信心のユーモア――古今亭志ん生『大山詣り』

 

古今亭志ん生 名演集14 庚申待/大山詣り/金明竹

古今亭志ん生 名演集14 庚申待/大山詣り/金明竹

 

  大山は正確には大山阿夫利神社といい、大山の最寄りの駅は小田急線の伊勢原で、同じ小田急線の沿線に住んでいたせいもあって、何度か行ったことがある。伊勢原まで行くのに三十分以上、駅からバスでさらに三十分ほどかけてようやく麓に到着する。

 

 本社と下社とがあり、麓から下社までは、もちろん徒歩でも行けるが、これ以上の急勾配はあるまいかと思われるほどのモノレールでものの五分位で到着する。モノレールを降りてから下社までは食べ物屋や土産物屋が並んでいる。下社から本社までは小一時間かかる山道で、小山だが散歩のつもりでいると痛い目を見る。


 なかば信仰を口実にして、江戸の人間が物見遊山の小旅行に出かける場合には、大山や江の島が選ばれた。大山詣りは博打打ちや職人など、威勢のいい連中がよく行ったという。江の島の方は弁財天を祭ってあるから、当然商人の信仰を集めたのだろう。海がすぐ近いことや、鎌倉をも観光のコースに入れることができるので、今日では江の島の方が賑わっているが、まだ鉄道などの交通手段がないころ、東京の方から来ることを考えた場合、さほど距離が変わるわけではなく、藤沢など遊ぶ場所も近かった。


 町内の男衆たちが今年も大山に行こうと、先達を吉さんに頼むが、喧嘩ばかりで揉めごとが絶えないからもういやだと断られる。今回は喧嘩をした奴は罰金を取った上に坊主にすると皆で約束しましたからそんなことはありませんと、決めごとをして出かけた効果があったのか、大山詣りまで無事に済んだが、江戸に戻る最後の宿で無礼講だと飲み始めたときに、溜まっていたものが噴きだしてきた。酔っ払った熊公が風呂のなかで仲間を蹴りつけるわ、小便をかけるわで手に負えない。とうとうよってたかって寝ているすきに坊主にしてしまった。

 

 気づいた熊公はこうしたことになると気がまわり、早駕籠で皆を追い越し、町内へ戻ると、大山へいった者たちの女房を集めた。そして金沢八景で舟に乗っているとき、天候が急に変わり、舟が転覆、自分だけが生き残ってしまったと語る。最初はほら熊が言ってることだよ、と半信半疑だった女たちも、仲間の弔いのために坊主になったという姿を見ると本気にせざるを得なかった。女房たちも悲しんだので、次々に坊主にしてしまった。

 

 さて町内の者が帰ってくると、女房たちが坊主になっているので怒って熊公を打ちのめそうとするが、先達が考えてみればおめでたい、と止めた。なにがめでたいんだ、考えてごらん、お山がお無事で帰ってみるとみんなお怪我(毛が)なくっておめでたい。


 『浮世床』に関しても述べたように、髪は現在とは異なる重要な意味合いをもっていた。職業身分をあらわす自己証明書でもあったし、社交のための大きな要素でもあり、死に値するような罪でも、髪を落とせば減じられることもあったという。

 

 もちろん、頭を丸めるというのは仏門に帰依するという連想がもっとも強いわけであり、仏門に帰依するとは浮世から引退し、この世の浮沈、栄誉や零落とは関係のない別の世界に入ることを意味していた。いまでは想像しにくいそれだけ重大な事柄をくだらない駄洒落で収めてしまうところがいかにも落語らしい。

 

 確かに、髪の毛はいまとは比べものにならないくらい様々な大きな意味を担っていたが、熊公が言っていたように舟が転覆して死んでしまうことに比較すれば、直に伸びる髪の毛がなくなったことくらいは軽い状況のはずだ。死刑の当日に、今日も幸先がいいぞ、といった死刑囚のように、ポンと意味の階層を上がれることも落語の醍醐味であり、信仰に帰依することもおっちょこちょいに思えてくるから妙である。