貧乏くらべ――古今亭志ん生・桂文楽『穴どろ』

 

古今亭志ん生 名演集11 お化け長屋/厩火事/穴どろ

古今亭志ん生 名演集11 お化け長屋/厩火事/穴どろ

 

 

 

十八番集

十八番集

 

  江戸時代、十両を盗むと獄門に処せられた。それを考えると、大晦日に三両の金が工面できないことを散々女房にののしられ、豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえとまで言われた夫に同情したくなる。


 特にあてがあるわけでもない彼がふらふらと歩いていると、木戸が開いている大店にでくわした。注意をしてやろうと声をかけるが、返事がない。なにか祝いごとがあったらしく、酒や料理が散らかっている。朝からなにも食べていない男は、これ幸いと箸をつけたが、そこによちよち歩きの男の子がでてくる。

 

 その子をあやしているうちに、子供もろとも穴蔵に落ちてしまう。当時、大店では火事による全焼を防ぐために、穴蔵をつくることが一般的だったのだ。男があげた声に店の者たちがようやく気づき、泥棒だ、と大騒ぎになる。

 

 祝いの席から縄付きがでるのもはばかれるので、捕まえて放してやろうと、鳶の頭を呼びにやるが、あいにく留守で、代わりに若い者がきた。この男、威勢はよかったが、どんな泥棒がなかにいるのかわかったものではないので、いざとなると尻込みする。店の主人も、子供が一緒だとわかったものだから、悠長に構えてもいられない、礼金が一両、二両とあがり、三両になったとき、穴の底でそれを聞いた男、なに、三両、三両なら俺のほうからあがっていく。


 文楽志ん生もこの噺をした。『びんぼう自慢』という著作があるように、一般的に、貧乏を骨身に達するまで経験し、『富久』や『お直し』のようにナンセンスにまで達するような欲望の表現において優れているのは志ん生であると言われる。川戸貞吉によると、八代目桂文楽は「泣きの文楽」と呼ばれていたという。『穴どろ』でも、最後の場面、三両なら俺のほうからあがっていく、というところでは涙声になった。喉から手が出るほど欲しい三両が手に入るのだから、むしろ喜んであがっていくべきではないか、という疑問を本人にぶつけたが、結局、その疑問に答えてくれることはなく、演じ方が変わることもなかったという。


 ところが、意外にもというべきか、あるいは苦楽を共にしてきた志ん生夫婦のエピソードなどを知り、リアリティを追求する文楽の芸風を考えると当然なのかもしれないが、夫婦喧嘩で家を追いだされる最初の場面は、文楽のほうがずっと残酷で仮借がない。志ん生の夫婦喧嘩は、『火焰太鼓』や『替わり目』などと同じように言葉こそ激しいが他愛のないものであり、最後の最後、どうにもならなくなったときには、許してもらえそうな感じがする。また、当てもなく歩きまわる場面でも、もしひょんなことから金が手に入ったらという、志ん生独特の妄想を巡らせる余裕があるのだ。


 一方、文楽の喧嘩では、妻の言葉は臓腑をえぐるような、逃げ場を許さない体のものであり、豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえ、というのは、言葉の綾ではなく、最後通告として響いている。それゆえ、通常とは異なり、貧乏が志ん生よりも文楽の方がずっとのっぴきならない状況として浮かびあがる。女房の言葉に唯々諾々と従い、木戸が開いているのを家の者に教えてあげようとしたり、子供の面倒を見たりするこの男が本質的に善良であることは明らかだ。そんな人間が思いがけない状態に陥り、さらに思いがけないことに喉から手が出るほど欲しい三両のことを耳にするのであるから、泣きたくもなろうではないか。