道徳の系譜――メリメ『マテオ・ファルコーネ』

 

エトルリヤの壷―他五編 (岩波文庫 赤 534-1)

エトルリヤの壷―他五編 (岩波文庫 赤 534-1)

 

 

 1829年5月3日号の「パリ評論」に掲載された。
 
 コルシカは地中海、イタリアの西にある島であり、そのほとんどが急峻な山岳地帯で成り立っている。現在はフランスに属しているが、独立した地方公共団体が島を管轄している。
 
 古代においては貿易の中継点として争いが絶えず、中世においてはイタリアの都市国家の植民地であり、18世紀には独立戦争がおこったが、ジェノバとフランスが協定を結ぶことにより、フランスの圧倒的な軍事力に敗れ、フランス領となる。ちなみにフランス領になって数ヶ月後にナポレオンがこの島に生を受けた。つまり、フランスとはいっても、独自の文化が強固に存在しており、コルシカ語という別の言語も存在する。
 
 この短編はコルシカの情景を描くことから始まっているが、作者のメリメはこのときまだコルシカを訪れたことがなかったという。書かれていることが的確なのかどうか、実際にコルシカに行ったことがない私には判断しかねるが、江戸時代を経験したことがないにもかかわらず、森鷗外の史伝を的確だと感じるように、虚構ではリアリティは実在と対応しているのではなく、表現と対応するのだ。
 
 メリメのこの短編では、町を離れると、すぐに険阻な岩場があらわれること、岩場を抜けても、広大な「雑木山」が拡がり、それはマキと呼ばれることが伝えられる。もし、人殺しなどをして逃げなければならないことになったら、銃と布団にも使えるような頭巾つきの茶色の外套だけあれば、ここに逃げ込めば安心して暮らしていける。
 
 実際のコルシカにおいても、現在でも生活を営むことができる居住地区は少なく、沿岸地は一年を通じて地中海特有の温暖な気候であるにもかかわらず、4カ所もスキー場があることでも、この島の峻厳さが見て取れる。
 
 マテオ・ファルコーネはそんななかでも富裕な階層に属し、牧人を雇って家畜を遊牧する上がりでもって暮らしていけた。彼は銃の名手であり、妻となった女の競争者を撃ち殺したとも言われていた。しかし、友人としては信頼に値し、敵にまわすとこの上なく危険な男だと評判されている。妻は三人の女の子を産み、四人目にしてようやく男の子を出産した。その子はフォルチュナトと名づけられ、すでに十歳になっていて、跡取りとして期待できるだけの萌芽を見せていた。
 
 ある秋の日のこと、マテオは妻とともに、家畜を見回りに出掛けていた。フォルチュナトも一緒に行きたがったのだが、留守番もいないので、残ることになった。昼近くなったころ、近くから数発の銃声が聞こえてきた。マキに逃げ込んでいたお尋ね者が、治安維持に当たる兵隊たちに追われているようだった。フォルチュナトに近づいてきた男は、マテオ・ファルコーネの息子であることを確認し、かくまってくれるように頼む。フォルチュナトは男の銃にもう弾が残されていないことをめざとく見て取ると、じらすように返答を渋り、銀貨をもらうことと引き替えに、男を自分が横になっていた干し草のなかに隠す。
 
 しばらくすると、マテオの遠縁のガンバという名の男が率いる兵隊たちがやってきて、男が逃げてこなかったか尋ねる。この遠縁の男はお尋ね者に恐れられている切れ者であり、そんな男は見なかったよ、とはぐらかすフォルチュナトの言葉に納得しない。そして、懐から銀時計を取り出すと、教えてくれたらこれをやろうともちかける。まだ子供であり、なまじ小利口なために、フォルチュナトはこの取引に応じてしまう。
 
 そこへマテオ夫婦が帰ってきて、ガンバたちと挨拶を交わすと、ガンバは何気なくフォルチュナトがいなかったらお尋ね者が捕まらないところだった、なにか立派な褒美がもらえるようにするよ、と報告する。このちょっとした言葉は、マテオにとってはあらゆる価値を転覆する言葉となる。
 
 「おれの血筋で裏切りをやったやつはこいつが初めだ」とマテオは言うと、フォルチュナトを家から少し離れた窪地に連れて行き、子供が知っているかぎりの神への祈りを唱えさせると、「神様に許してもらえ!」と撃ち殺す。
 
 フォルチュナトは人の信頼を裏切ったばかりではなく、マテオの信用と名誉を汚し、金品で命を受け渡した。
 
 旧約聖書アブラハムは、息子を生け贄として捧げるように神に命じられ、煩悶する。そして、この箇所は聖書を信仰するものにとっては無限の思索を誘うものとなった。
 
 もちろん、両者の違いはどちらが正しく、どちらが間違っているかという問題ではない。聖書とはまったく異なる価値や倫理があることを示唆し、それが峻厳な島の描写と即応している見事な短編である。