神の言葉を聞く――桂三木助『御神酒徳利』
江戸落語というが、落語の本を読んでいると上方由来の噺が多いことに驚かされる。話の種は関西で得て、それを剪定し造型することに江戸落語の本分があるのかもしれない。
あるいは、古今亭志ん生、桂文楽、桂三木助といったいわゆる「名人」といわれた最後の人たちが、みな関西の落語家とのつながりが深かったせいもあるだろう。志ん生は若いころは旅を繰り返したし、文楽は上方の師匠に噺を教わり、三木助も関西にいた時期がある。この噺も上方からきた噺である。
しかし、江戸と関西とにまたがった噺はそう数多くはない。『お神酒徳利』はそうした数少ない噺のうちのひとつである。もっともこの噺には演じ方が二種類あって、そのうちの一方の主人公は大阪まで行くのだが、もう一方の主人公は途中で逃げてしまうのだ。そのことだけから来ているわけではないが、この二種類の演じ方は聞くものに相当異なった印象を残す。私は大阪まで行く方を三木助で、途中で逃げだす方を小さんで聞いた。
馬喰町の刈豆野という旅籠では年の暮れの大掃除がされていた。番頭の善六は徳利が出しっ放しになっているのを見つけた。徳川家からいただいた家宝の徳利である。外に通じる場所なので、盗られでもしたら大変だと、とりあえず水瓶の底に沈めておくことにした。
この善六、もともとそそっかしくて、物忘れのひどい体質で、隠したこと自体を忘れてしまった。そのうち、家宝の徳利がないと、店中が大騒ぎになる。善六は隠したことも忘れているものだから一緒になって探し回るのだが見つからない。家に戻って、喉が渇いたと水を飲もうとして思いだした。さてどうしたものか、正直に謝ったらどれだけ怒られ、仲間から白い眼で見られるかわからない。そこで女房が知恵を授けた。算盤占いの秘伝の書が家にはあって、生涯に三度だけその力を使うことができるから占いましょう、といってうまいこと水瓶の方に誘えばいいという。それではそうしてみようということになって無事に徳利も見つかった。
ところが、そのとき旅籠の二階に大阪の大商人鴻池の支配人が泊まっていた。善六の占いの話を聞いて、ぜひ大阪まできて欲しいと頼みこむ。主人の娘が原因不明の病にかかっているからだ。断るに断れりきれなくなって、大阪に向い、鴻池が定宿にしている神奈川の宿につく。すると宿の客の金が取られたという事件が起きていた。支配人や宿の女将に泣きつかれて、どうにもならないので逃げだすことにする。
すると宿の女中が忍んできて、盗ったのは自分であること、病気の親に仕送りをしようと前借りを頼んだが断られたので、ついつい手をだしてしまったことを涙ながらに語った。うまいことに金には手を付けていないという。善六は傷んだお稲荷さんをそのままにしていた祟りだということにして今回も乗り切ってしまう。
さて、大阪に着いたが、今度ばかりは占ってもどうにもならない。もう神頼みしかないと断食をし、水垢離をした満願の日、稲荷大明神が老人の姿であらわれ、あれから霊験あらたかとして参拝が絶えない礼だといって、病気の治し方を教えてくれた。鴻池からは大量のお礼の品と三百両という金をもらった。
途中で逃げだす方の噺は、主人公が八百屋で、おとくいの旅籠で、新しい女中になってから全然野菜を買ってくれなくなった仕返しのような意味もあって、徳利を隠すのである。そしてその家の旦那に弟のことで占って欲しいことがあるから三島にまでつきあって欲しいと頼まれる。途中で泊まった宿で、占いをすることまでは同じだが、占いが評判になり、どんどん人が集まってくるので逃げだしてしまう。
どちらも楽しく聞けるが、私は断然前者の方が好きである。というのも、老人の姿をした稲荷大明神が「そもこの大阪という土地は難波堀江と申して、一円の堀江なるが・・・・・・」とはじまり、流れるように続く大阪由来の一節が、『黄金餅』の焼き場までの道のりが江戸を感じさせてくれるのと同じく、歴史を感じさせてくれるからでもあるが、流暢に流れる言葉の奔流がまさしく神の言葉を語っているのであるから、おめでたい気分にならないわけがないからでもある。