芭蕉

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈26

しら/\と砕けし人の骨か何 杜國 しら/\は白々である。骨か何かがあると疑って、前句の冬枯れ分けてひとり唐苣の立ったあたりに、何かわからぬが白いものが砕け散っているのを遠くから眺めただけで、別に深い意味があるわけではない。砕けた貝殻、細かな…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈25

冬枯わけてひとり唐苣 野水 冬枯れは冬になって野のもの田のものが枯れたことをいう。唐苣は、生で食べることも煮て食べることもあるが、葉をとるとすぐにまた生えてきて、四季いつでも新鮮なものを得られるので、不断草という俗称がある。一句の意味は冬枯…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈24

笠脱いで無理にも濡るゝ北時雨 荷兮 前句で清水を訪ねた人の風狂の様子をあらわしている。宗祇の句に「世にふるもさらに時雨のやどり哉」というのがある。「無理にも」は「濡れでも」でも済む。騒がしい客に雅に対応することから、遺跡に古句のい香りを味わ…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈23

しばし宗祇の名をつけし水 杜國 美濃国郡上郡山田庄宮瀬川のほとりに泉があり、東野州常縁、宗祇法師に古今集の伝授を受け終わってここまで来て、和歌を詠じて別れたというところから、宗祇の清水の名がある。また白雲水ともいい、それは宗祇が白雲齋と号し…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈22

ぬす人のかたみの松は吹折て 芭蕉 賊去って弓を張る、とは禅での決まり文句である。曲齋は、恨みのある賊を尋ねていったが、賊は既に去り、その住いのあたりの松でさえ風によって吹き折れており、いまは恨みのもっていきようがないので、せめてそばの松へと…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈21

今ぞ恨みの矢をはなつ聲 荷兮 矢をはなつ声は矢声というものである。引き絞って放つとき、わが国では「や」や「えいッ」といい、中国では「著」といって、力を込めあたることを期する、これを矢声という。「や」という名称もこの声からでたのだろうと古人も…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈20

のりものに簾透く顔おぼろなる 重五 一句の情は解釈をまつまでもなく明らかである。簾は乗り物の簾である。前句は野草に蝶が遊ぶことが人を愁いに誘ったが、この句は他から見るその人のありさまをあらわしているだけだが、言葉のあり方、切り取り方に佳趣が…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈19

蝶は葎(むぐら)にとはかり涕かむ 芭蕉 『源氏物語』の末摘花の君が、世に見捨てられ、宮仕えの人もなくなり、住んでいるところも葎に荒れはてたのを、昔をなつかしく思って訪れてきた人に、前句の尼が語ろうとして悲しむ様子だという古解はよくない。前々…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈18

二の尼に近衛の花の盛りきく 野水 二の尼は二位の尼君などではなく、尼となった官女のなかの第二の人物である。二というのは次というのと同じで、二の宮、二の町などという言葉の二の用法に照らして見るべきである。近衛は高貴な人間を打ちかすめていったも…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈17

となりさかしき町に下り居る 重五 「となりさかしき」を嶮しとしたのは曲齋であり、心得顔して卑しく騒いでいたというのは鶯笠である。高野、吉野などの奥の院へ願があって通う人が、その下の町にいて高山の寂寞とした夕暮れを見ている様子といい、「隣嶮し…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈16

黄昏を横に眺むる月細し 杜國 一句の情、前句との係り、解釈に及ぶまでもなく明らかである。淀の舟かなにかから三日四日ころの月を眺めたものである。いい景色の句である。古解で、「この場所は淀川堤で、人物は遊びがてらの山歩きからかえったもので、酔っ…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈15

霧に舟牽く人はちんばか 野水 ちんばは跛脚である。古解に、「石混じりの場所に落葉して、霧雨に濡れたところを滑りながら行く人を見て、ちんばひくかと笑うさまだ」というのはよくない。これはただ、柳葉が力なく落ちる秋の岸で、霧のなかに舟を牽く人の姿…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈14

田中なる小万が柳落つるころ 荷兮 伊勢国山田の近くの浮洲に小万の柳がある、とあり、小万柳は摂津国田中にある、昔から伊勢の浮洲と説いているのは杜撰であるといい、そうではない、淀川筋に田中という地名はない、などと古来の注釈家は言い争っている。強…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈13

