複雑な彼――桂文楽『素人鰻』

 

 

 

NHK落語名人選 八代目 桂文楽 寝床・素人鰻

NHK落語名人選 八代目 桂文楽 寝床・素人鰻

 

 

 『素人鰻』は評判のいい話であるらしい。客受けがいいというわけではなく、ある種の感受性をもった者たちに強烈に訴えかける力があるようなのだ。

 

 たとえば録音が残っている桂文楽久保田万太郎の対談「この人その芸」で、万太郎は真っ先にこの噺をあげ、『素人鰻』の金さんが円馬の芸を正当に継承していることを褒め、文楽もまた金の造型には何年かかったかわからかず、電車のなかであることも忘れて、台詞を大声を出していったたこともあったそうだ。

 

 また、『随筆 寄席風俗』の正岡容は、金が酔っ払ったときの「唐突な意表外の表現」こそないものの、円馬の芸は文楽に継承されていると満足している。もっとも、「円馬の豪快味に比べるとき、文楽の芸質はおよそ軽快にして繊細である。顔も、容姿も、持ち味全体も。」とも書いている。


 明治の御代になり、武士は生計の道を考えなくてはならなくなった。妻でもできると思って、最初は汁粉屋を考えていたのだが、ある日、金というなじみのある鰻裂きの職人と出会い、鰻屋を商売にすることを勧められた。しかしこの金という男、腕は確かなのだが酒癖が滅法悪い。それを知っているので尻込みしているが、酒を断って勤めます、とまで言われたものだから、主人も承知した。

 

 そして、店を開いた初日、金もよく働いていたが、開店の祝儀だと勧められた酒に口をつけたら、もういけない、暴れだした。二日目も夜になると酒に手を出し、翌朝吉原のウマ(取り立て屋)をつれて戻ってきた。三日目も同じように飛びだして、仏の顔も三度とでも思ったのか、それっきり帰ってこなくなった。

 

 困ったのは一度も鰻など裂いたことのない素人の主人である。金がいなくても自分でする、と言ってはみたものの、鰻を捕まえることさえできない。ようやく捕まえて、あとは裂くだけだと思ったら、指のあいだからまたヌルヌルと逃げだそうとする。逃がしてなるものかと、主人は鰻の行く方向に歩きだした。前のものを片付けろ、履き物を出せ、どこへ参るか、前へまわって鰻に聞いてくれ。


 最初に、この噺にはある種の感受性をもった者には強く訴えかけるものがあるようだと書いたが、たとえば正岡容は、「この一篇の面白さは、明治初年の転業士族の悲喜劇が、世相が、マザマザ背景とされているところにある。」と書き、「殿様にも、奥様にも、また鰻裂きの金にも、深く深く亡びし江戸を哀傷する心持の満ち漲っている」とまで言っている。このことはこの文章を読むまで考えもしなかったことだった。桂文楽の録音でも、後半の主人と鰻との格闘のほうがうけているようであるし、それならば、素人が鰻と格闘するだけの、しかもさげが同じである『鰻屋』のほうが楽しい。


 それに、私には、かつて贔屓にされ恩のある主人に対して誓いまでしたのに、金という職人があまりにだらしなさ過ぎるように思えたのだ。だが、登場する人物すべてが「深く深く」江戸を哀傷する心持を共有していたらどうだろうか。金は単に酒好きで意志が弱いのではなく、呑まずにはいられないから呑んだのである。それゆえ、主人もさほど強く金を責めることはなかった。文楽が人目を忘れるまで金の人物造型に集中したのも、彼を単なる酒乱だとは考えなかったからに違いない。