翻訳

ケネス・バーク『動機の修辞学』 16

. キリスト教後の科学における「贖罪」 十字架にかけられたキリストの犠牲によって贖罪の観念を形成した文化で、社会化の諸過程が世俗化されてしまったキリスト教後の科学においてなにが生じているのだろうか。犠牲となった王を祀る司祭の必要は徐々に減じて…

ブラッドリー『仮象と実在』 137

...[独我論に含まれる真実。] ある抽象の神格化だと考えると、独我論はまったく間違っている。しかし、その間違いから我々がときに見落としがちな真実の断片を拾い集めることはできる。まず、第一に、私の経験が全世界そのものではないが、この世界は私の…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 15 

.. 科学の「自律性」 科学は、単なる道具(媒体)としては、場面、行為、行為者、目的の性質を取り、同一化すると思われる。欠陥のある政治構造が人間関係を歪めるのであれば、同様に科学も歪められると予想するのは理にかなったことであろう。教会の擁護者…

ブラッドリー『仮象と実在』 136

...[すべてが私の経験であり、また経験ではない。] 簡単にもう一つの誤解について触れておこう。それは古くからの間違いの少し形を変えたものである。私が知るのは私が経験したことだけで、私自身の状態を越えた何ものも経験できないと言われる。それゆえ…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 14

. 同一化と「自律」 「自律的な」活動について言えば、修辞的同一化の原則は次のように言うことができる。ある活動が活動主体に本来備わっている自律の原則に還元可能だという事実は、異なった動機づけとの同一化から自由だということを意味しない。そうした…

ブラッドリー『仮象と実在』 135

...[また、他の自己の非実在性が独我論を証明することはない。] ここまで、直接的経験が独我論の基盤ではないことを見てきた。更に、もしそうした経験を超越したとしても、我々は独我論により近づくわけでないことを見た。というのも、我々は自分の自己を…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 13

.. 属性の同一化を目指す性質 形而上学的に言えば、ものはその<属性>によって同一視される。修辞学の領域では、こうした同一視は、しばしばその語の最も物質的な意味における属性、つまり経済的な資産、コールリッジが「宗教的瞑想」において語ったものに…

ブラッドリー『仮象と実在』 134

...[どちらにしても、明示することはできないが、どちらも同じ議論に依存している。] 同様の議論によって我々は自分の過去と未来にたどり着く。ここでも、他の自己の存在に反論する独我論は、気づかぬうちに自殺を試みている。というのも、《私の》過去の…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 12

.. 同一化と「三位一体」 Aは、同僚Bと同じではない。だが、彼らの関心が重なる限りにおいて、AはBと<同一化>する。あるいは、関心が重なっていないときでも、自分でそうだと思い、あるいはそう信じるよう説得されるならBに<同一化する>かもしれな…

ブラッドリー『仮象と実在』 133

...[もしそうなら、過去と未来の自己で我々は止まれるだろうか、あるいは、他の魂とも関係を結ばねばならないだろうか。] (b)もしこの経験を直接的ではあるが、私の自己だけの実在を証明するものではないとするなら、我々はこの経験を既に見ている。直…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 11

.. 同一化 我々は『闘士サムソン』が「利用」したもののなかから、神の敵を殲滅するために自らの身を滅ぼした盲目の巨人への詩人の同一化について考えた。そして、ピューリタンとイスラエル人、王党派とペリシテ人の同一視を認め、そうした同一視はある種の…

ブラッドリー『仮象と実在』 132

...[II.しかし、我々ははたして直接的経験を超越できるだろうか。この私こそが「唯一無二」ではないか。いいや、それは「排他的」ではなく、我々は超越することを余儀なくされる。] まず我々は、直接的経験の限界に留まることができるのかどうか、調べてみ…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 10

.. 額面通りの形象 額面通りにとれば、形象は我々がその本分に従って反応するよう促す。かくして、「成長する」ことに必死な青年は、映画に教えられて、観念的あるいは想像上の大人の世界の最も注目に価する行動として残忍さや殺人の形象について深く考える…

ブラッドリー『仮象と実在』 131  

...[I.直接的経験によっては私の自己が唯一の実体であるという結論は得られない。] まず、彼らの訴えかける経験が直接的なものだとしてみよう。第九章で見たように、単なる「所与」がこの訴えかけを支えるには二重の失敗がある。一方では十分ではなく、他…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 9

.. 要約 第一に、我々は神に同一化するサムソン、それに同一化するミルトンについて記した。それから、王党派のペリシテ人との、ピューリタンのイスラエル人との同一化がある。次に、そうした同一化を用いた詩を書くことで、現実のミルトンが市民として不満…

