翻訳

トマス・ド・クインシー『自叙伝』

しかしながら、じっとしているのが不可能だった兄は、残りの生涯をかけて悲劇の開拓に一心不乱に取り組むつもりだと宣言した。即座に仕事に取りかかった。すぐさま「スルタン・セリム」の第一幕ができあがった。しかし、すぐに表題が、韻律を無視して、より…

ブラッドリー『論理学』92

§7.しかし、(b)たとえこうした意味を拡がりに与えたとしても、この説は真ではない。いくつかの観念を比較したとき、より狭い意味をもったものが、常により広い適用が為されるわけではない。単純な例を取ってみよう。可視的という観念は、我々全てが認め…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』25

しかしながら、この仮説は、他の無数にある説と同様、子供部屋の聴衆の持続的な共感を得られないとなると、続けられなかった。ある時には、彼は関心を哲学に向けたこともあるし、物理学のある分野の講義を毎晩我々に読み上げたこともある。このことは、我々…

ブラッドリー『論理学』91

§5.ある語が何も意味せず、何もあらわさないことも可能なことは容易に証明できよう。多分、このことに触れておくのは有益かもしれない。あらゆる命題が「実在」であることは既に見た(42頁)。語による命題は、「Sの意味はPである」と書けば、<明らか…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』24

私の一番上の兄は、あらゆる点において非凡な少年だった。堂々としており、野心があり、計り知れないほど活動的だった。ロビンソン・クルーソーのように旺盛な生命力があった。そして、想像の及ぶ限り数多くの喧嘩をした。相手がいないときには、朝、西に向…

ブラッドリー『論理学』90

§3.その相違は「外延」と「内包」という用語によって表現することができる。これらの語は英国の公衆によって好まれており、「内包」という語の見境のない使用は優れた人のなかにも認められる。しかし、それらは論理学のためには有用ではない。不必要であり…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』23

こうした新鮮な訓練を受け、五、六年が過ぎて彼の歳が私のほぼ倍になると、兄はごく自然に私を軽蔑した。そして、過度の率直さから、それを隠そうと骨折ろうとはしなかった。なぜそうする必要があったろう。誰が彼の軽蔑によって悩ましく感じる権利を持ち得…

ブラッドリー『論理学』89

第六章 判断の量【名辞の範囲】 §1.ある観念を考えるとき、その内容に注目するなら(1)、内包、あるいは含意を得る。その拡がりは、二つの異なった方向をもっている。それは一つの事例であるか諸例であり、観念的であるか現実的である。(2)それは究極…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』22

それは常になく重々しい夏の午後だった。召使いと我々四人の子供は、家の前の芝生に集まって数時間のあいだ車の音を聞いていた。日没がきた————九時、十時、十一時、更に一時間が過ぎても————しるしとなる音はなかった。グリーンヘイには一軒しか家がなく、…

ブラッドリー『論理学』88

§31.あり得べき誤解のもとを取り除くよう努めてみよう。実際には、ある判断の否定は、常に判断そのものとは異なるなにかによって否定されることが主張されよう。かくして、例えば、「昨日は雨だった」は、雪が降っていた、あるいは晴れていたために間違い…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』21

第二章で、私はこの上なく優しい姉妹たちの間で育ったことに深甚の感謝をあらわしておいたが、「恐ろしく戦闘的な兄弟たち」には触れなかった。とにかく、私にはそうした兄弟がひとりいた。私よりも年上で、クラスで最も激しい性格をもっていた。彼について…

ブラッドリー『論理学』87

§29.否定の否定が肯定である本当の根拠は、単に次のようなことにある。あらゆる否定において、我々は実定的な根拠をもっていなければならない。第二の否定における実定的な根拠は最初の否定によって否定された述部以外ではあり得ない。すでに<Aはbであ…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』20

第三章 戦いの世界の始まり かくして、私の生涯の一章は終了した。既に、六歳が終わるまでには、この第一章は一巡し、その音楽の最後の音が演奏されたのである————熟した果実が木から落ちるように、私の生を織りなしているものから永遠に引き離されたように…

ブラッドリー『論理学』86

§27.この問題につけ加えて、イェボン教授の精妙な議論についても述べておこうと思うが、残念ながら私にはその議論が理解できないと言わねばならない。彼は、「A=Bあるいはb」と言うのは不正確に違いない、と論じる。*というのも、「Bあるいはb」の…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』19

神は子供たちに夢のなかで、また闇に潜む神託によって話しかける。だが、とりわけ孤独において真理は瞑想的な心に語りかけられ、その礼拝において神は子供たちに「乱されることのない霊的交わり」を与える。孤独とは光のように静謐なものであり、光のように…

