ブラッドリー

ブラッドリー『論理学』62

§13.論理的否定は、論理的肯定ほど直接に事実に関係することはできない。そうした厳密な性格をもつゆえに、それを「主観的」と言うことができる。それは私の思考の外では効力がない。実在は呈示される変更などは受けつけない。この呈示は事実の運動ではな…

ブラッドリー『論理学』61

§11.この種の判断において、否定の基礎となっているのは、主語の概念内容でも、概念内容に<加えるに>単純な不在でもない。本当の主語は概念の内容と<それに加えて私の>心の心理学的状態である。表向きは性質づけられていない普遍的抽象は、諸性質に対…

ブラッドリー『論理学』60

§9.いまあり我々が見ているような主語は主語そのものではないという答えが返ってくるだろうことは確かである。ある場合には、主語は自らの性質を通じて呈示されたものを拒むし、別の場合には<我々の>間違いによって拒むこともある。しかし、私は、この反…

ブラッドリー『論理学』59

§7.あらゆる否定にはそれが根づく土壌があり、その土壌は肯定である。主語の性質xが呈示された観念と両立できないことにある。AがBではない、なぜならAはこうしたものであり、もしBであるなら、Aではなくなってしまうからである。Bを受け入れればそ…

ブラッドリー『論理学』58

§5.このことからそれに対応した間違いに移ることができる。肯定判断が否定において前提とされているというのが間違いなら、述語だけが影響を受けるのだから、否定そのものは一種の肯定であるとするのも同じように間違いであろう。後でこの教義にある真理を…

ブラッドリー『論理学』57

§3.それぞれの判断の根源に帰り、その初期の発達を考えてみれば、両者の違いは明らかになる。肯定の初歩的な基礎となるのは観念と知覚との合体である。しかし、否定は単に観念と知覚との非合体というのではない。単に実在を指し示すことのない観念や観察さ…

ブラッドリー『論理学』56

第三章 否定判断 §1.前章の長い議論の後なので、我々になじみのある一般的性格をもつ判断のなかで手早く扱うことのできるものを取り上げよう。他の様々な判断と同様に、否定判断は知覚にあらわれる実在に依存している。結局、それはある観念内容を受け入れ…

ブラッドリー『論理学』55

§80.しかし、我々がより低次の見方にとどまるなら、判断の真理を精査することに同意しないなら、個的な事実に関する主張をそのまま受け入れるつもりなら、その場合我々の結論は違ってくるだろう。抽象的判断はすべて仮言的となるだろうが、知覚に与えられ…

ブラッドリー『論理学』54

§78.科学の実践は我々の長きにわたる分析がもたらした結果を認めている。科学で一度真であったものは永久に真である。科学の対象は瞬間瞬間の知覚が我々にもたらす複雑な感覚される現象を記録することにはない。これやあの要素が与えられたときにはなにか…

ブラッドリー『論理学』53

§76.単称判断の唯一の希望は完全な断念にある。仮言的であっても、抽象的判断は自身よりも真であることを認めねばならない。判断のクラスの最も低い位置で満足しなければならない。その要素で実在を性質づけることをやめ、一般的な形容のつながりを認める…

ブラッドリー『論理学』52

§74.実在は感覚に与えられ、現前している。しかし、既にみたように(§11)この命題を転倒し、現前し与えられたものはすべて実在である、と言うことはできない。現前は単に我々にあらわれる空間と時間における現象の部分ではない。単なるあらわれと同一…

ブラッドリー『論理学』51

§72.もちろん、これは単なる形而上学だと言えよう。所与は所与であり、事実は事実である。いいや、我々は個的な判断と仮言的判断とを、前者は知覚にかかわり、そこに主張されている要素の存在が認められることをもって区別している。そうした区別は、あま…

ブラッドリー『論理学』50

§70.現前の知覚に与えられるものの一部分を実在だとすることはできないことをみてきた。更に進まねばならない。現前する内容すべてを性質づけることができたとしても、過去と未来をそこに組み込めないなら、それは再び失敗であろう。現在が過去とは独立に…

ブラッドリー『論理学』49

§68.分析判断は<それ自体で>真なのではない。それは独立して存在することはできない。個別の現存を主張することには常にそれ以上の、主張されている断片からはこぼれ落ちる内容が仮定されていなければならない。主張されていることは、他のものがあって…

ブラッドリー『論理学』48

§66.そして、もう一つの例が、科学によって純化された精神がいかに正統的なキリスト教と合致しているか示すことになるのをご容赦願いたい。宗教的な意識では、神と人間はつながりをもった要素である。しかし、経験をふり返ってみれば、我々は区別をし、上…