ブラッドリー『仮象と実在』 130

...[直接的経験、或は間接的経験による訴えかけ] 独我論者お気に入りの議論は、最も単純な形で言うと次のようになる。「私は経験を越えることはできない、そして経験とは《私の》経験でなければならない。このことから、経験こそがその本義である私の自己…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 8

.. パーソナリティ・タイプにおける「悲劇」の形 死や悲劇的終幕との関わりにおいて本質を定義することの背後に普遍的に感じられる文法の原則があるとするなら、アンケート調査がある種宗教的な崇拝の対象となっている我々の擬似科学において、「悲劇」の範…

ブラッドリー『仮象と実在』 129  

第二十一章 独我論 [問題の設定] 第一部で我々は事実を扱う様々な方法を検証し、それらがすべて現象以上のなにももたらさないのを見出した。第二部において我々は実在の本性に取り組んでいる。そこで、ある程度はその性格の一般的観念を形成し、それに対す…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 7

.. 本質との劇的、哲学的関係 能動的、再帰的、受動的な死(殺す、自殺する、殺される)についての形象は、死についての思想が人間の動機づけに基本的なものであるために劇的緊張を高める働きをすることは明らかで、通常はその使用方についてこれ以上考える…

ブラッドリー『仮象と実在』 128

...[完璧な存在とはただ一つしかない。] しかし、誤りは我々の注意を真理へと向けることもあり得る。我々は、大きいものと小さいもの、二つの完全が隣り合って存在することが可能であるか問うことになる。そして、それについては否定で答えねばならない。…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 6

.. 変容のイメージ化 もう一つのやっかいの種を加えることで、事態を明確化できる要素をつけ加えることにもなる。今度は、同じ「歴史の曲線」に属するコールリッジの「宗教的瞑想」からである。 彼の巨大な一族には 無傷のものを傷つけるカインは存在せず(…

ブラッドリー『仮象と実在』 127

...[完全性と量。] よくある間違いから引出される反論について最後に軽く触れておこう。量はしばしば完全性の観念に導入される。というのも、完全性は我々がたどり着くことのない彼方のように思われ、それは自然に無限の数という形を取る傾向にあるからで…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 5

.. アーノルドの形象の質 我々がここで言おうとしていることはなんだろうか。「エトナ山のエンペドクレス」と『サムソン』に一段階を差しはさむことで両者がどのように見えてくるかを探ろうとした。サムソンは敵を滅ぼす好戦的行為のなかで自ら死したが、我…

ブラッドリー『仮象と実在』 126

...[個別性と完全性は単に否定的なのだろうか] 続く章においても、私は同様の議論を辿っていくだろう。我々の宇宙の体系のなかでその場所から外れていくようななにかが存在するかどうかを調べていくことになる。そして、突出し、戦いを起こし、不調和を導…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 4

.. マシュー・アーノルドにおける自己犠牲 例として、マシュー・アーノルドの『エトナ山のエンペドクレス』における自己犠牲の形象と比較してみよう。自分を「豊かな少年たちのなかの孤児」だと考え、「我々は、昼も夜も/自分を重荷に感じている」という不…

ブラッドリー『仮象と実在』 125

.. 第二十章 要約 ...[ここまでの結論。] ここで我々が辿ってきた道のりを振り返ってみてもいいかもしれない。第一部において我々は実在を捉えようとする幾つかの方法を検証し、それらが致命的な矛盾を含んでいることを見いだした。それに基づき、それらが…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 3

.. 自殺のモチーフを適正化する もう一つの帰結をここで記そう。サムソンの行為の<自らに返ってくる>性質がくり返り強調されることで(敵を打ち負かす際の自己破壊的な要素)、間接的に自殺を認めるための仕掛けとなり得ている。だが、ミルトンの宗教は自…

ブラッドリー『仮象と実在』 124

... [「単なる私のもの」とはなにか。] それは「単なる私のもの」についても同じである。我々は道徳、論理、美学の議論において、ある種の細部は「主観的」であり、それ故無関係だという議論を聞くことがある。別の言葉で言えば、こうした細部は「単なる私…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 2

修辞の有効範囲 .. ミルトンによるサムソンの「利用」 自由意志論者にして国王への反逆者、盲目で不幸の淵にいる老いた詩人が陰鬱で好戦的な詩句でサムソンを褒め称える。表面的には、彼の詩はペリシテ人のなかにいるサムソンを語っている。繋がれた囚われ人…

ブラッドリー『仮象と実在』 123

... [いいや、<我々>の失敗によってそう思われるに過ぎない。] 「これ」は我々の失敗によってのみ内容をもつように見える。それを偶然との関わりで述べることもできるかもしれない。というのも、偶然は与えられたなにものかではあるが、いまだ我々には理…