翻訳

ケネス・バーク『動機の修辞学』 54

.. 殺害と不条理 生け贄に関して。マックス・ブロートからの引用は、キルケゴールの読者が、神がアブラハムにイサクを生け贄に供えるよう命じたという聖書の物語をどのように解釈するかを示している。だが、聖書によれば、アブラハムが「刃物をとり、息子を…

ブラッドリー『仮象と実在』 175

[この測りをもって比較的に真である方向に進む。] 間違った現象が真理に移入しうるという原則については、すでに誤りについての章で議論を進めた。その方法は、すでに見たように、補足と再配列からなる。しかし、ここで以前の議論を繰り返すつもりはない。…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 53

.. 「弁証法的叙情詩」(キルケゴールの『恐れとおののき』) 一昔前のデパートには、支払所と個々の売り場とのあいだを走る小さな運搬台があった。(いまでも時折見かけるが、ほとんど空圧式の送菅に取って代わられている。)それらは急発進し、それぞれの…

ブラッドリー『仮象と実在』 174

[基準とはなにか。本質的に関連する二つの特徴を持っている。] 真理と実在の完全性というのは最終的には同じ性格を持っている。それは明確で自律的な個物である。第二十章で私は個物であることが何を意味するのか示そうとした。その議論の主要な点を読者が…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 52

.. 宮廷作法の戯画:カフカ(『城』) 『宮廷人の書』の弁証法的対称を視野におきつつ、フランツ・カフカのグロテスクな小説『城』を考えてみよう。トーマス・マンはカフカを「宗教的ユーモリスト」と呼んだ。うまい例えであって、それだけにマンがした以上…

ブラッドリー『仮象と実在』 173

[基準とはなにか。本質的に関連する二つの特徴を持っている。] 真理と実在の完全性というのは最終的には同じ性格を持っている。それは明確で自律的な個物である。第二十章で私は個物であることが何を意味するのか示そうとした。その議論の主要な点を読者が…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 51

.. 宮廷作法の範型:カスティリオーネ 多分、我々の目的にとって最適なテキストは、マキャベリの同時代人であり、彼と同じく君主の原理に関心を払ったバルダサール・カスティリオーネの『宮廷人の書』である。大きな構想のもち、段階を追って変わる宮廷作法…

ブラッドリー『仮象と実在』 172

[それゆえ、全体的な真理あるいは誤りはなく、ただ正当性の多少があるだけである。] しかし、ここにおいて我々は誤りと真実が落ち合う点に行き着くことになる。完全に間違いであるような誤りが存在しないように、完全に真であるような真理は存在しないだろ…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 50

.. 『ヴィーナスとアドニス』の「社会神秘的」解釈 文学作品の宮廷作法的動機に特徴的な表現について考えるとき、シェークスピアの物語風の詩、『ヴィーナスとアドニス』は最適である。風変わりなのは、<性的な>求愛の物語であるが、我々の探求にとってよ…

ブラッドリー『仮象と実在』 171

[それは条件づけによる。] 別の言い方をすると、どんなカテゴリー上の判断も間違っているに違いない。主語と述語は、最終的に、どちらも他方であることはできない。しかしながら、この目標にいたらないなら、我々の判断は真理へ到達することに失敗したこと…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 49

.. 宮廷作法 レトリックにおける「宮廷作法の原理」は、社会的な疎隔を超越するための説得技術を意味している。「異なった種類の存在」が交流しあうことに宮廷作法の「神秘」が存在する。かくして、我々は気後れや自ら課する制限にそうした「神秘」のしるし…

ブラッドリー『仮象と実在』 170

[真理――その性質。] 我々はすでに思考過程の主要な性質についてみてきた(1)。思考は本質的に「そこにあるもの」と「なんであるか」を分離することにある。この分解は事実上の原理として受け取れる。従ってそれは事実をつくりだす試みを拒否し、内容に自…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 48

.. 「神話的」基盤と「状況の文脈」 感覚的イメージと神話的イメージには本質的な差異はないと考えられる。両者とも、単に、観念の修辞的な補強物として扱える。それゆえ、公的な表現として社会的に流通し、多かれ少なかれ限定的集団の個別な観点をあらわし…

ブラッドリー『仮象と実在』 169

第二十四章 真理と実在の程度 [絶対に程度はないが、それは存在については真ではない。] 前の章で我々は真理と実在の程度についての問題に到達し、ここではこの観念に含まれるものを明確にするよう努めねばならない(1)。こうした試みは、完全にまた詳細…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 47

.. 「知識の社会学」対プラトン的「神話」 『イデオロギーとユートピア』でカール・マンハイムが論じ、計画した「知識の社会学」は、マルクス主義的レトリックを中立化、自由主義化する目的をもった方法論だと言える。実在的、弁証法的、究極的用語法を区別…

