芸の生成ーー幸田文『流れる』

 

流れる (新潮文庫)

流れる (新潮文庫)

 

 

 『流れる』が書かれるにいたった経緯は紆余曲折したものであり、この小説を書くことによって幸田文は著述で生活することを決意するにいたった。 
 
 『流れる』(昭和三十年)は、幸田文のはじめての長編小説である。それ以前にも原稿を書いていたが、父親である幸田露伴の晩年、ほとんど寝たきりになった晩年と、それ以前の幸田文が離縁して、露伴と同居するようになってからのほとんど闘いとさえいえるような父親からの家事の教授とそれに対する反発など、多かれ少なかれ父親との関係が中心となっていた。
 
 だが、その後、昭和二十五年に古今東西を問わず類例を見ないような断筆宣言を行った。
 
 「父の死後約三年、私はずらずらと文章を書いて過して来てしまいました。私が賢ければもつと前にやめていたのでしようが、鈍根のためいままで来てしまつたのです。元来私はものを書くのが好きでないので締切間際までほつておき、ギリギリになつた時に大いそぎで間に合わせ、私としてはいつもその出来が心配でしたが、出てみるとそれが何と一字一句練つたよい文章だとか、いろいろほめられたりするのです。やつつけ仕事ともいえるくらいの私の文章が人様からそんなにいわれると、私は顔から火が出るような恥かしさを感じました。自分として努力せずにやつたことが、人からほめられるということはおそろしいことです。このまま私が文章を書いてゆくとしたら、それは恥を知らざるものですし、努力しないで生きてゆくことは幸田の家としてもない生き方なのです」(「私は筆を断つ」)
 
 そして、書くことによって生計を立てることを潔しとせず、自分ができることを熟慮の末、翌年、柳橋芸者置屋「藤さがみ」に住み込みの女中としてつとめた。もっとも腎臓炎になって二ヶ月ばかりで帰宅することになり、本人が懸命なだけに、傍目にはコミカルに写る。この小説は、短いながらもそこで働いたときの体験がもとになっている。
 
 『流れる』は奇妙な小説である。特に内容が変わっているわけではない。梨花という中年の女性が置屋に女中として入り、やがてそこに住まう皆がばらばらに流れていくまでの傾きかけた芸者置屋での日常が綴られていく。
 
 奇妙なのはその遠近感の欠如にある。梨花、女主人、芸者たちそれぞれの感情のぶつかり合い、生き方や生活において譲れない一線をめぐっての意地の張り合いは非常に鮮やかである。
 
 昭和二十四年の「齢」という掌篇には中年女性の凄まじい啖呵の例が見られるし、父親について書いたものでも、露伴という別の生活原理を持った者との対決の記録であったことを思えば、そうした感情や意気地のやりとりは小説家としての幸田文がすでに自家薬籠中のものとしていたに違いない。
 
 だが、ほぼ芸者置屋から離れることなく進行するこの小説において、置屋がどのくらいの広さをもつものなのか、また、三人称の体裁を取っており、梨花が叙述の中心であり、彼女の見聞きすることによって小説は進んでいくのだが、例えば女主人と芸者との会話を梨花がどこでどのように聞いているのか、同席しているのか、あるいは台所などで聞くともなしに聞いているのかなど空間的配置についてはっきりしない部分が多い。この遠近感のなさは、アカデミックな美術の教育を受けなかったルソーの絵を思わせるところがある。
 
 女主人は「演芸会」のために毎日清元の練習をしている。その会とは「みんなが力を協せて、わが土地のためによそ土地に負けない名舞台・名演技をしようといふのではなくて、たがひに意地の張りあひひぞりあひをして、たとへ対手を殺しても自分だけはのしあがりたいといつた、凄まじい競りあひのやうな感じをもたされる」ものである。女中である梨花も当然主人の稽古を毎日のように聞き、その出来不出来に気持ちを奪われるようになっていくが、主人の声の「我慢ならないいやな調子」はなかなか消え去ることはない。
 
  総浚へにあと幾日もないといふ朝だつた。けふだめなら所詮もうだめなやうな気がして聴いてゐた。味噌汁の大根を刻みながら、聴くと云ふよりもむしろ堪へてゐた。もつともいやなそこへ来かゝる。節はこちらももう諳んじてゐる。いやな声、〈へた〉を期待してゐるへんな感じだつた。それがさらつと何事もなく流れて行つた。できた!と思つた。(中略)日向で見る絹糸よりつやゝかに繊細に、清元の節廻しは梨花の腑に落ちて行つた。これは湧く音楽ではない、浸み入る音である。大木の強さではなく、藤蔓の力をもつ声なのだ。人の心を撃つて一ツにする大きい溶けあひはなくて、疎通はあつても一人一人に立籠らせる節なのだ。すぐそこの茶の間で大柄にぽつたりしたひとが唄つてゐるとわかつてゐても、痩せぎすな人が遠いところで唄つてゐるやうにおもはれて不思議である。肌にぺと/\して来るいやらしさが脱けて、遠く清々しい。梨花の耳が通じたのではなくて、主人の技が吹つ切れたとおもふ。一ツこゝで吹つ切れたのだから、このひとの運は二ツ目三ツ目とよくならないものだらうか、そんな望みが湧いてくる嬉しさである。
 
 「すぐそこの茶の間で大柄にぽつたりしたひとが唄つてゐるとわかつてゐても、痩せぎすな人が遠いところで唄つてゐるやうにおもはれ」たというのが面白い言い方で、生な生理に密着した表現が芸という形式を見いだしたと言い換えることができよう。二ヶ月とはいえ、置屋に勤めたのは無駄にはならなかった。 「我慢ならないいやな調子」から「遠く清々しい」声への変化を見て取ったことは、あるいは、文筆家として身を立てていく決意と重なり合っていたのかもしれない。