名人の系譜――古今亭志ん生『祇園祭』

 

古今亭志ん生 名演大全集 7 はてなの茶碗(茶金)/祇園祭り/探偵うどん

古今亭志ん生 名演大全集 7 はてなの茶碗(茶金)/祇園祭り/探偵うどん

 

  謎めいた落語がいくつかある。『祇園祭』がそのひとつなのは確かである。内容に特に不明瞭な点があるわけではない。もっとも、古今亭志ん生が語ったものしか聞いたことがないことは問題であるかもしれない。というのも、私の聞いたヴァージョンは二十五分弱の録音なのだが、だいぶん省略、あるいは編集されているようだからである。


 ある男が無尽(互助的な籤のようなもので、掛け金を出し合い、抽選で集まった金を当選者に配当する)に当たる。ところが、男の家は、宵越しの金を持たないことを信条とする江戸っ子の家だったものだから、つまらないものにはいりやがって、と親父に家を追い出されてしまう。

 

 そこで男は友達二人を連れて京・大坂の見物に出ることにする。その道中にはほんの触りだけだが、別の噺である『三人旅』の都々逸を言い合いながら歩く一節が出てくる。そうしているうちに京都に着くのだが、ここまでに十分以上の時間が使われており、本来の噺である『祇園祭』にはもう十数分しか残されていない。


 京都に入った三人は宿屋に行く前に風呂に行こうと八百屋に尋ねるとここにあるという。頼んでみると、湯ではなく柚子をもってきた。風呂屋と言わなければならないらしい。三人で京見物をして、ひとりは京に知り合いがいるので残り、残りの二人は江戸に帰ることになる。

 

 残ったひとりはその後もいろいろなところに連れて行ってもらうが、興味を持つ様子も見えない。祇園祭の日、今日こそは感心させてやろうと京の知り合いは自慢を続けるが、男も負けずに江戸の祭りを自慢し、両者ともに囃子を歌い合い、御輿のかつぎ方を見せあう。ここで志ん生の『祇園祭』は終わってしまうのだが、落後事典などを見ると、話の本筋はそれ以後にあるようなのだ。


 芸者を呼ぶと、あらわれたのがおよくという妓で、客の顔を見れば商売を聞き、商売ものをねだることで有名だった。最後に江戸の男も商売を聞かれ、俺は隠亡だ、と返す。妓はちょっとたじろいだが、私が死んだらただで焼いておくんなはれ。

 

 この噺が謎めいているのは、本来は京見物の部分や、ねだってばかりいる芸者とのやりとりがどこまで詳しく描かれ、滑稽なものとなっているかが(何しろ志ん生のひとつのヴァージョンを聞いただけなので)まるでわからないことにもあるが、もうひとつ、明治以来の最大の名人と言われる円喬の代表作とされていることにもある。


 『落語大百科』では、石谷華堤、小島政二郎、六代目三遊亭圓生林家正蔵の文章を引用して、円喬がいかに名人であったという証言を引きだしている。『祇園祭』に関しては特に京都弁が完璧であったことが言われている(志ん生は関西人ではない私が聞いても相当に出鱈目だ)。だが、江戸弁と京都弁の使い分けが完璧であることが、それほど価値のあることなのだろうか。というのはつまり、不世出の名人たらしめるほどのことなのだろうか。円喬の十八番として伝えられているもののなかでも、たとえば『鰍沢』などであれば、土地の描写があり、物語の起伏があり、色気もサスペンスもあるからそれを演じる際のうまさが想像しやすい。


 しかし、『祇園祭』は結局のところ、江戸っ子と京男が自慢しあうだけの噺であって、何も突出したところがないだけに謎めいている。これを、たとえば文楽の『馬のす』と置き換えてみると、想像しやすくなるのではないだろうか。『馬のす』は、釣り糸代わりにしようと馬の尻尾の毛を抜いたのを見ていた友人が、そんなことをしたら大変なことになる、と逃げだしてしまう。心配になった男は酒と肴まで出して、どういうことになるんだ、と問いただすと、馬が痛がるんだよ。

 

 こちらも『祇園祭』同様、ほとんどなんの内容もない噺であり、おそらく、桂文楽をまったく聞いたことがないものに、筆記本だけ見せて名人の十八番だと告げたとしても、訳がわからないのではないか。声の質、抑揚、強弱、あるいは完璧な京都弁と江戸弁との遅滞ないやりとりなどが完成していれば、それがそのまま噺の完成にいたる場合もあって、その点で円喬と文楽とは同じ系譜に属している。