ブラッドリー『論理学』47

§64.ごく一般的で、破滅的とも言える迷信は、分析は対象になんの変化ももたらさず、識別がなされるときには、分割可能な存在が扱われているのだと仮定することにある。ある事実の全体があるとき、そのある部分が残りとは関わりなく存在できると結論するの…

ブラッドリー『論理学』46

§62.我々に与えられる事実は感覚にあらわれる複雑な性質と関係の全体である。しかし、我々がこの所与の事実について主張し、主張できるのは、観念内容でしかない。我々が用いる観念が目の前にある個物のすべてを汲みつくすことができないのは明らかである…

ブラッドリー『論理学』45

§60.総合判断については時間を費やす必要はない。現実の知覚によって与えられるものを超越する際には、疑いなく推論を使っている。形容の総合は、内容のある点での同一性によって現前と結びついている。この総合は単なる普遍であり、それゆえ仮言的である…

ブラッドリー『論理学』44

§58.このことから、我々はある推測を引き出せる。もし単称判断がより事実に近く、それを去ることで、実際に実在から遠ざかっているにしても、少なくとも、科学ではそうしたことは感じられない。我々を力づけてくれるもう一つの推測がある。通常の生活にお…

ブラッドリー『論理学』43

§56.かくして、抽象的判断はすべて仮言的であることがわかったが、それとの関連において、仮定とはなにかを示し、あらゆる仮言的判断にある実在についての隠された主張をあらわなものとするよう努めてみよう。既に議論した単称判断は、分析的なものだろう…

ブラッドリー『論理学』42

§54.我々が注意深く実在との接点に留意しているのは、すべての主張で曖昧であるわけではないし、疑わしいとも言えないことだろう。「彼が殺人を犯したのなら、絞首刑になるだろう」というのは、恐らく殺人と絞首刑との<一般的な>関連以外のことを主張し…

ブラッドリー『論理学』41

§52.この実在の性質は判断においては明らかにされておらず、仮言判断では隠された潜在的なものである。結果からそこに存在することを知るが、それがなんであるかを言うことはできない。更なる探求を経なければ、要素もその間の関係も非常に異なった別の判…

ブラッドリー『論理学』40

§50.私がある男の所に行き、そのふるまいについて質問すると、彼は「私は別のやり方ではなく、このようにするべきなのだ」と答えたとすると、私は彼から事実についていくつかの知識を得たことになる。しかしその事実とは創案された立場でも、仮定された行…

ブラッドリー『論理学』39

§48.普遍的判断はすべて仮言的である、という結論は我々を再び以前からの難点に陥らせる(§6)。判断は常に真を意図するもので、真理は事実についての真を意味しなければならなかった。しかし、ここで我々が出会うのは事実に関するものとは思えない判断…

ブラッドリー『論理学』38

§46.ここで反対意見のために立ち止まらねばならない。「定言的と仮言的との区別は」と我々は言われる、「実際には錯覚である。仮言的判断はすべて定言的なものに還元できるし、結局のところ定言の一種に過ぎ<ない>」のだと。もしそれがしっかりと確かめ…

ブラッドリー『論理学』37

§44.我々は普遍的判断の共通の型に達した。我々がすぐに気づく点は、そうした判断はすべて形容詞に関わるということである。それは内容の諸要素間のつながりを主張し、出来事の系列のなかでそれらの要素が占める位置についてはなにも言わない。「正三角形…

ブラッドリー『論理学』36

§42.我々は単称判断の三つのクラスを考慮し、それがどのようにしてあらわれてくる実在に観念を当てるのかを見てきた。我々は既に存在判断を先取りしてしまったので、それについては手早く扱うことができる。ここでは肯定判断に限ることにすると、すぐに言…

ブラッドリー『論理学』35

§40.多くの難点に出会い、そのうちのいくつかは解決できたと私は信じているが、単称判断の第二の区分についての考察を終わることになる。第三の、時間における出来事の数に限定されない判断に移らねばならない(§7)。しかし、先に進む前に、しばらく時…

ブラッドリー『論理学』34

§38.ここで我々は多分、個的な(あるいは個別のと言ったほうがいいかもしれない)事実の観念と言うときなにを意味しているのかについて言うことができる。それを決して単一の出来事に限定されない人間の名前に見つけようとしても無駄であった。個別性とい…

ブラッドリー『論理学』33

§36.過去の記憶、未来の予測は、明らかに単なる想像とは区別される。前者においては、知覚にあらわれた実在への指示がある。事実への関係を含むがゆえに真であるか偽であるかの判断をもつ。しかし、想像はこの指示を欠いている。前に見たように(第一章§…