誘惑を査定する際の注目すべき細部。再び記憶の主題の始めで記したことに言及する朗々た…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 24

XIII.上昇することを面倒なものとする三位一体についての考察 神の探求と幸福な生の探求との等値。アナロジーを用いる巧みな文体への寄り道。誰でもが幸福への探求を記憶している限り神のことを「記憶」している。「記憶」の一部としての「心」。誘惑という主題へ…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 23

XII.しがみつくこと(Inhaerere) ジョン・ボウルビーの幼児における「五つの本能的反応」。アウグスティヌスはその三つ、泣き叫ぶこと、笑うこと、吸うことに言及する。しがみつくこと、ついていくことには言及していない。成人してから、ついていくことは、…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 22

XI.記憶とはなにか 自伝が終わり、異なった種類の用語の発展が取って代わる。それまでの四巻の展開についての簡単な要約。様々な記憶についての叙述から記憶の諸原理へと転換することは、「ロゴロジー的」には、「時間」から「永遠」への転換に等しい。知識…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 21

X.モニカの巻 第九巻は、アウグスティヌスが聖霊について考えることで完成すると言える。自分の息子は母の前に死んだのだったが、アウグスティヌスは母親の死というテーマでこの巻を終えるような叙述にしている。母親との神秘的な会話が詳細に描かれる章は、…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 20

IX.中間部分(回心、転回、急変)の詳細 投票、購買、質問表、劇での「意志決定」。劇に例示される「意志決定」と「回心」との相違。アウグスティヌスの回心と逆の意味で類似している『オセロー』。「回心」の二つの意味。回心とよこしまさとの関係。第一…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 19

VIII.思春期のよこしまさ 『神学大全』の問答形式で、この章はなぜアウグスティヌスが、仲間と一緒に梨をとりそれを豚に投げつけた思春期の悪ふざけをかくも強調するのだろうかを問う。その行為は彼の宗教的動機の完全なパロディー(「よこしまな模倣」)と…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 18

Ⅶ.悪はどこから発するか (全能の善なる神によって創造された世界において悪をどう扱うかの問題。形象:「食」としての悪。善が単一体として、悪が組として扱われた段階。悪と糞便との連想。アウグスティヌスの悪の非実在性についての見解のロゴロジー的等…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 17

Ⅵ.途中部分(b) (個人的愛着。美的な時期において、密接な関係をもっていた男友達の死。アリピウス、彼の「好奇心」、上流喜劇の材料。議論を交わすグループ。恋人(匿名)。アデオダトゥス、アウグスティヌスの庶子。母親モニカ、その敬虔さ、その影響…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 16

Ⅴ.途中部分(a) (基本的日付。幼児期に帰せられる動機。神へ向かう食物のイメージ。修辞家という職業からくる口唇の強調とのあり得る関係。幼児期の「罪深さ」。「好奇心」の罪。むち打ち。いい意味での「好奇心」。倒錯。「破滅」。大都市の洗練とマニ…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 15

Ⅳ.中間部分、要約 (改宗の瞬間における「開く」という語の発生率。転向者のグループ。アウグスティヌスの改宗についての見解。改宗と倒錯が併置される。) アウグスティヌスの回心は『告白』全体のほぼ数学的中心で重大な局面を迎える。前の章(第八巻第十…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 14

Ⅲ.終り (最後の言葉「開かれるであろう」————最後の文の文体的な側面。「開く」という語を含む他の注目すべき文脈。「開く」が「宙づり」に突き当たるような文脈。) 『告白』の最後の言葉は「開かれるであろう」という意味の動詞である(中間部分は始まり…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 13

Ⅱ.始まり (音楽性および観念として考えられ、方向性と否定に強調点が置かれた冒頭。本の最初の文が含むもの。文体の範型としての『詩篇』の重要性。称讃の心理学。他の証拠となる語、特に「探し求める」、「我-汝」、「どうして」。アウグスティヌスの文…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 12

2 聖アウグスティヌスの『告白』における言語的行動 Plus loquitur inquisitio quam inventio. 『告白』第十二巻1 Ⅰ.一般的語について (修辞的な語と神学的なロゴスとしての語との相違のもとにアウグスティヌスの言語行動を見る。典型的なのは、「打つ」…