ケネス・バーク『恒久性と変化』と読む3(F・L・アレン『シンス・イエスタデイ』)

 

シンス・イエスタデイ―1930年代・アメリカ (ちくま文庫)

シンス・イエスタデイ―1930年代・アメリカ (ちくま文庫)

 

 

ヴェブレンの「訓練された無能力」という概念

 

 ヴェブレンの「訓練された無能力」という概念は、特に、正しい、そして間違った定位の問題に関連しているように思われる。訓練された無能力によって、彼は人の能力そのものが盲点となり得る事情をあらわしている。もし我々がニワトリにベルの音を餌の信号と解釈するように条件づけ、集めて罰を下すためにベルを鳴らすなら、彼らの訓練は自分の利益に反することになる。過去の教えに従うことで、自分たちの利害を損なう道を選んでいる。或は、我が垢抜けした鱒がかつて危うく引っかかりそうだった疑似餌に形や色が似ているために本当の餌を避けるなら、その不適切な解釈は訓練された無能力の結果だと呼べるだろう。ヴェブレンは総じてこの概念をビジネスマンに限定しており、彼らは金銭的な競争で長い間訓練された結果、それに関連した努力や野心に対してしか定位を行なわず、他の生産や分配の重要な可能性を見て取ることができない。

 

 訓練された無能力という概念は、定位の問題を「回避」や「逃避」との関わりで論じようとする現代の傾向を避ける大きな利点をもっている。正確に用いれば、逃避という観念はなんの難点ももたらさない。人が不満足な状況を避け、別の手段を試してみようとすることはまったく正常で自然なことである。しかし、「逃避」という語はより限定された用いられ方をしている。正確に言えばあらゆる人間に適用されることが、ある種の人間に当てはまるものに限定されようとしている。そのように限定されたとき、当てはまる人間は当てはまらない人間とはまったく異なった定位をする傾向にあり、当てはまらない人間は現実に直面するのに、当てはまる人間は生から逃避し、現実を回避するということになる。そういう区別もあり得るかもしれない。だが、多くの批評家は生、回避、現実との直面ということで正確にはなにが意味されているのか我々に語ることを回避している。こうして、批評上の難点から逃避することで、批評家たちは多くの作家や思想家を逃避の名のもとに自由に責めることができた。最終的に、この語は、特に文学批評では曖昧に用いられることになり、批評家の関心や目的に合わない作家や読者を指すようになった。言及される人物の特徴を示すはずのものが、ほとんど言及している人物の姿勢を伝えるものでしかなくなってしまった。批評家が「Xはあれこれのことをする」というと客観的であるように見える。しかしそれは、「私はXがしていることを個人的に好きではない」ということを戦略的に言い換えているに過ぎないことが多い。

 

 別の言い方をしてみよう。詩人たちによって深刻な社会的不満が述べられる。詩人たちはその憤りを様々な方法で象徴化する。批評家の個人的な好みに合わない象徴化はどんなものであっても逃避と呼ばれる。議論の主たる問題を解決するはずの言葉が、論点を回避するために用いられる。厳寒のラブラドルへ旅することを逃避として片付けることもできるし――ラブラドルのような厳寒の地から離れている我々を「逃避主義者」と呼ぶこともできる。従って、その限定された意味においては、この言葉は正確な定位と欠点のある定位との関係を明らかにする手段としては、無価値であるよりも悪い影響を及ぼすように思われる。それを正しくすべての人間に適用すれば、個人的判断による修正を暗黙のうちに加えなければ、その適用を特定の人間にはうまく限定できなくなる。それゆえ、ヴェブレンの訓練された無能力という概念によって、限定的な「逃避」の使用が曖昧であるとともに余計なことだと証明できると考えることで我々は一安心する。修正された考え方は次のようになろう。

 

 

 1929年9月以後、急落した株価は、一度上向いたが、また下降を続け、その後押し戻すことはなかった。11月には1929年の底値に達した。そのとき大統領だったフーヴァーは、公共事業役人、労働界の指導者、農村の指導者などを呼び寄せ、事業を継続し、賃金の引き下げは行わないことを要請した。

 

 しかし、投資価値は企業と根深く結びついており、恐慌は会社組織を損なわずにはいなかった。工業は縮小し、失業者は増え続けた。フーヴァーはこの危機に際して怠惰であったわけではないが、伝統的に経済を政治とは独立したものとみなしていたので、「自由放任主義」の原則を基本的には守ろうとし、経済界が不況を自ら治癒するのを待っていた。やがてより積極的に経済に介入することに方向転換したが、初動が遅かったためもあるのか、もはや支持を得ることはなかった。1933年、大統領の共和党のフーヴァーは、金融政策を前面に打ち出した民主党ローズヴェルトにかわり、いわゆるニューディールが始まった。

 

 F・C・アレンの『シンス・イエスタデイ』は『オンリー・イエスタデイ』の続編で、1939に刊行された。『オンリー・イエスタデイ』が1920年代の同時代史であったように、『シンス・イエスタデイ』は1930年代の同時代史である。

 

 ヴェブレンは1957年に生まれ、1929年大恐慌の直前に死んだ社会学者、経済学者で、著作としては『有閑階級の理論』や『企業の理論』が有名で、産業をものをつくる産業と営利を目的とするビジネスに大別した。初期のケネス・バークはしきりにヴェブレンを引用している。

 

 マルクスなどとはまったく異なる独特の用語によって価値中立的に社会を分析していく方法がバークに影響を与えてきたのだと考えていたが、アレンの本を読むと、より個別的な、歴史的意味合いもあることがわかる。フーヴァーからローズヴェルトへと大統領が代わる空白期間のあいだ、ハワード・スコットによるテクノクラシー思想なるものが大流行した。

 

 この理論はヴェブレンと、ノーベル化学賞を受けたオックスフォード大学教授のソディの一部分を発展させたもので、かなり難解な観念を基礎にしているという。膨大な科学技術の進歩による可能性は、未来の繁栄に根拠を与える。問題はそうした繁栄のための活動が目先に利益が優先されることによって、負債として蓄積され、しまいには身動きができないことにある。

 

 間違っているのは価格のシステムであり、エルグとジュールというエネルギーの測定単位にとってかわらなければならない。おそらくそれはそれぞれの科学技術の潜在的可能性を組み込んだものなのだろうが、現実にそれをどう数値化するのか、「難解」だと匙を投げているアレンに従って深入りはしないが、この思想が難解な部分は無視されて一般的に大流行し、「ソディとヴェブレンのほとんど忘れられかけた著作が突如売れはじめ」たことがケネス・バークにおけるヴェブレンへの言及の多さの幾分かを説明して、大不況に対する治療薬とは異なる読み方があることを示したのだろう。