ブラッドリー『論理学』85

§25.こうした幾分基礎的な間違いから眼を転じ、排中律によってもたらされる実際の知識について考えてみると、とても吹聴するほどのことがあるとは思われない。たとえ事物それ自体のような主語について主張をなすようなときでさえ、我々は常に誤りに対して…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』18

この時、飽くことを知らない悲しみの衝動のもとで、得ることのできないものを捕まえること、僅かの材料からイメージを形づくり、それを熱望の順に分類する能力が私のなかで病的なほどに発達した。現在でも私はその一例を思い出すが、それは単なる陰や光のき…

ブラッドリー『論理学』84

§23.既に見たように、排中律は選言判断の特殊例である。このことは、いくつかの錯覚を吹き払う助けとなるだろう。 第一に、排中律は、それを使うことで、未知の深みから知識を魔術のように呼びだす、そうした呪文ではない。いかなる主語も二つの述語のう…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』17

悲しみ、汝は憂鬱を呼び起こす情念である。塵よりもつまらないものだが、雲よりも高い。マラリアのように震えるが、氷のようにしっかりしている。心を病にするが、その虚弱を癒しもする。私のなかで最も弱いのは、恥に対する病的なまでの感受性だった。十年…

ブラッドリー『論理学』83

§21.この原理は実際に行なわれる選言に先行している。それはその関係がどんなものかはわからないが、関係の共通地盤があることをあらかじめ言っている。選言は、関係が相反する領域にあるという更に限定された場で生まれる。かくして、我々は一方において…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』16

最後に、英国教会が墓の所で執り行う荘厳な儀式になった。教会は死者が空中に留まっているまま放っておきはせず、彼らが墓の側に来て「心地よく厳粛な別れ」(1)を告げるまで待つのである。もう一度、最後に棺が開けられた。すべての眼が名前、性別、年齢…

ブラッドリー『論理学』82

§19.排中律は選言の一種である。その性質は次のように調べねばならない。(i)選言は共通の性質を主張する。「bあるいは非b」においてAについて主張される共通の性質はbに対する一般的な関係である。(ii)選言は両立不可能な領域を主張する。bの…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』15

私が書いたことの次の日、医者の一団が脳と病気の特殊な性質を調査するために来た。というのも、症状の幾つかの点で困惑させられるほどの異常があったからである。余所者たちが引き上げて一時間後、私は再び部屋に忍んでいった。しかし、扉はいまは閉ざされ…

ブラッドリー『論理学』81

§17.選言判断の性格を思い起こすと、そこには以下のように限定される事実があったことを思いだすことになろう。その性質は(i)ある領域のなかにあり、(ii)その領域には相反したものがあるので、実在はそのどちらかとして決定されねばならない。この…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』14

ああ、アハシュエロスよ、永遠のユダヤ人(1)。寓話であるのか、そうでないのか、汝こそは終わりのない悲痛に満ちた巡礼に最初に出発したとき、エルサレムの門を飛び立ち、無益にも追いかけてくる呪いから逃げ去ろうとした汝でさえ、姉の部屋から永遠に離…

ブラッドリー『論理学』80

§15.言いたいことはすべて言ったので、喜んで次に移ろう。というのも、我々は少しだけ形而上学に手をつけたに過ぎないのだが、それでも私には、できうる限り論理学の第一原理を明確に維持することができるか不安になっているからである。いまの例で言うと…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』13

私の耳がこの巨大な風神の音調を聞き、私の眼が金色の生の充溢、天の壮麗さや花の光輝に満たされたとき、そして姉の顔に広がる冷たさに向き直ったとき、私は忘我の状態に陥った。蒼穹が遙かな青空の天頂で開き、一条の光線が走っているようだった。私の精神…

ブラッドリー『論理学』79

§13.「Aは非Aではない」、「Aはbかつ非bではない」、「Aは同時に存在し存在しないことはできない」といった様々な言い方でなされる公準には、原理の真の問題は含まれていない。というのも、もしAが非Aであるなら、それがAとは矛盾する性質をもっ…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』12

私の死についての感情やイメージが、パレスチナやエルサレムと関連して、いかに夏と込み入った連想を伴っているかを示すために脇道にそれたが、姉の寝室へ戻ろう。目の醒めるような日の光から私は死体の方へ向いた。そこにはかわいらしい子供の姿が、天使の…

ブラッドリー『論理学』78

§11.矛盾の原理が事実についての言明なら、それは相反は相反であり、排除し合うものは融和させようとするどんな試みにもかかわらず両立不可能なままだという以上のことは言っていない。また、それを一つの規則として呈示するなら、それが言うのは、「矛盾…