ブラッドリー『仮象と実在』 168

[ひとつの魂の内部での同一性、それは機械的な見方をどれだけ超越するだろうか。] しかし、こうした作用力、制限された見方による同一性は、個々の魂を考えるときに変更されねばならない。その内的な歴史において、我々はその状態の同一性が現実的に動いて…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 46

.. マルクス主義的説得における究極的要素 一度語を発達的系列のなかに位置づけてしまえば、それらの語は、その本性からして限界をもつ、系列の究極的な完成(「終了」)に参加し、配列されていると言える。各段階は、そのふさわしい「瞬間」に、系列全体の…

ブラッドリー『仮象と実在』 167

[多様な魂の同一性、性質と行動。] これとともに、我々は魂の同一性の問題に導かれることになる。我々は直接的な経験は個別なものであり、それとは反対の意見を擁護したいと思う者はまずいないであろうことを見てきた。しかし、いかなる点においても、二つ…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 45

. III 秩序 .. 実在的な語、弁証法的な語、究極的な語 第一に我々が取り上げるのは、<実在的な>語である。それはとりわけ、<いまここにある>経験された事物を名づけるもので、生物学的分類のように<種と種差によって>定義される。ベンサムが法の「…

ブラッドリー『仮象と実在』 166

[諸魂間の交流、その性質。] この章を終える前に、魂と魂の関係について述べておく必要がある。魂の間のコミュニケーション、またその同一性と差異は、我々が間違いに関して注意深くあらねばならない点である。第一に、経験が互いに分離されることは確かで…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 44

.. 「幼年期」、神秘、説得 修辞学的に考えると、象徴の説得力として「謎」の要素を受け入れることは、「魔術」や「神秘」を階級文化の受動的な反映であると同時に、文化的な凝集を維持する能動的な働きと見なすよう促すことになる。こうした説得の弁証法に…

ブラッドリー『仮象と実在』 165

[どこまで身体と魂は独立しているのだろうか。] しかし、先に進む前に、考えておくべき点がある。魂の状態は、部分的であっても、先行する状態に常に続くものではないと思われる。単なる身体的な諸条件の配列が心的生のすべての根源を与えるように思える。…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 43

.. 中世期の修辞学 これまで述べてきたことが修辞学に関する包括的な研究になっていると言うつもりはない。我々はこの特殊な「修辞哲学」を打ち立てるのに「役立てる」ことのできる作家たちのある側面だけを取り上げようとしたのであり、それによってその哲…

ブラッドリー『仮象と実在』 164

[しかし、関係は不可解なままである。] 同じ結論は因果的な系列を考えることによっても達せられるかもしれない。通常二つの側面は分離不可能であり、一方を無視するのが許されるのは承認を得たときである。しかしその帰結では、いまだ我々は真の因果的な関係…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 42

.. ダンテの『俗語論』 「同一化」のレトリックが「無意識」と合流する地点があって、その問題に関してダンテの『俗語論』を考えることができる。ロンギヌスの『崇高について』がそうであるように、重視されているのは詩だが、このエッセイは詩と修辞学とが…

ブラッドリー『仮象と実在』 163

[真の見方が述べられる。] 精神と物質との因果的な関係ということで、それそのままであるとき、一方が他方に影響を与えるということが意味されているのではないことを言っておこう。魂そのものが身体に働きかける、身体的状態そのものが魂そのものに働くこと…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 41

.. マキャベリの「行政的」修辞 マキャベリの『君主論』は、<聴衆に影響を及ぼそうとした>ものである限り、修辞として扱うことができる。君主の臣下が聴衆だったこともあるし、外国の支配者や住人が聴衆だったこともあり、国家の特定の党派が聴衆だったこ…

ブラッドリー『仮象と実在』 162

[一方が他方の無駄な従属物なのではない。] それゆえ、我々は魂と身体が因果的に結びつくと見なさざるを得ず、問題はその結びつきの性質となるように思える。それはすべていわば、一面的であり得るのだろうか。魂は身体に形容詞的に依存しており、決してある…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 40

.. パスカルの「意図の方向づけ」 パスカルのレトリックの原理は腐敗した神学的修辞を分析した、それ自体活発な修辞に満ちた『プロヴァンシャル』の第七書簡に簡潔に述べられている。ベンサムについて述べた際に我々はそれを用いた。しかし、ベンサムからマ…

ブラッドリー『仮象と実在』 161

[それらは因果的に結びついている。] 現象は物理的な系列と心的な系列の因果的な関係を指し示す。だが、この現象は次のような形で生みだされるしるしとしてしか可能ではない。どちらの側も、我々のみるところを逃れてはいるが、他方の条件となっており、それ…