オルダス・ハックリレー「(バルザックと社会史)」(翻訳)

 

 

 ここ数か月のあいだ、他の仕事や怠惰による中断はあったが、私はバルザックの作品に熱中していた。「努力」という言葉はあまりに高貴で、堂々としすぎている。「人間喜劇」をまえにすると、非常に小さな鼠が巨大な月のようなチーズを前にしているような感じになる。齧りとっては、勇気をなくし、歯を研ぎ、英雄的に仕事に戻ると、最終的には、長い長い時間を経て、怪物のような月でも知覚できるほどは小さいのだということに満足する。それから六年も経つと、勇敢にも希望が生れ、偉業は達成されることになる。しかし達成には、たゆまぬ努力と衰えることのない食欲が必要である。


 しかし一般的にバルザック風の小説といいたいものはそれ程多くはない。バルザックの時代に「人間喜劇」をなぜ真似しようとするものが少なかったのか不思議に思われるだろう。フランスにおいて自分の時代の社会史を体系的に書こうとしたのはゾラだけである。英国では、遙か遠くからバルザックに答えようとするものは誰もいなかった。なぜか?と再び尋ねよう。ひとつの理由は十分明らかである。「人間喜劇」を書くには、感受性の広大で表面的な領域を心がけておく必要がある。バルザックのもっとも顕著な心的な性質は、こうである。同時期に異なった生の各諸相を法外な数感じ取れるということである。このタイプの精神は非凡ではない。人間喜劇もまたそうである。しかし、バルザックに匹敵するするものがほとんどいないことの説明、外的状況を見いだすことは可能であり、その説明は、同時に、英国には社会小説という体系を目指すフランス人の壮大な計画がない事実の説明にもなる。


 バルザックのお気に入りの作家はサー・ウォルター・スコットで、そのことはある意味合いをもっている。というのもバルザックの人間喜劇の方法は、歴史小説の方法を現代の生活に適用したものだからである。過去の年代記を振り返ってみると、ある時代の意味深い形式を認めるのが容易になる。望遠鏡で年のなかに秒を見てとると、ゆっくりとしたおぼろげな変化が、時代と時代のあいだの絵のように対照されて鮮やかなものとなる。1920年の英国より1520年の英国を描く方がずっと容易である。以前の英国であればあらゆることの意味合いがわかっており、現代ではほとんどわかっていない。しかし、明白な甚だしさとは対照的に、変化が激しく急激であるために、同時代人にすらその意味が理解できないことがある。そうした時代は社会的小説家を歴史的虚構に招き入れる。それは完全な絵という考えを強いることになる。彼は歴史的以外に考えることができない。


 バルザックの時代はまさしくそうした時代のひとつであった。新世紀の一年前に生れ、年長のものから革命の話やそれ以前の生活の話を聞いた。自分の目でナポレオンの栄光と失墜を見た。彼は王政復古や七月王政を生き、最晩年には第二共和制の誕生があった。五十年の生涯において、蒸気機関の発明とそれがもたらした工業化、広告の発明、キリスト教の再発見、その他数多くの新しい驚くべき事物を目撃した。バルザックのような人間にとって、芸術の本質は明暗法に、暴力と絵画的なものとの対照に芸術の本質があるとするような人間にとって、フランスの十九世紀前半は完璧な主題だった。彼とその時代のあいだで人間喜劇が生まれた。しかし、バルザックを英国人だと想定してみよう。比較的静穏で、劇的なところのない十九世紀の英国は必要な刺激を与えるだろうか。十九世紀の英国の小説家が、バルザックがしたようなことを行なわなかったという事実は、英国風のバルザックには人間喜劇という考えが起きることがなかったという結論に達するように思える。


 断定的に言うのは安全でもなければ、楽しくもない。ゆっくりした発達のときにバルザックのようなタイプの歴史家―小説家が現れないだろうといっては危険である。急速で劇的変化の時代に彼は自らの存在を要求する刺激を見いだしたのだろう。ゾラの時代においてさえ、フランスの歴史は、ナポレオン時代の絵画的なところさえなくしたが、いまだ現代の英国の歴史に比較するとずっと劇的で色彩にとんでいる。


 慎み深い小さな図書館の規則に従って、1914年の戦争と革命、それに伴う繁栄が新たなバルザックを生みだし、虚構のなかにこの驚くべき時代の社会史全体を記録しているかのようだった。すでに戦争は歴史をつくりだし、盲目か麻痺した人間でもなければ意識されるような劇的な暴力を伴っていたが、多かれ少なかれ繊細な、1914年のカタストロフによって生の習慣が変わってしまったことを記録した大量の小説が出ている。衝撃は激しいものだったので、あらゆる小説家はそのときには社会的小説家となった。歴史的な見地をとることを避けるのは不可能だった。遅かれ早かれ、より大きな精神があらわれ――触手のようにこの時代のすべての表面を覆うような――新たな人間喜劇を得ることになろう。それは内側から書かれた我々自身の時代の歴史であり、個人的で直接的な細部において真理があり、広範囲で意味深い輪郭においても真理がある。そうした歴史を1830年から1850年のあいだフランスで書くことは可能だった。それが今日再び可能になっており、フランスだけではなく、ヨーロッパ全体で可能になっている。もしロシアが十分な食料があり、動物的な必要を満たすだけしか考えられないのなら、バルザックの再生にはロシアを除かねばならないだろう!新たなバルザックは、本来のバルザックのように、人間の魂に興味を抱き、あまりに容易に絵のような光景や単なる政治的運動に目を奪われることは決してないだろう。いずれにしろ、待つ以外にすることはない――忍耐強く。