ある感じ--プルターク『英雄伝』

 

プルターク英雄伝(全12冊セット) (岩波文庫)

プルターク英雄伝(全12冊セット) (岩波文庫)

 

 

 ニキアスは、一時代を築いたペリクレスの次世代に当たるアテネの政治家にして軍人である。時に協調もしたが、多くの政策において反目しあった同時代の軍人政治家には、プラトンの『饗宴』にも登場するアルキビアデスがいる。

 

 ぼくにとっては、この男への恋は容易ならんことになってしまった、それというのも、ぼくが彼を恋するようになったあの時以来、ぼくはもう誰一人美しい者には目をやることも話し合うこともできないのだ、そんなことをしようものなら、この男はぼくをそねみねたんで呆れかえるような振舞いに出、悪態をつき、手を出さずにいるのもやっとという有様だ、とまでソクラテスに言わしめ、法廷からの出廷命令を逃れてわたったスパルタでは王妃に愛される、その後身を投じたペルシア地方総督のもとでは第一側近にまで上りつめる、さらに再びアテネの艦隊を率いての勝利、敗北、追放、フリュギアでの暗殺と華々しいアルキビアデスの経歴に較べればいかにもニキアスには地味な印象しかない。

 

 それは、アルキビアデスのように領土の拡張や戦いによる栄誉を欲するよりは、むしろ平和と安定を目指した、軍人としてよりも政治家としての能力が高かった人物だからであろう。実際、もっとも大きな仕事は、スパルタと和平条約を結び、いわゆるニキアスの平和をもたらしたことにあって、それ以前のスパルタとの戦いでは政敵のクレオンに手柄を独り占めにされ、和平後アルキビアデスの主導で駆り出されたシチリアへの遠征では、結局降伏することになる。

 

 降伏とき、ニキアスは、勝利を得たあなた方は憐みを持って下さい、私は、あれ程幸運な目に合って名も誉も得たのだから構わない、しかし他のアテネの人々を憐んで下さい、戦争の運不運は誰の身にも降掛かるもので、アテネの人々はうまく行った時にあなた方に対してその幸運を程よく且つ温和に使ったということを思い出して下さい、と言った。

 

 その顔や言葉から相手のギュリッポスはある感じを受けた、とプルタークは書いている。この感じは、多分、自分の全存在を投げだした賭であり、坂口安吾ならイノチガケと呼んだものがもたらしたものだろう。

 

 しかし、この感じは、互いに死力を尽くしあう戦場では気づかれにくい。戦場にあるのは身を投げだしあった者同士のぶつかり合いとそれを支配する規則であり、感じが受け容れるような隙間がないからである。

 

 この感じは、一方が全存在を投げだす必要も用意のないとき、二人の人間の落差のなかで生れるように思われる。しかし、戦時下においては、この落差は空虚なものとなり、人物の柄の大きさをかえって目立たせてしまう。つまり、ここで選択されているのはは軍人として行動ではなく、命をかけたものではあるにしても政治的発言であり、そのためであろうか、プルタルコスは素っ気なく次のように書く。

 

ニキアスは恥ずべき不名誉な救いを期待して敵に屈伏し、一層恥ずべき死に方をした。