あるしは貧にたえしから家 杜國 「たえし」は絶えしであり、「たへし」は堪へしである。貞亨元禄のころは仮名遣いも厳格ではなかったので、たえしでもたへしでも、文字に堪とも絶ともないなら、堪とも絶とも決めがたい。だから、絶えしの意味にとるものと、…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈12

影法の暁寒く火を焚きて 芭蕉 影法はいまでいう影法師で、略語ではない。何々坊というのはすべて人に擬していう言葉で、しわい(しみったれ)なのをしわん坊、けちなのをけちん坊、取られるものを取られん坊、取るものを取りん坊または取ろ坊、かたゐ(乞食…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈11

消えぬ卒塔婆にすご/\と泣く 荷兮 消えぬ卒塔婆を、卒塔婆の文字がいまだに消えないと解釈するのは、何丸があげた一書の解で、現実として読んでいる。鶯笠が解して、失った子供の面影が眼に残って、死んだのも本当とは思われず、もしかしたら夢ではないか…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈10

偽のつらしと乳を絞りすて 重五 一句の意味は、乳児がいる女がどんな理由によるのかその子はいまは自分の手もとにはなく、朝夕に張る乳房をどうすることもできず、無駄に乳を絞り捨てて、これも人の情けが自分には届かないためだとつれなさを悲しみ歎く様子…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈9

髪はやす間を忍ふ身の程 芭蕉 何丸の解釈で、『伊勢物語』の「むかし心つきて色好みなる男、長岡といふところに家つくりて居りけり、そこの隣なりける宮原にことも無き女どもの、田舎なりければ、田刈らんとて、此男のあるを見て、いみじのすき者のしわざや…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈8

我庵は鶯に宿かすあたりにて 野水 一句の意味は明らかで、解釈には及ばず、その人の風流で奥ゆかしい人であることを感じるべきである。古詩に「老僧半間雲半間」というものがある。それは山住まいの人が雲と家をともにするということで、この句は鶯に家を貸…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈7

日のちり/\に野に米を刈る 正平 『鶯笠』には、日のちりちりは日のまさに入ろうとするところだという。前例をあげることはできないが、まさにそうであろう。米を刈るは、正しくは稲を刈るというべきだが、俗語をそのまま用いている。田といわないで野とい…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈6

朝鮮のほそり芒の匂無き 杜國 ほそり芒は細い芒か。ほそ芒はいまもある。朝鮮すすきというすすきがあるらしいが、詳しくは知らない。わが国に産するもので、朝鮮何々というものには、朝鮮ぎぼうし、朝鮮アサガオ、朝鮮松、朝鮮たばこ、朝鮮芝、朝鮮ざくろ、…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈5

頭の露をふるふ赤馬 重五 意味は明らかで解釈はいらない。逞しく太いもの運ぶ馬が、勢いよく頭を振る様子で、「露をふるふ」という言葉が生動して、情景が見えるようにである。運ぶのは芝か米か。『大鏡』によって、前句を都移しと見て、『萬葉集』第十九の…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈4

有明の主水に酒屋つくらせて 荷兮 この第三の句、古註が様々で定説がない。主水は明石主水という酒屋だというのがそのひとつ。従うべきではない。『大鏡』に「明石主水は京都六條本願寺役人にて酒屋にあらず」とある。主水と呼ばれる人物がいたとしても、寺…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈3

誰そやとばしる笠の山茶花 野水* *1 連句を解釈するには、まずおおよそ一句の解釈をし、次に前句との関わりを考え、前後照らしあって微妙な情趣を醸しだすところを会得すべきである。脇句は発句より生じ、第三句は第二句より、第四第五句から揚句にいたるま…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈2

笠は長途の雨にほころび、紙衣は泊〃の嵐にもめたり、わびつくしたるわび人、我さへあはれに覚えける。昔狂歌の才子此国にたどりしことをふと思出て申侍る 狂句 木枯の身は竹斎に似たる哉 芭蕉 これは前書きのある句である。前書は端書とも詞書ともいう。詩…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈1

木枯の巻 (貞享元年の八月、『野ざらし紀行』として残っている旅に出た芭蕉が、陰暦一〇月も終わりの頃名古屋に入り、以後一一月の初めにかけてなったのが『冬の日』の五歌仙だとされている。名古屋で待ち構えていたのは、必ずしも芭蕉の句に傾倒していた俳…