夢幻的時代劇ーー五味康祐『薄桜記』

 

薄桜記 (新潮文庫)

薄桜記 (新潮文庫)

 

 

 自分で調べたわけではないので、もっぱらこの本に書かれていることによるのだが、浅野内匠頭は名君というにはほど遠く、吝嗇で坊ちゃん育ち、世事に疎いというのが本当のところであったらしい。本来の遺恨のもとも、勅使供応の作法を吉良上野介の意地悪から教えてもらえなかったためではなく、そもそも浅野内匠頭はまだ十七という若いときではあったが、一度勅使供応の経験があった。吉良上野介には諸事監督を願うので、そのお礼として幾ばくかの世話代を出すのをケチったこと、かつて自分がしたときと現在では貨幣価値がまったく異なっているのに、供応代を節約してすまそうとし、さすがにそれでは貧相になると吉良から注意を受けた。
 
 そうしたことが重なって、もともとかんしゃく持ちの浅野内匠頭が殿中で切りつけた。そのとき背中から抱き留めた梶原与惣兵衛は武士の情けを知らぬと非難されたが、そもそも吉良は二太刀受けている。嗜みのある武士ならば、殿中に持参できる小刀で切りつけるべきではなく、当然刺し殺そうとするべきである。二太刀も切りつけて、満足に吉良を刺すこともできないのを見て取って、梶原は拉致がないのを見て取って抱き留めたのだという。幕府側にある種落ち度があるとすれば、藩主を庭先で切腹させてしまったことで、当然そこは座敷内でさせるべきだった。
 
 凡庸な藩主であった浅野内匠頭は領地の支配を苛烈な取り立てを辞さない家老大野九郎兵衛に任せきっていた。浅野家が取りつぶされたときには領民たちのあいだから喜びの声が上がったと伝えられている。
 
 一方、大石内蔵助は主流から外れた家老で、『忠臣蔵』では敵の目を欺くために茶屋遊びに興じているが、実は本来遊び好きであって、そのために閉門を食らったこともあったらしい。ただいったんことが起こり、なにをしなければならないかを理解してからは緻密かつ揺らぐことのない信念をもってみなを引っ張るだけの度量と人格を備えた人物だった。大石とその配下のそれからの行動は称賛されるべきであり、彼らの行動をより美しく描きだすために、必要以上に浅野内匠頭は美化され、吉良上野介は悪人とされたのだという。
 
 この小説は昭和33年7月から34年4月まで産経新聞の夕刊に連載されたものだが、この当時にはさすがに『忠臣蔵』の脱神話化もされていたようで、意見を同じくするところも多い同業作家として海音寺潮五郎の名もあげられている。もっともこの部分は物語の終盤を中断するような考証エッセイ的な部分であり、実はさほど本筋とは関係がない。
 
 副主人公は堀部(旧姓中山)安兵衛なのだが、彼が討ち入りに関わるような部分はほとんど触れられないのである。さらにいえば、主人公である丹下典膳と中山安兵衛という一刀流の道場でも双璧をなす剣士が揃って登場するにもかかわらず、チャンバラ部分はほとんどない。中山安兵衛は典膳のことを話に聞き、その姿を目の当たりにしてから、武士としてのたたずまいに畏敬の念を抱き、惚れ込んでしまう。
 
 丹下典膳は新婚そうそう大阪に配属になり、夫と妻は離れて暮らすことになった。上杉家留守居役の娘である妻の千春は義母にもよく仕え、そこに遺漏はなかったが、新婚早々別れて過ごすことになった不安もあったのか、幼なじみの男友達三之丞との行き来が盛んになり、いつのころからか不義の噂が立つようになった。実際に現場を見たものはいなかったが、噂は大阪にまで知れ渡った。
 
 そんななか典膳の帰府が決まった。江戸に戻っても特に妻を責めるような様子は見せず、「死ぬではないぞ」とだけ釘を刺した。そしていったんは密通を狐狸のたぐいのせいにして、四方が丸く収まったと思われたとき、離縁を申し出る。収まらないのは上杉家である。理由もなにもないと言い切るだけなものだから、その場に居合わせた千春の兄にあたる竜之介が一刀のもとに無抵抗な典膳の左腕を切り落とした。中山安兵衛は典膳ほどの腕がありながら、避けるでもなく腕を切り落とされるままになったことに疑問を感じる。
 
 それはまた読者の疑問でもあり、作者が答えてくれるわけではない。最後には典膳は、上杉家との関係から、吉良の護衛を断れない立場に追い込まれ、討ち入りという長い計画をだめにすることを恐れて、決行の直前、堀部安兵衛に討たれに行くのである。いまでは定かならぬ武士というものの存在のあり方に、堀部安兵衛にさえわからない丹下典膳の生存のあり方が重なり、どこか夢幻的な雰囲気が漂い、『薄桜記』という題名とぴたりと合っている。