精髄が成立する場所――桂文楽『馬のす』

 

十八番集

十八番集

 

  はじめて好きになった落語家は古今亭志ん生だが、きっかけはよくおぼえていない。立川談志のCDはまだ発売されていなかったが、テレビにはよく出演していたので、そこでの発言が影響して聞くようになったのかもしれない。あるいは、どこかのインタビューで、ジャズ好きでも有名な志ん朝が、父親の芸風とピアニストのセロニアス・モンクとを比較していて、モンクが大好きだった私はそれにつられて聞くようになったのかもしれない。

 

 あるいは、関東大震災のときに酒屋に駆け込んだとか、第二次大戦中には、酒が飲めるというので、家族の制止も振り切って大陸への慰問に出かけたというようなむちゃくちゃなエピソードに惹かれて聞くようになったのかもしれない。だが、そんな聞き始めの頃でも、対照的な存在としては知っていた桂文楽となると、その後相当長い期間断片的にしか聞くことはなかった。


 立川談志が子供の頃から中学を卒業して、入門当時までの思い出で「当時は、文楽師匠のよさはわかりませんでしたよ」と語っているが、落語についてずっと教養のなかった私には余計にわからない存在だった。その上、志ん生と対照的だという固定観念にとらわれていたために、勝手に謹厳実直なまじめな人物だと思い込んでいたのだ。

 

 ところが、落語について知ることが多くなるほど、志ん生に負けず劣らず妙な存在であることがわかってきた。演目の偏り、納得がいくまで噺を高座にあげず、自分のことを語るときですらほとんど内容も言葉の選択も変わらず、人名を間違えただけで引退してしまう完璧主義、しかも志ん生のように限度を知らないということはないが、朝食にお燗をつけるほどの酒飲みであることなど、表面的に目立たないためにひときわその奇妙さが感じられるようになった。


 数少ない文楽のレパートリーのなかでもひときわ奇妙な噺がこの『馬のす』である。十分もかからない短いものである。釣り好きの男が釣りに行こうとすると、テグス(釣り糸)がだめになっている。そこへ馬を牽いた男がしばらくつながせておいてくれと馬を置いていった。そこで馬のしっぽの毛を抜いて糸の代わりにしようとした。

 

 そこへ通りかかった友人がその話を聞いて、馬のしっぽの毛を抜いたりしたら大変なことになるという。どうなるんだと聞いてもなかなか教えてくれない。酒があることを知っている友人は、ご馳走してくれたら教えないでもないという。仕方がないのでご馳走すると、馬の尻尾を抜くとね、うん、馬が痛がるんだ。


 『馬のす』の「す」は簀の子のすで、馬の尻尾の毛が簀の子として用いられることもあったから「馬のす」とも用いられた。また馬の尻尾が釣り糸として用いられることは特にないことではなく、幸田露伴の『幻談』に次のような記述がある。


 「段々細につなぐというのは、はじまりの処が太い、それから次第に細いのまたそれより細いのとだんだん細くして行く。この面倒な法は加州やなんぞのような国に行くと、鮎を釣るのに蚊鉤など使って釣る、そのとき蚊鉤がうまく水の上に落ちなければまずいんで、糸が先に落ちて後から蚊鉤が落ちてはいけない、それじゃ魚が寄らない、それで段々細の糸を拵えるんです。どうして拵えますかというと、鋏を持って行って良い白馬の尾の具合のいい、古馬にならないやつのを頂戴して来る。そうしてそれを豆腐の粕でもって上からぎゅうぎゅうと次第次第にこく。そうすると透き通るようにきれいになる。それを十六本、右撚りなら右撚りに、最初は出来ないけれども少し慣れると訳無く出来ますことで、片撚りに撚る。そうして一つ拵える。その次に今度は本数を減らして、前に右撚りなら今度は左撚りに片撚りに撚ります。順々に本数をへらして、右左をちがえて、一番終いには一本になるようにつなぎます。」


 この噺は志ん生の『火焔太鼓』に匹敵する落語が落語であることをもっとも享受している噺である。何しろこれほど内容のない、馬鹿馬鹿しい噺はなく、イリュージョンを主張し、あれほどナンセンスを愛した立川談志にも匹敵するものはないほどだ。名人は型に精通し体現しているとも、型などは存在しないとも言われるが、その危うい均衡の上に成り立っているのが『馬のす』で、型がなくては面白くも何ともない小咄になってしまうだろうし、特にこれといった見せ場があるわけではないので、型が際だつわけでもない。まさしく落語というしかない精髄なのである。