各人の死に場所――北野武『アウトレイジ』(2010年)

 

アウトレイジ [DVD]

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 脚本、北野武。撮影、柳島克己。音楽、鈴木慶一


 『アウトレイジ』は北野武がはじめてジャンル映画を意識して撮った作品だといえる。『ソナチネ』や『HANA-BI』も鈴木清順の『東京流れ者』以来の、やくざが居場所がなくなり流れていく典型的ともいえる物語なのだが、作家性が勝っているためにその典型的な物語が見えにくくなっていた。

 

 『アウトレイジ』にしても、冒頭やくざの集団の顔をゆっくりとらえていく移動撮影や黒塗りのぬめるような光沢をたたえた自動車の列をとらえた場面、また、暴力の省略を旨とした描き方などはあいかわらず独特なのだが、『TAKESHIS’』や『監督・ばんざい』に見られた「難解さ」は極力抑えられている。

 

 やくざ群像劇といえば、モデルになるのは『仁義なき戦い』や『日本の首領』のような深作欣二中島貞夫などによる東映の実録やくざシリーズということになろう。実際、北村総一朗が演じる山王会の会長は小狡いところが『仁義なき戦い』の金子信雄を思わせるし、武闘派(ビートたけし椎名桔平森永健司などがいる大友組)が汚れ仕事をさせられたあげく切り捨てられるという展開はやくざ映画の常套と言ってもいい。

 

 だが、映画が進むに従って、類似点よりも相違点の方が際立ってくる。まず、山王会には競争相手となるような組が存在しない。石橋蓮司が組長である村瀬組は最初から山王会の傘下に入ることを望んでおり、ライバルたりうる力はない。『仁義なき戦い』のように、山王会の傘下にある組同志で内紛が続くわけでもない。山王会とその直属の子分である池元組(國村隼が組長で、杉本哲太が若頭)、池元組に属するビートたけしらの大友組というごく小さな世界に限られている。

 

 つまり、やくざの闘争を描いた映画というより、自壊を描いた映画なのだ。いかにも群像劇であるかのように宣伝されていたが、現実には大友組がばらばらになり次々と死んでいくこれまでの北野映画のテーマに忠実な一篇だったのである。「全員悪人」というのがキャッチコビーだが、ビートたけし演じるやくざは収拾がつかなくなったとみるや子分たちを逃がす骨のある男というイメージを保っている。さらには、各所にたまったルサンチマンが、ある意味因果応報的に解消されて終わるというのも『仁義なき戦い』などには見られないものである。

 

 監督不行届を責められ頭をピシャピシャ叩かれる山王会若頭三浦友和の会長北村総一朗に対するルサンチマン、いい加減なことばかりいって汚い仕事を押しつける親分國村隼に対するビートたけしルサンチマンビートたけしの後輩にあたり、彼に頭が上がらなかったマル暴の刑事小日向文世、たけしにカッターで顔を切りつけられた村瀬組の若頭中野英雄ルサンチマン、武闘派が大勢を占める大友組のなかで肩身の狭い思いをしていた頭脳派の加瀬亮ルサンチマンなどすべて解消されて終わるのである。その点、無理を通せば道理が引っ込む通常のやくざ映画とはまったくおもむきを異にしている。

 

 『仁義なき戦い』の四本目『頂上作戦』の最後、刑務所のなかで菅原文太小林旭とが語りあって、これまで自分たちが組のためだと思ってしてきたことはなんだったのだろうと、徒労感に襲われる印象深い場面があったが、そうした徒労感とこの映画は無縁である。というのも、この因果応報には死という帰結しか許されておらず、いつもの北野映画と多少異なるのは、たけしだけではなく複数の人物がそれぞれの死に場所に向けて突き進むことにしかない。